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第四章・八尋和邇・その一

宝利ほうり、大丈夫?」

 八尋やひろを抱えて倒壊する消防番屋から、海鮮問屋の屋根へと飛び移った二人ですが、咄嗟とっさの跳躍で体勢を崩した宝利が着地に失敗し、右足首を痛めていました。

「ごめん、ぼくのせいで……」

「気にするな。しかしもう、あとがないな」

 ヒラメ悪樓あくるはギンポのはりで口内かのどを傷つけられたのか、暴れて周囲の木造建築を壊して回っています。

 二人がいる建物が倒壊するのも時間の問題でしょう。

「八尋、お主は自力で、あの屋根まで跳ばねばならん。できるな?」

 宝利の視線の先に、頑丈そうな高い石造りの銀行がありました。

 そこまでたどり着けば、翡翠しょうびんの飛行甲板まで一度の跳躍で届きそうです。

あゆむ殿たちの釣りを見たであろう? ヤワな建物では悪樓を取り込めん。八尋はどうあっても翡翠に戻らねばならぬのだ」

 悪樓釣りに慣れた歩と小夜理さよりですら、取り込みだけは甲板で行っています。

「あの建物で釣っちゃダメなの?」

 銀行らしい建築物は、レンガではなく石造りで、いかにも頑丈そうに見えました。

「ハゼならともかく、ヒラメは無理だろう」

「あれって、そんなに重いの?」

 いままで巨大なハゼが簡単に釣れていたので、八尋の感覚はおかしくなっていました。

 ヒラメ悪樓の重量が想像できないのです。

「軽くとも百トン近くあるだろうな。翡翠でも受け止めきれるか、吾輩には保証できん」

「うわあ…………」

 八尋は頭がクラクラしてきました。

「だから吾輩をここに残して先に行け。お主ならできる」

 いわゆる死亡フラグです。

 ヒラメにパックリ食べられる宝利の姿が頭に浮かびます。

「無理だよ! たとえ跳べても、宝利を残して行けないよ!」

「心配は無用だ。蕃神ばんしん様ならともかく、吾輩には魔海など地上と大して変わらぬ。息はできずとも、あの銀行に飛び込んで階段を昇ればよいだけだ」

 八尋を安心させたい一心でいた、あからさまな嘘でした。

 この世界のネコミミ人間は魔海の中で浮力を得られませんが、その代わり、魔海の底を地上と同じように走れます。

 しかし宝利は足首を痛めているので、階段を上りきるまで息が続くとは思えません。

わりぃ八尋! ヒラメを誘導しようと思ったんだが、あっさり喰われちまった!』

 歩のネズッポもやられたようです。

「助けて! このままじゃ宝利が……」

『いまから魚を送っても間に合わねえ。自力でなんとかしてくれ』

 周囲の高い建物がヒラメ悪樓に壊されて、八尋たちのいる区画は孤立していました。

 ギリギリで届きそうな屋根があっても、夕方の強い海風にはばまれて、長距離を跳ぶのは難しそうです。

「そうだ翡翠……」

 飛行甲板で伝馬船こっとるの準備を進めていますが、発艦に手間取っているようです。

「わあっ⁉」

 海鮮問屋の柱に限界がきたのか、屋根がかたむきました。

 転びそうになる八尋を、宝利がくじいた足で支えます。

く行け!」

 どうにかして八尋だけは脱出させようと、宝利の口調があらくなります。

「ダメだよ! 一緒じゃなきゃ絶対逃げない!」

 ヤケになった八尋が、宝利を抱えて肩にかつぎ上げました。

「ぬおっ⁉ なんと!」

 八尋は肉体こそ貧弱ですが、神力で疑似的な力持ちになっています。

 二メートルを超える巨躯きょくとはいえ、ただの人間に過ぎない宝利を持ち上げるくらいは造作ぞうさもありません。

「くにょおおおおぉぉぉぉっ!」

 とても高校生男子とは思えない、なんとも可愛らしい雄叫おたけびでした。

「……持ち上がった!」

 咄嗟とっさの事とはいえ持ち上がったのなら、あとは跳ぶだけ。

 八尋は両足に力をめて、なけなしの勇気をふり絞って跳躍しました。

「釣力、招ら……うわっ⁉」

 屋根を蹴る直前に、暴れ狂うヒラメが海鮮問屋に飛び込んで、その衝撃で跳躍の狙いが外れました。

「しまった!」

 二人は見当違いの方向に跳んでいました。

 着地点の街道には、薄緑色に光る魔海が広がっています。

 魔界に落ちても蕃神である八尋なら、浮くだけなら可能かもしれません。

 着水点のすぐ近くに建物があるので、泳げない八尋でも助かる可能性はゼロではありませんが、宝利は魔海をすり抜けて、神力による減速もできず、地面に叩きつけられてしまうでしょう。

「そんな……嫌だよ……!」

 勇気や根性に自信のない八尋ですが、宝利を犠牲にしてまで生き残るなんて絶対に嫌です。

「誰か……助けて!」

 打つ手を失って見上げると、青空に一点の光が目に入りました。

「…………?」

 光が急激に強まりました。

 なにかがこちらに向かって飛んできます。

「宝珠⁉」

 空中で減速した光が八尋の脇腹に飛び込んで、ベルトの神楽杖に装着されました。

 破壊されたギンポの宝珠とは比較にならない業務用特大サイズです。

 そして八尋が命じるでもなく、勝手に中身が飛び出しました。

「う……うわああああぁぁぁぁぁぁぁぁっ‼」

 魔界に巨大な水柱が上がりました。

『なんだありゃ⁉』

 爆発的な高波で周囲の木造建築が軒並み崩れ去り、宝珠の魚が尾ビレで八尋たちをふんわりと受け止め、跳ね上げました。

「わあっ!」

 真っ白で巨大な背中に落ちる八尋と宝利。

 片足の効かない宝利が落ちそうになりますが、八尋は無意識に神力を働かせ、魚体に足裏をピッタリと張りつかせて、宝利の腕をつかんで引き上げました。

「なに……これ?」

 波が収まった時、二人はとてつもなく巨大な魚に乗っていました。

「これ、魚なの……?」

 クジラのたぐいではありません。

 海棲哺乳類の尾ビレは水平ですが、この魚は垂直に立っています。

「悪樓ではないようだが……」

 サイズからして悪樓としか思えませんが、宝珠から現れたなら八尋の味方。

 海面に出た背中からでは全体を把握はあくできませんが、数十メートルはありそうです。

『二人とも無事か⁉ こっちはトドの宝珠に切り替えてそっちを見てる』

 遠くから二人の様子をうかがっていた歩から通信が入りました。

 トドは大型のボラを指す別名です。

 歩のトドは五メートル(実物なら五十センチ)以上もある大物で、このひたいの平らな魚で八尋たちを救助する作戦だったのでしょう。

「歩さん……これ、なんて魚かわかる?」

 とてつもなく大きくて、その肌はヤスリのようにザラザラしています。

『…………サメだ』

「サメ⁉」

 サメの仲間は肉眼で見えないほど小さく硬いうろこを持っていて、サメ肌と呼ばれるほど表面がザラザラしています。

 クジラ目(鯨偶蹄目)の哺乳類がゴム状の皮膚で水の抵抗を軽減するように、サメ肌で海中をすべるように泳ぎ進む仕組みを持っているのです。

『しかもただのサメじゃねぇ。シロ……いや、こりゃヒラシュモクザメだな』

 シロシュモクザメとヒラシュモクザメは、平たい頭部の形状で見分けられます。

「シュモクザメ……?」

 八尋はシュモクザメならTVで見た事があるので、飛行機の尾翼みたいな、特徴のある平たいトンカチ状の頭部が印象に残っていますが、ヒラシュモクザメなんて名前は聞いた事がありません。

『英名はグレート・ハンマーヘッド。最大記録は六・一メートル』

 シュモクザメ科における最大級の軟骨魚類で、日本の領海内にも棲息せいそくしている魚です。

「じゃあ、これって……」

『たぶん五十メートル以上あるなぁ』

 ちょっとした潜水艦ほどもあるビッグサイズでした。

 元の大きさは五メートルほどなので世界記録にこそ及びませんが、かなりの大物です。

「これならヒラメに勝てる?」

 ヒラメ悪樓の体長は約三十メートル。

 全長でまさっているだけでなく、質量の差にいたっては、もはや比較にすらなりません。

『勝てる勝てる! そいつの好物はアカエイだ。小ソゲなんざ敵じゃねぇ!』

 アカエイの体長は、尾を除いても一メートルはあります。

 最大級のヒラメと同じくらいの大きさで、砂に潜る習性や横に平たい体形も似通っているので、シュモクザメにとってヒラメは喰いつきやすい魚といえるでしょう。

「殿下~~~~っ!」

 遠方から伝馬船こっとるが近づいてきました。

 救助隊がようやく到着したのです。

「よくきてくれた! 八尋、一緒にこい!」

「ええっ⁉ でもサメが……」

「翡翠に戻った方が釣りやすかろう」

 ヒラメをどうにかしようにも、周囲の建築物では足場が弱くて引き上げられないので、どう足掻あがいても最終的には翡翠に戻るしかありません。

『八尋、神楽杖から出る糸は切れねぇし、障害物も関係ねぇ。いくらでも伸びるから、どんだけサメと離れたって共感にゃ影響ねぇぞ』

 状況を察した歩が助言をくれました。

「……わかった。ええと、ヒラシュ……ヒラさん、ちょっと待っててね」

 これだけの巨体なら、放っておいてもヒラメに喰いつかれる心配はありません。

 しかしサメの方は、おとなしく待ってなどくれませんでした。

「ああっ、勝手に泳いじゃう!」

『そりゃそうだ。この手のサメは泳がねぇと息ができねぇからな』

 回遊性のサメはえらが発達していないので、前進し続けないと呼吸ができないのです。

「そうなの? じゃあ、あんまり遠くに行かないでね」

 先に伝馬船へと乗り移った宝利に引き上げてもらう八尋。

 伝馬船には若い水兵さんたちが大勢乗り込んでいました。

「あっ……!」

 彼らを見た瞬間、八尋は凍りつきました。

 すっかり忘れていた男性恐怖症が、ついに顔を出してしまったのです。

「…………ふんっ‼」

 宝利がりきんで全身の筋肉を盛り上げました。

「あっ……♡」

 八尋の顔がほころぶのを見た水兵さんたちも、そろって筋肉を盛り上げました。

「おうっ!」

「ほあっ!」

「うりゃっ!」

 たちまちマッチョの群れができあがりました。

「ああっ、みんな結構逞たくましい……」

 どうやら筋肉がすべてを解決したようです。

「うむ。なぜか最近、体をきたえる者が多くてな」

 宝利が妙に鍛えまくって人間山脈と化したのを見て、真似をする水兵さんたちが続出したのです。

 さすがに宝利ほどの肉体美にはいたっていませんが、マッチョが集団で船内を埋めくす様は、まさにスペクタクル。

 上腕二頭筋は正義、大胸筋は愛。

 僧帽筋は《そうぼうきん》…………宇宙。

 この筋肉の満員電車に、八尋はやすらぎすら覚えていました。

「学校も、こんなだったらいいのに……」

 普段からマッチョなクラスメイト(男女)に囲まれた生活を夢見る八尋です。

「出発だ。そこの席に座れ」

 船内には、いかにも軍の装備っぽい簡素な長椅子がありました。

 宝利にうながされて長椅子のある船尾に向かおうとする八尋ですが、そこでヒラシュモクザメの事を思い出し、振り向いて船べりから手を振ります。

「ヒラさんありがとう! 助かったよー!」

 八尋のお礼に答えるように、巨大なサメは体を斜めにして泳ぎ去りました。

 軟骨魚類のヒラシュモクザメはうきぶくろを持たないので、肝臓の肝油だけでは十分な浮力が得られず、傾斜した体制で泳いで、他のサメより大きな背ビレで揚力ようりょくを発生させている、という説があります。

 海面から胸ビレを出してヒラヒラさせるシュモクザメ。

 手を振り返しているように見えて、八尋はまた手を振ってしまいました。

『八尋、ちょいと竿を伸ばしてみろ』

 インカムに歩の声が。

「まだ早くない?」

『いいからやってみろって』

 言われた通り、八尋は神楽杖を伸ばします。

 その瞬間、周辺の悪樓が、いまどこに、どれだけいるのかを、全て把握はあくできました。

「なにこれレーダー⁉」

『ロレンチーニびんってぇ感覚器官だ。魚の体内電流を探知できる』

 硬骨魚類に特有のロレンチーニ瓶は、エサとなる魚が隠れようが砂に潜ろうが瞬時に探知してしまう、超高性能センサーなのです。

 しかもシュモクザメのロレンチーニ瓶は特に発達していて、サメの中でもトップクラスの性能をほこっています。

「ヒラさんが教えてくれてるの……?」

 人間には未知の器官なので、本来なら受信はできても脳内での再現はできないはず。

 直接感覚が流れ込んでいるのではなく、サメの感情が八尋に整理された情報を伝えているのです。

 それはシュモクザメが、蕃神に長く使われた経験を持つ証拠でもありました。

「ひょっとして、かなりのベテランなのかな?」

 悪樓だけでなく、空中にいる翡翠まで捕捉ほそくできています。

 八尋はサメの感情が、軍艦を仲間と意識しているように感じました。

 あのヒラシュモクザメは竜宮船りゅうぐうぶねを知っているのです。

『古参兵か。鬼軍曹みてぇで頼りになりそうじゃねぇか』

「鬼軍曹……? ヒラさん女の子だよ?」

『わかるのか⁉』

 魚の性別にくわしい歩でも、シュモクザメの雌雄しゆうなんて見わけがつきませんし、八尋にそんな知識があるとも思えません。

「……なんとなく。ギンポの時はわからなかったのに……変かな?」

うらやましいな。それだけつながりがふけぇって事じゃねぇか?』

 サメにもサメなりの感情を持っていて、その中でもヒラシュモクザメは社会性を持つといわれています。

 神楽杖でシュモクザメと接続状態にある八尋に、彼女の気持ちが見えない糸を通して伝わってきました。

「うん、すごく嬉しそう」

 感覚を同調させている八尋も、なんだか楽しくなってきました。

 体がウキウキして、どこまでも泳いで行きたくなります。

れるぞ。つかまれ」

「わわっ⁉」

 突然、宝利に肩を抱きしめられました。

「甲板設備が壊れとる! 構わんから強行着艦しろ!」

「了解しました《あい・あい》!」

 悪樓の落下を受け止め続けてボロボロになった翡翠の右舷みぎげん飛行甲板に、伝馬船がドカンと衝突同然の着艦を決め、中にいる八尋たちも衝撃にさらされました。

「ぬうっ!」

 宝利の表情がゆがみます。

「まだ痛むの?」

 くじいた足に負担がかかったようです。

「なんのこれしき、どうという事はない」

 二人の水兵に肩を貸してもらって立ち上がる宝利。

 八尋は筋肉モリモリの腕から解放されて、ちょっとだけガッカリな気分になりました。

「吾輩は露天艦橋ふらいんぐぶりっぢに戻る。八尋は悪樓を頼む」

「わかった。あのヒラメ、絶対捕まえるよ!」

 伝馬船からふわりと飛び降りて、八尋は左舷ひだりげん飛行甲板のふちへと急ぎます。

 着地の寸前に神力で減速していたのですが、八尋はまだ気づいていません。

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