第六章・帰還・その三
「それでバスロッドをもらう事になったんだけど……」
『カサゴやムラソイならぶっこ抜けるな。タモ網がありゃ、もっとでかい魚もイケる』
八尋はお風呂上りに自室のベッドでスマホを出して、歩に相談をしていました。
竿とリールをどれにするのかは、まだ決まっていません。
知識がないまま迷っても時間の無駄なので、後日に延期となったのです。
「釣り道具って、デザインより、釣る魚と場所で選ぶんだね」
『いや、最終的には見た目で決める。気に入った竿なら長く使う気になるだろ? 用途を基準にした選別は、あくまで選択を絞るだけ。惚れたら目的と違っても買っちまうのが釣り人ってぇもんだ』
「違っても買っちゃうの⁉」
特にルアーは気分で買ってしまいます。
『八尋にもいずれわかる』
「わかりたくない……」
しかしお父さんが釣り道具を持て余していたのは僥倖でした。
これなら初期装備でお小遣いを使い果たす心配はありません。
「八尋~! お父さんがとりあえずこれ使えって~!」
風子がノックもせずに飛び込んできました。
「なんとかバッグとなんとかケースもあるよ~!」
なにをいっているのかさっぱりわかりませんが、なんとかケースは竿の入れものらしいと八尋は推測しました。
「青系で統一されてる……」
さすがに父親だけあって、子供たちの好みを把握しているようです。
おそらく風子の釣り道具はピンク色でしょう。
『タックルバッグとロッドケースだな。たぶん中身も揃ってる』
歩は風子が持ち込んだブツを、スマホから漏れる声と音だけで当ててみせました。
「ホント⁉」
アクアブルーのタックルバッグを開けると、仕掛けのパックやオモリのセット、ビニール製の水汲みバケツなどが入っています。
大きさの異なる巾着袋が二つ入っていて、開けるとそれぞれサイズの異なるリールが出てきました。
小さい方はメタリックブルー、大きいのは黒地に青いラインが入っています。
「それじゃ、ケースの中身は……?」
一メートルほどの硬くて細長いバッグを開けると、振り出し式の釣り竿が現れました。
色は黒と青のツートンカラーで、白いラインが入っています。
「バスロッドだ!」
ひょっとしたらシーバスロッドかもしれませんが、素人には大した違いはありません。
『気に入ったか? じゃあ明日、学校で見せてくれよ』
「持って行ってもいいの?」
おそらく教室に置き場はありません。
個人用ロッカーがあるかもしれませんが、タックルバッグはともかく、ロッドケースまでは収まらないでしょう。
『朝のうちに部室小屋に置きゃいいだろ? ついでに道具見てやるから早めにこいよ。それで午後の予定を決めちまおう』
「これ釣り入門と図鑑とカタログ~!」
風子がタックルバッグの上にドカンと書物の山を置きました。
「うわっ、すっごい量!」
『やりすぎだ! お前ぇの親父さんは初心者の楽しみを奪う気か⁉』
お店の棚やカタログを見ながら、ああもあろうこうもあろうと思いを馳せつつ少しづつ買い溜めるのも醍醐味のうちです。
「お父さん、なにかのスイッチでも入っちゃったかな?」
八尋はお父さんがくれた釣り道具と書物の山に、昼間にゲーセンで対戦した熟練ゲーマーさんと同じ怨念を感じました。
『布教で少しでも仲間を増やそうと必死なんだな……』
歩も同じ感想を抱いたようです。
「じゃあ部屋に戻るね~!」
廊下に駆け出そうとする風子。
自分がもらった分の道具や本を確認したくて堪らないのです。
「ちょっと待って! 明日は道具持って早めにこいって!」
「わかった~!」
ドアの向こうで声だけ残して、風子が隣の部屋に入る音が聞こえました。
『じゃあ明日の七時半に部室小屋でな。もうすぐ期末試験だから、部活は明後日からしばらく休みなんだ』
「そっか。試験終わるまで我慢できそうにないよ」
覚えたばかりの釣りがお預けになるのは、ちょっと寂しい気がします。
『まあ試験とは関係なくタモさんに召喚されるんだけどな。そうだ、さっきやったお守りはまだ持ってるか?』
学校で歩に渡された、磯鶴神社のお守りです。
「制服に入ってる」
『あれ、実は召喚に使うマーカーなんだ。いつ呼び出されるかわからねぇから、寝る時も体から離すなよ』
「あれ持ってたから召喚されたの⁉ じゃあ、どうしてぼくに渡したの⁉」
八尋がたまたま例外だっただけで、男性は召喚できないと聞いています。
『風子に渡すついでだ。八尋ならひょっとしてイケるかなーって思ったんだけど、ホントに行けるとは思わなかったぜ。さすが八尋っ!』
「それって褒められてる気がしないよ!」
『バレたか』
男として見られていない気がする八尋でした。
女体化したらセクハラされるし、ひょっとして歩は女の子の方が好きなのではないかと疑いたくなります。
「このお守り、お風呂に入る時はどうするの?」
『諦めろ。そん時ゃあとで自慢話を聞かせてやる』
「わかった。なるたけ離さない」
『そろそろ切るぞ。本読むのもほどほどにしねぇと寝坊するから気ぃつけろよ』
「うん。じゃあ、また明日」
八尋は通話を切って、積み上がった本の山から文庫サイズ図鑑を抜き出しました。
「えっと……ハゼ、ヒラメ……」
ベッドの上で索引ページを開いて、弥祖皇国で釣った魚を検索する八尋。
いえ、その前に調べておきたい魚がありました。
「索引に名前がない……」
魚は魚でも、釣りの対象ではなさそうです。
A4サイズの魚類図鑑があったので、こちらでも探してみました。
「……ヒラシュモクザメ」
ありました。
サイズが異なるとはいえ、実際に見て乗って共感した八尋にとって、真新しい情報はありません。
しかし写真やイラストは豊富で、読んでいて心躍るものがあります。
「そうだ、ギンポも調べないと」
いまは亡き相棒の写真を見つけて、黙祷を捧げます。
そのあと複数の図鑑や入門書をとっかえひっかえしながら、学校の堤防や異世界の釣果に思いを馳せていると、いつの間にか十一時を過ぎていました。
「しまった、もう寝なきゃ」
名残惜しいものの、そろそろ寝ないと翌朝の釣りに支障が出ます。
今日の釣果より、明日の釣果なのです。
灯りを消して布団を被ると、疲れていたのか、八尋はたちまち睡魔に襲われました。
その夜は、ヒラシュモクザメに乗って釣りをする夢を見ました。
サメの隣にはギンポが並走しています。
神楽杖を振ると、今日釣ったヒラメが宝珠の魚の姿で現れて、ギンポと仲良くじゃれ合っていました。
そしてサメの背から落ちて溺れました。