第五章・魔海対策局温泉旅館【なのりそ庵】・その二
魔海対策局本部棟【なのりそ庵】の最上階には、蕃神専用の設備が存在します。
宿泊用続き部屋の【隠根之間】と、食事処の【時合之間】。
「……これなんて旅番組?」
魚柄の浴衣に着替えた八尋たちが時合之間に入ると、仲居風の職員さんたちが色とりどりの料理を運んできて、長大な台盤(饗宴用の大きな食卓)に並べている最中でした。
「先ほど近隣の漁師より、水揚げしたばかりの鯛をいただきました。お好きなお席でお召し上がりください」
室内には真っ白で金糸銀糸を散りばめた小紋を着る玉網媛が、三つ指をついて八尋たちを待っていました。
神官長を務めるだけあって、礼の作法は完璧です。
「女将さんみたい~」
「………………………………」
八尋は無言で見惚れていました。
マッチョだけでなく、年上美女にも滅法弱いのです。
「席決めしようぜ!」
修学旅行のノリで、歩がジャンケンのポーズをとりました。
「歩が部長なんだから上座に決まってるでしょ! 面倒だから、こっちの上座から歩と私、そっちは風子さんと八尋くんでいいじゃない!」
空腹なのは全員同じですが、昼間に吐きまくった小夜理は胃と喉と心が荒んでいました。
艦を降りたからには、一刻も早く胃袋に食べ物を詰め込みたいのです。
「あれ? 宝利はいないの?」
今回の立役者が一名欠けています。
「時合之間は蕃神様の専用食堂ですから」
玉網がお茶碗にご飯をよそいながら答えました。
「宝利は執務室にてお勤めに励んでおります」
局長職の引継ぎや翡翠の改装申請などで、書類仕事に追われているのです。
「わたくしもお食事は別室にてとる事になっております」
「そうなんだ……」
八尋は、みんなでワイワイ宴会するものとばかり思っていました。
「いたら面白かったのにね~」
ガッカリする八尋と風子ですが、その想いはそれぞれ異なります。
もちろん風子は、浴衣姿でイチャイチャする八尋と宝利が見たかっただけです。
「なにはともあれ、いただきましょう。ほら歩、席に着いて!」
小夜理は空腹だけでなく、吐いた後の口臭が気になって堪りません。
料理に香草が添えてあるので、真っ先に食べるつもりでした。
「わかったわかった。じゃあ、いただきまーす」
「「いただきます」」「いただきま~す」
歩の音頭に合わせて、他の三人も箸を取ります。
「あれ? これってタイなの?」
和船を象った器には、漁師が持ってきたという鯛の姿造りが盛られています。
でも八尋の知っている鯛とは、ちょっとだけ違う気がしました。
全体的には鯛に見えるのですが、あちこちトゲトゲが生えていて、小さいとはいえ悪樓を思わせる姿をしています。
「名前は同じでも、日本の魚とはちょいと違うらしい。他の魚もみんなそうだ」
「これが大きくなると悪樓になるのかな……?」
「さぁな。でも味は俺たちの世界と一緒だし、なんでもいいじゃねぇか。腹なんか壊さねぇし旨ぇから安心して食っていいぜ」
「じゃあ食べる~」
一番に箸を伸ばしたのは、やはり風子でした。
つまんだ刺身を小皿の醤油(材料は不明)に浸して、ポイッと口に放り込みます。
「おいしい~!」
満面の笑みを浮かべる風子を見て、八尋も刺身を食べてみました。
「ホントだ、おいしい」
新鮮なせいか身に甘味があって、なにより食感がプリプリしています。
「こっちはカンパチか。おっ、カマスの塩焼きもあるぜ」
「このエリザベス女王みたい魚は~?」
鯛の隣には、別の魚が尾頭と大きなヒレつきで飾られていました。
「ミノカサゴですね。形はちょっと違いますが、さっき私が使ったのと同じ魚です」
「おいしそう~」
「色々あるんだね」
魚料理が大きなお膳いっぱいに、ところ狭しとお花畑のように並んでいます。
「蕃神様方のご所望で、昔から海鮮料理をお出しする決まりとなっております」
女将もとい玉網媛が答えました。
「蕃神は釣りバカ揃いだからな。異世界の魚なんて滅多に食えねぇし」
普通は一生食べられません。
「プロの板前さんが作る船盛りなんて、庶民の私たちはそうそう口にできませんしね」
なのりそ庵がかつて旅館だった頃からの板前さんなので、その腕前は三ツ星級です。
「いやいや普通は素人の刺身だって食えねぇぜ?」
自分で釣った魚を食べるのが好きな歩は、料理の好みが小夜理と少し違うようです。
「それなら歩が捌けばいいじゃないですか。いつも私にばかり……」
「内蔵抜き手伝ってるじゃん。それにマキエが捌いたのも結構旨ぇしな」
「褒めたって、なにも出ませんよ?」
ツーンとそっぽを向く小夜理でした。
本職の板前さんと素人の中間に位置づけられているのが、お気に召さないようです。
「お刺身って、切る人で味が違うの?」
「天地の差だ。刺身は素人とプロじゃ全く違う味と食感になるんだぜ。もちろんマキエみてぇなセミプロもな」
切り口が粗いと旨味が損なわれるのは、魚料理の常識です。
「プロが作った方がおいしいの?」
「旨ぇけど自分で釣って自分で捌くのも格別だ。八尋もキュウセン捌きたがったろ?」
「ああ、あれね……」
思い入れのある魚を自分の手で調理したいと思うのは、釣り人の業というものです。
「よし悪しじゃねぇ。同じ魚でも調理人や捌き方で、色んな味を楽しめるのが、釣り料理の醍醐味ってぇもんじゃねぇかな?」
「じゃあ今度ぼくもやってみるよ」
後日スーパーでマグロの切り身を買おうと決心する八尋でした。
「切り身じゃ練習にならねぇだろ」
見透かされていました。
「あ、そっか」
解体から始めないと、練習の意味がありません。
「魚屋とかで丸ごと売ってるのを買うんだ。ウロコと内蔵取った調理済みじゃないやつ」
「そんなのあるの?」
「今度教えてやるよ。ハナダイ(チダイの関東名)なら安いし、気の利いた店ならメバルやイナダ(ブリの若魚)、たまにチヌ(クロダイ)なんかも扱ってる」
冷凍されていない魚を保冷袋に入れて、氷を詰めた袋で冷やしつつ運ぶのがコツです。
「そんな事いわれても、まだ魚の種類なんてわかんないよ」
「部室小屋に図鑑あるから明日貸してやるよ。夢が膨らんで楽しいぜぇ」
図鑑にはロマンが詰まっているのです。
小さいのを枕元に置くだけで、枕に敷く宝船の絵のように、いい夢が見られそうす。
「長話してると~、わたしがみんな食べちゃうぞ~」
料理は四人でも食べきれない量ですが、風子は独り占めする気満々です。
「ちゃんと味わってくださいよ」
小夜理は板前の端くれとして、刺身の早食いを見過ごせません。
「おっといけねぇ、食おう八尋。魚種は俺が教えてやっから、腹に夢と食いもんをたっぷり詰め込もうぜ」
そう言ってカマスの塩焼きに箸をつける歩。
八尋もお椀の味噌汁をかき込みました。
「あっ、これなんだろ?」
味噌汁にはワカメらしきものが入っていますが、海藻は形が違うと食感も変わるので、本当にワカメなのかはわかりません。
しかし八尋は、未知の食べ物も悪くないと思いました。




