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第五章・魔海対策局温泉旅館【なのりそ庵】・その三

 魔海対策局本部棟は元が温泉旅館なので、当然ながら温泉が存在します。

 しかも天然温泉で、入口には【蕃】と書かれた暖簾のれんがかかっていました。

「うぇへっへっへへへ~!」

「今度こそ八尋やひろをオンナにしてやるぜぇ!」

「うわやだよう! 男湯……ぼく、男湯に行くから!」

 観光旅館もとい魔海対策局本部棟の誇る蕃神ばんしん専用露天風呂【潮通しの湯】の前で、八尋はB級ホラー映画でクリーチャーに丸呑まるのみされる脇役のように、いまにもあゆむ風子ふっこに捕食されつつ、脱衣場にズルズルと引きずり込まれそうになっていました。

「いいじゃん~、いまは女の子なんだし~。ほら怖くないよ~? 入っちゃえばスッキリするよ~?」

 うつぶせせに倒れてもがく八尋の背中に歩が、足には風子がしがみついて離れません。

 お子様体形の風子はともかく、歩のフカフカする双丘が背中に当たって、獲物をしびれさせるヘビ毒のように八尋から力を奪います。

「やだ! 絶対セクハラする気でしょ⁉」

「そんなこたぁねえぜ?」「そんな事ないよ~?」

 まるで説得力がありません。

「二人とも真顔になったってだまされないんだから!」

 このまま女の園でパックリ召し上がられてしまうのかと思われた、その時。

稚魚ちぎょ放流リリースしなさい!」

 小夜理さよりのお玉がワンフレームでり出されました。

「あいたっ!」「ばふぅ~っ!」

 歩と風子はガード不能攻撃を同時に喰らい、八尋を拘束する触手がゆるみます。

「八尋くん、ここは私にまかせて逃げて!」

「小夜理さんそれ死亡フラグ!」

 主人公をかばって奮闘やむなく捕食されるパターンです。

「別にコレを倒してしまっても構わないでしょ?」

「ガツンと痛い目にわせてやって!」

 この隙にセクハラ魔神ズの魔の手から四つんいで抜け出す八尋。

「この先に玉網たまみさんがいますから、男湯の場所を聞いてください!」

 クリーチャーたちはターゲットを小夜理に変えたらしく、ヌチョヌチョと触手をからめてきました。

「おとなしくなさいお馬鹿どもっ!」

 小夜理は力任せに怪物どもの魔手を振り払い、歩に後ろからチョークスリーパーをかけ、ひざで風子をみつけて制圧します。

「ありがとう小夜理さん!」

 はだけた浴衣を直しつつ廊下を走ると、ほどなく仲居さん(仲居姿の巫女さんかもしれません)と打ち合わせ中の玉網(ひめ)を発見しました。

「玉網さん男湯どこ⁉」

「男湯?」

「一人で入りたい!」

「そちらの角に皇族おうぞく専用の浴室が……」

「ありがとう玉網さん!」

 セクハラクリーチャーたちは小夜理の折檻せっかんを受けている最中ですが、そうと知りつつも、八尋は恐怖で走らずにはいられません。

 廊下の角にたどり着くと、無地で藍色あいいろ暖簾のれんが目に入りました。

 鴨居かもいには【潮表しおおもての湯】と書かれた掛札かけふだがかかっています。

「逃げきった……かな?」

 息を整えるひまもなく脱衣場に入って浴衣を脱ぎ、かごに突っ込むと、そこで壁の大鏡に映った自分の裸体に気づきました。

「……姉ちゃんと大して変わらないね」

 八尋は女体化した自分の裸で興奮したり恥ずかしがったりはしません。

 入浴時によく風子が乱入するので、この顔とお子様体形は見慣れているのです。

「さすがにタオルはないよね?」

 ……と思ったら、ありました。大きな大きなバスタオルです。

「でもこれは持ち込めないなあ……」

 裾除すそよけ(腰布)を脱いで籠に入れると、八尋は浴場に続く引き戸の脇に、手拭てぬぐいが山積みになっているのを見つけました。

 広げてみると、やっぱり魚柄です。

「この魚、なんて種類だろ?」

 八尋は帰ったら図鑑で調べてみようと思いました。

 形はちょっと違うかもしれませんが、大体の見当はつくはずです。

 そして手ぬぐいで股間を隠しながら浴場の引き戸を開けると……

「露天風呂だ!」

 正確には屋根つきの半露天風呂です。

 周囲の一部は竹垣に囲われて、艦隊が停泊している浮桟橋ぽんつうんからは見えないようになっていました。

 浴槽は岩風呂で、島に見立てた大石が中央にまれています。

「にごり湯なんだね」

 いかにも怪我や病気に効きそうな、硫化水素臭のある典型的な硫黄泉です。

 八尋は木製の風呂桶で丁寧ていねいにかけ湯をして、爪先からゆっくりと入ります。

 白濁はくだくしたお湯をかき分けながら歩くと、屋根が切れて広い夜空が見えました。

「うわあっ…………!」

 横浜の明るい夜空とは比べものにならない満天の星空。

 魔海対策局本部が郊外にある恩恵おんけいもありますが、弥祖皇国は電化が始まったばかりで、市街地に星を隠すほどの照明が存在しないのです。

「月もあるね」

 しかし八尋が知っている月よりもサイズが小さく、模様も違う気がします。

 星座も探してみましたが、星が多すぎて判別できません。

 その代わり天の川はありました。

「この石、寄りかかるのに丁度よさそう」

 八尋は手ぬぐいを頭に乗せ、お湯にゆっくりと体を沈めて大石にもたれかかると……。

「ぐぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ~~~~っ」

「⁉」

 となり宝利命ほうりのみことが横たわっていました。

「なんておいしそうな板チョコ……!」

 長い黒髪を手拭てぬぐいでまとめた宝利は、大石を枕にして、お湯に半身を浮かべています。

「ここまで大きいと、板チョコじゃなくてカレールゥだね」

 温泉に浮かぶ筋肉の列島を、八尋はじっくりと思う存分堪能たんのうしました。

 カレールゥもといマッチョの腹筋を間近で見られるなんて、そうそう機会があるものではありません。

さわっても大丈夫かな?」

 思わずピクピク動くっぱいに手が伸びます。

「……むっ、八尋か?」

 触れる寸前に、宝利が目を覚ましてしまいました。

「わあっ⁉」

「や……八尋⁉ すまん失礼した!」

 後ろを向いて、宝利は逃げるように湯から上がろうとします。

 頭に巻いた手ぬぐいをほどいて、長い髪で背中の傷を隠すのを忘れません。

 そこで突然、動きが止まりました。

「ぐっ……むうう……っ」

「ひょっとして、まだ痛むの?」

 八尋はようやく、足の怪我が治りきっていないと気づきました。

「結構無理してたんだ……」

 八尋も中身は男の子なので、男のプライドなら身に覚えがあります。

「まだ出なくていいから一緒に入ろ?」

「いや、しかし八尋は……」

「そっか、忘れてた!」

 ようやく気づいたようです。

 そうです、いまの八尋は女の子なのです。

 そして裸の上半身をさらしていたのを思い出し、あわてて肩までお湯にかりました。

「ここはにごり湯だから、お湯に入れば見えないよ」

 筋肉への絶対的な信頼で警戒心の欠片かけらも持たない八尋。

 そこにはヒーローを見るような、キラキラと光るつぶらな瞳がありました。

 この期待を裏切ったら男としてナニかが死ぬ。

 そんなピュアな視線です。

「八尋は平気なのか?」

「なにが?」

吾輩わがはい男子おのこで、八尋は女子おなごではないか」

 この状況で悲鳴を上げないご婦人なんて、弥祖皇国には存在しません。

「ぼく、男だよ?」

 八尋にはまだ女体化の自覚が足りていないようです。

「どう見ても女子ではないか。明け方に……いやなんでもない」

 海でおぼれる全裸の八尋を助けた時は、非常時だった事もあり、宝利はなにも感じませんでした。

でも今回は違います。

 未成熟とはいえ裸の女子と向き合うなんて、宝利には自制心を維持できる自信がありません。

 八尋のお子様体形で劣情を刺激されたりはしませんが、問題はそれ以外の感情でした。

 このピコピコ動く頭をなでくり回したい、モフモフしたい、ムチュムチュなホッペをプニプニしたい……そんな不思議な感情に支配されるのです。

「いまは女の子だけど、元の世界じゃ男だったんだ」

「…………いまなんと申した?」

 思わずふり向きかけた宝利でしたが、筋力と根性で無理矢理(おさ)え込みます。

「だから、元は男なんだよ」

「………………………………………………………………⁉」

 宝利はまず耳を疑い、次に意識が現実から乖離かいりしました。

「……宝利?」

「むっ…………?」

「ぼくが女の子になった理由だけど、なにか知ってる?」

「い……いや、その…………吾輩にはわからぬ」

 遠ざかった意識を強引に現実へと引き戻し、しどろもどろに会話を続行する宝利。

 理性はとっくにオーバーフローしていますが、そこは筋肉と根性で我慢我慢。

 本当に男の子だったらモフれたのにと思ったのはナイショです。

「そもそも吾輩は、蕃神様の事を大して知らぬのだ」

 蕃神に関する詳しい情報は、女皇と魔海対策部しか知らない国家の機密事項です。

 報道では蕃神たちの活躍が大々的に喧伝けんでんされていますが、その内容は全て政府の発表に頼っていました。

 そして今日まで部外者だった宝利は、一般に広まっている記事や物語でしか蕃神の事を知らないのです。

「姉上はなんと申していた?」

「そういえば、なにも言われなかったと思う。姉ちゃんたち、ちゃんと玉網さんに伝えてないのかな? ぼくも玉網さんにいってないし……」

 実はその通りで、玉網媛はまだ八尋を女の子だと思っています。

 八尋たちは翡翠しょうびんでの行動を制限されていたので、忙しく走り回る玉網媛に詳細しょうさいを説明できず、夕食のご馳走を見てすっかり忘れていました。

「あとで聞いてみよう。姉上が知らずとも、母上ならわかるやもしれぬ」

 古来より蕃神とつき合い続けた一族の長なので、女皇じょおうだけに伝わる記録や伝承が存在しても不思議ではありません。

「ぼくも、あとで玉網さんに聞いてみるよ。それでわからなかったら……」

 歩の予想通りなら、八尋たちはもうすぐ元の世界へと帰ってしまいます。

 そして次にこの世界にくるのが、いつになるのか、八尋は知りません。

「吾輩が姉上を通して、母上に聞くのだな?」

「うん、お願い」

 ほおを赤らめつつ肩をすくめてお願いする八尋の姿に、宝利は胸が高鳴りました。

 いわゆる『なんだろうこの可愛い生き物?』です。

「そうだ、悪樓あくる退治だが、次からも吾輩が参加できるようになったぞ」

 宝利は苦しまぎれに話題を変えました。

「ほんと⁉」

 八尋の顔がパッとかがやきました。

 宝利は八尋が男と知りつつも、その笑顔に思わずときめいてしまいます。

「う……うむ、ここの局長を引き継ぐ事になった。姉上は神官長職だけでも十分多忙であったからな」

「そっか。走り回ってたもんね」

 おまけに何日も徹夜したあげく、小早するうぷで飛び回っています。

「だが権力は相変わらず姉上がにぎっておる。いわば吾輩は傀儡かいらいだ」

「そんな事ないよ! 宝利はいっぱい助けてくれたもん!」

 嵐の海から我が身をていして救助してもらい、悪樓釣りでも落ちるところを助けてもらいました。

 八尋にとって宝利は、あこがれのスーパーヒーローなのです。

「いや、それは海の男として当然の事をしたまでだ」

 長く暮らした翡翠の乗組員たちに『溺れる者は敵味方を問わずたすけよ』と教え込まれた宝利です。

 相手が年若い女神とあっては、なおさらでしょう。

「当然っていいながら、なにもできない人はいっぱいいるよ! ぼくだって……」

 思わず立ち上がってしまい、宝利を赤面させる八尋でしたが……。

「……⁉」

 その瞬間、八尋は強烈な立ちくらみに襲われました。

「あっ……あれれ?」

 視界がぐるぐると回転して、周囲の風景が沈みます。

「……八尋?」

「これって、あの時と同じ……?」

 どうやらお迎えがきたようです。

 八尋は『もうちょっとだけ宝利の僧帽筋そうぼうきんおがみたかったなあ』と不純な未練みれんを残しつつ、暗闇に身を任せました。

『大丈夫、きっと帰れる……けど……』

 実のところ、女の子のまま帰ってしまう方が心配でした。

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