断章・その三
八尋たちがヒラメ悪樓と格闘していた、その頃。
海上を曳船で曳航されながら船渠に向かう玉髄の推進機関に、さらなる異変が生じていました。
「宝珠が異常振動しています! いえ、暴れています!」
「止められんのか⁉」
「無茶いわないでくださいよ! こんなの誰が止められるっていうんですか⁉」
「うむ、それもそうだ」
部下にいわれて冷静になる機関長さん。
最古参の機関長さんにもできないのに、若い部下に止められる訳がありません。
「振動増大! このままでは炉が割れます!」
宝珠の暴走なんて前代未聞です。
しかも推進機関には、炉心の宝珠が発する高熱を利用する熱交換装置が併設されていました。
「こいつはまずいな……」
暴走中の宝珠は推進機関の核として、とっくに役立たずとなっています。
なのに発熱量は絶賛増加中。
発電用の蒸気羽根車も稼働しています。
いま炉心が崩壊すれば、熱交換装置が大爆発を起こすかもしれません。
「総員、主機関室から退避!」
旧式艦の玉髄には、爆発事故の際に熱交換装置の圧力を外に逃がす爆発戸が装備されていないので、上甲板はもちろん、艦上構造物にまで被害を及ぼすかもしれません。
機関長さんは手近な伝声管を全て開き、あらん限りの声で警告を出しました。
「機関部が爆発するぞ! 全乗組員は艦首か艦尾に向かって走れ!」
『あとの誘導は任せろ! 儂は装甲艦橋へ行くから機関長も早く逃げろ!』
羅針艦橋で指揮を執っていた艦長さんが即座に返答しました。
玉髄の艦橋は前部だけで三つ存在し、状況によって使い分けられています。
屋上の露天艦橋や、艦長さんたちのいる羅針艦橋の下に、八尋たちがブリーフィングに使った、ぶ厚い鋼鉄の塊に囲まれた装甲艦橋があるのです。
爆発が起これば装甲艦橋も安全とはいえませんが、艦長さんには乗員の脱出を指揮する重責がありました。
『のちに総員退艦命令を出す。儂は最後の船になるが、共に乗らんか?』
死ぬなと釘を刺されてしまいました。
「ありがとうございます、艦長……」
艦長が退艦を決意した以上、機関長が先に死ぬ訳には行きません。
「俺たちもケツまくって逃げるぞ! 急げ!」
仲間を一人でも多く脱出させようと、最後まで機関の圧力を調整していた水兵さんたちに退去命令を出します。
その直後、宝珠の暴れっぷりに耐えかねて、ついに推進機関が崩壊を始めました。
慌てて作業を放り出し、隔壁の水密扉に向かうネコミミ水兵さんたち。
機関長さんは作業員が全員退出したのを確かめてから、最後の水密扉を閉じて厳重にロックをかけました。
「オンボロ玉髄もついに廃艦か」
騒ぎが治まれば船渠で解体されるか、標的艦として撃沈される運命が待っています。
ひょっとしたら、この事故で沈没してしまうかもしれません。
「俺っちも一緒に逝ってやるつもりだったんだが……悪いな」
機関長さんは閉鎖された機関室に向かって敬礼し、踵を返して走り出しました。
「でもまあ、いまさら他の艦に乗る気もねえな。これを最後に隠居するかね」
機関長さんには陸で十五年も待たせた細君がいるのです。
さすがにこれ以上は奥方を不幸にできないと、機関長さんは覚悟を決めました。
「帰って田舎で畑でも耕すか」
走りながら退官後の人生設計を始める機関長さん。
爆散する玉髄の上部構造物から飛び去る光る物体の噂を聞いたのは、退艦して曳船に回収されたあとでした。
「玉髄が爆発事故⁉」
霜降雀の船橋で船長さんの報告を聞いた玉網媛は仰天しました。
「はっ! 詳細は不明ですが、宝珠の暴走らしいとの事です!」
「損害は⁉ 乗組員は無事ですか⁉」
「幸い、人的損害は皆無との連絡がありました」
「よかった…………」
玉網媛は心底安堵しました。
人命に比べれば、旧式の安宅船など安いものです。
しかし玉髄は玉網媛が数年間過ごした仕事場であり別荘のようなもので、愛着がない訳がありません。
「玉髄はいまだ健在。もはや海上に浮いているだけの状態ですが、その後の経過次第で本部への曳航を再開するそうです」
「修理は……いえ、老朽艦ですし、廃艦になるでしょうね」
解体される前に、一目見てお別れを言っておきたいと願う玉網媛でした。
「進路を変更しますか?」
「いえ、いまは職務を優先しましょう。このまま翡翠に向かってください」
「了解しました。進路そのまま、湾内最大速度!」
その時、玉網の乗る小早の左舷を掠める物体がありました。
「宝珠⁉」
玉網媛はその正体を一目で看破しました。
そして玉髄が大破した原因も。
玉髄の推進機関に使われていた宝珠は古く、神話の時代に弥祖皇国の始祖となった釣王が釣り上げたと伝えられる、超大物の悪樓を由来とするものです。
一切の記録が残存せず、魚種は不明。
釣王以外の蕃神にこの宝珠を扱える者はなく、御所の宝物殿で保管されていたのですが、次期女皇と目される玉網媛の魔海対策局長兼神官長着任を機に、海軍へと貸与され、大改装を受けた玉髄の心臓部となった経緯があります。
「まさか……新たな主を見つけた? いえ、すでに知っていたのでしょうか……?」
いま思えば前兆はありました。
玉髄の推進機関が不調を起こした、あの時です。
あの宝珠は、新たな主の来訪を予期していたのでしょう。