第三章・魔の海で釣りをしよう・その五
『あいつどうすっかね? 並の小魚じゃ、また粉々に砕かれて終わりだぜ?』
巨大なヒラメ悪樓は、ベテラン釣り師の歩と小夜理でも手に余る難物でした。
小ソゲとはいえヒラメはヒラメ。
それなりの準備をしないと対応できそうにありません。
『獰猛なのはともかく、あの歯が厄介なんだよなぁ』
ヒラメの歯はとても鋭いのです。
ハードルアーなら金属製だったり硬い芯が入っていたりします。
ソフトルアーなら大きな鈎が芯になっているので、折れる心配はありません。
しかし宝玉から現れる魚は、硬い金属製の芯なんて持っていないので、簡単に喰いちぎられてしまうでしょう。
『イソメ類やユムシならどうです?』
多毛類などの無脊椎動物なら、寸断されてもすぐには死にません。
「いや、残念ながら持ってきてねぇ」
『私もです』
虫系の悪樓は滅多に現れないので、その宝珠は希少でした。
翡翠にある宝珠の箱には入っているかもしれませんが、包み紙に書かれている文字が消えかかっているので、探すのに時間がかかりそうです。
『尾ビレのトレブルフックだけ引っかければイケるかな?』
トレブルフックはルアーフィッシングなどに使われる、錨のように鈎を三つ束ねたもので、ギンポの尾ビレについていたのと同じです。
鈎は魚体より頑丈なので、曲がりはしても喰いちぎられる心配はありません。
『それにあいつ、擬態でどっかに隠れちまった。こりゃ探すのに手間がかかりそうだ』
建物の陰からヒラメを探す歩ですが、ネズッポの視力では捕捉できそうにありません。
ヒラメには体表の色素胞と呼ばれる斑紋が自在に大きさを変化させて、周囲の風景に溶け込む能力があるのです。
「こりゃ誘い出すしかねぇな」
探すだけでは埒が明かないので、宝珠の魚を囮にして誘き出す作戦になりました。
『もういいよー、出ておいでー』
歩は小学生の頃にかくれんぼで培った勘を頼りに、ヒラメ悪樓を探します。
口調がいつもと違うのは、人喰い鬼が旅人を騙すのと同じ仕掛けです。
ネズッポを十字路に向かわせると、側線に微妙な反応がありました。
『…………そこか⁉』
ヒラメ悪樓が七時の方角から襲ってきます。
慌てた歩はトレブルフックを出し忘れ、しかも反射的に回避してしまいました。
『うわっち、しくじった!』
悪樓はネズッポを追いかけようと反転し、勢い余って周囲の建物に衝突しました。
『やべぇ、確かそっちは……』
八尋と宝利のいる木造の消防番屋が、土台から倒壊しかけていました。




