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第三章・魔の海で釣りをしよう・その四

 現在の釣果は八尋やひろ風子ふっこが七尾、あゆむが十九尾、小夜理さよりは現在二十九尾目と格闘中。

 種類もハゼだけではありません。サビハゼやリュウグウハゼといったハゼ科の魚はもちろん、イソギンポやカエルウオなど、様々な魚が釣れています。

「慣れるとなんだか拍子抜けだね。大きいのに簡単に釣れちゃう」

 八尋はすっかり緊張が解けていました。

 ただし堤防のハゼと違って、悪樓あくる釣りにはコツが必要です。

 蕃神ばんしんたちにとっては軽くて引きの弱い小魚でも、実際の重量は十トン前後もあるので、 取り込む時はゴボウ抜きにして、必ず甲板に落とさなくてはいけません。

『ほら八尋くん油断しない! 後ろがどうなってるか忘れたんですか?』

 小夜理がしゃべりながら二十九尾目を釣り上げました。

「ごめんなさいそうでした」

 八尋の背後にある翡翠しょうびん伝馬船こっとる用格納庫はんがあは、巨大な悪樓が 何度も激突して、装甲板や鎧戸しゃったあがベコボコになっていました。

 初心者で不器用な八尋は、悪樓をうまく甲板に落とせないのです。

 ちなみに風子は鎧戸に一度ぶつけただけで、あとは全て甲板に落としています。

『せめて同じところをへこませてくださいね……よっと!』

 小夜理がまたなにか悪樓を釣り上げたようです。

 さすがは船宿の娘というべきか、胃の内容物をすべて吐き出して船酔いから覚めた小夜理は、すっかり悪樓釣りの鬼と化していました。

『三十尾目あがり!』

 大物がひそんでいる可能性が指摘されていますが、それは歩が張りきって探しています。八尋と風子は地道にハゼ釣りを続行中。

「ええと、確か魚は海底の起伏に……」

 悪樓はその数を減らした代わりに、臆病な個体が厳選されているようです。

 いままでは宝珠の魚を適当に泳がせるだけでヒットしましたが、そろそろ工夫をらさないと駄目かもしれません。

「……は無理か。市街地だもんね」

 シロギスは海底スレスレに、ハゼは海底にりついたり砂にもぐったりしますが、港町には砂地なんてありません。

「建物って捨て石の代わりになるんじゃ……?」

 八尋は堤防のハゼが砂地だけでなく、大小の石が転がるゴロタ場にもいたのを思い出しました。

 建築物には見せかけの岩や海藻が生えていて、最高の漁礁ぎょしょうと化しています。

「ひょっとしたら屋内にもひそんでる?」

 探せそうな場所は、まだいくらでも見つかりそうです。

 八尋は問屋街の建物沿いにギンポを着底させて、クネクネと踊らせながら少しずつ移動させました。

「ジャリメの真似まねをさせればいいんだっけ……?」

 実物を見た時は怖気おぞけが走ったものですが、自分で演じる分には怖くありません。

『どうやら宝珠のあつかいにも慣れたみてぇだな』

「うん、そうかも」

 魚眼で湾曲わんきょくした視界でも、それなりに周囲の状況がわかるようになってきました。

 動作もギンポがあらかたやってくれるので、不器用な八尋にも簡単に操れます。

『だが集中しすぎんなよ。海中に気を取られてっと甲板から落ちるぞ』

「スマホしながら自転車乗るようなもの?」

『そうそう。油断で一生を台無しにするなんて馬鹿は絶対やるなよ』

 もっとも八尋は歩きスマホなんてやった事がありません。

 立ち止まらないとマップの確認すらできないほど不器用なので、周囲に気を配りながらの手作業は苦手なのです。

「ここにはいないかな?」

 しばらく待って魚が現れなければ即移動、探しながら釣るのがミャク釣りの極意です。

 八尋は堤防でのハゼ釣りで、オモリを使った海底の探り方を覚えていました。

 砂地のうねりや海藻、捨て石の間などを、竿を通して感触で探索する方法です。

 ちなみにミャク釣りとはウキを使わず竿先の感触で釣る釣法ちょうほうの総称。

 おおまかなくくりですが、釣り人はミャク釣り派かウキ釣り派の、どちらかにかたよるのが普通です。

「……あっ!」

 尾ビレの先に、なにかが喰いつきました。

「そうだ針!」

 ギンポはライギョのような体形で背ビレと尻ビレが長く、尾ビレの小さい魚です。

 体表にヌメリがあるので、素早くはりをかけないとスッポ抜けてしまいます。

 八尋は慌てて尾ビレから三つ又の鈎を出しましたが、もはや手遅れ。

 これを釣り用語で【バレる】といいます。

「うぬ~~~~っ」

 ふり向くと、ハゼ悪樓はギンポの目の前でふん(口)をパクパクさせていました。

 ギンポの眼球は側面にあるので、ちょっと体をひねるだけで背後が見えます。

「だったらこうだ!」

 八尋はギンポを百八十度反転。

 一気に突撃させて、ハゼ悪樓の口吻こうふんに飛び込ませました。

 まさかえさの方からやってくるとは思わず、驚いて暴れ出す巨大なハゼ。

「かかった!」

 ハゼに負けずと暴れ回って強引にはりをかけると、八尋のギンポはハゼ悪樓の吻から顔だけ出した状態で安定しました。

「あっ……これ、なんか具合いい」

 喰われている最中なのに、なぜか安心感を覚える八尋です。

「…………そうだ釣りしなきゃ」

 自分の仕事を思い出して、大急ぎでリールを回します。

「あれ? この魚、全然動かないよ?」

 ハゼが地面に貼りついて離れません。

『ああ、それな。ハゼの腹ビレは吸盤になってんだ』

「くっついてるの⁉」

 小さく弱いと思っていたハゼに、こんな仕掛けがあったとは驚きです。

『そいつで石とかに体を固定して、流されねぇようにしてるらしい。だからハゼは流れの速い汽水域きすいいき(淡水と海水が混ざった河口域)にも住めるし、上流にもハゼ科の魚は多い』

 ヨシノボリやヌマチチブなど、淡水に棲むスズキ目ハゼ科の魚は数多く存在します。

「どうすればいいの?」

『引っぱりゃいいだろ』

 この世界の人間ではクレーンが必要な作業でも、蕃神の怪力ならゴボウ抜きです。

「ちぎれちゃうんじゃない?」

『ハゼの力じゃ糸は切れねぇ。つーか、この糸は切れた試しがねぇ』

「いや吸盤が……」

 八尋はハゼの体を心配していました。

『大丈夫! ちょっとやそっとじゃちぎれねぇから、ガッとやれガッと!』

「うん、ガッとね……よっと!」

 勢いよく竿を立てると、ハゼの吸盤は簡単に外れました。

 しかし急に竿が重くなって、いままで釣ったハゼとは違う感触があります。

「また動かなくなった?」

 不思議に思って再度竿を立てると、鋭い触感と共に抵抗がなくなりました。

 同時にギンポをくわえる吻の力が弱くなります。

 まるでハゼの質量が半分になったような……。

『八尋! たぶん後ろになにかいるぞ!』

 ギンポはハゼに半分飲み込まれているので、背後でなにが起こったのかわかりません。

 八尋が見えない糸にかける力を抜くと、物理的に軽くなったハゼ悪樓が、ギンポと一緒に海底でゴロリと転がりました。

『俺が探してた大物! きっとそいつが魔海のヌシだ!』

 おそらく八尋がヒットさせたハゼ悪樓は、後ろからきた何者かに食いちぎられて、体の後ろ半分を失っています。

「なにあれ……?」

 転がった時に反対方向を向いたので、歩が言っていたヌシの姿が見えてきました。

 ギンポの魚眼に移ったのは問屋街の十字路。

 しかし地面が妙に盛り上がっています。

 十字路にカエルのような二つの目玉が開きました。

「……あっ!」

 次の瞬間、道路上に現れた巨大な吻に喰いつかれました。

 鋭い歯がハゼ悪樓の上半身を噛みちぎり、中のギンポにギリギリと食いこみます。

「わあっ! 痛い痛い痛い痛……くない?」

 魚類は痛覚の仕組みが異なるので、人間の脳では処理しきれません。

 でも八尋は、痛くないのに痛いような気がしました。

 苦しむギンポの感情が糸を通して伝わり、八尋と共感しているのです。

『ヒラメだ……』

 近くにきていた歩が、屋根の上から自分の目で十字路の怪物を確認しました。

 ヒラメは地面に擬態していますが、人間の脳と視神経が持つ高性能な識別能力が、海底にうごめくシルエットを見逃しません。

『三十メートルくれぇか? こりゃ小ソゲだな』

 宝珠から飛び出す魚は、八尋の知っているものと比べてスケールが約十倍。

 悪樓なら通常の百倍に達するので、三十メートルのヒラメは決して大きくありません。

 ヒラメは出世魚で、大抵は三十センチ以下のヒラメは小ソゲ、四十センチ以下一キロ未満ならソゲ、二キロ未満は大ソゲ、それ以上がヒラメと呼ばれます。

『そいつの歯はするでぇぞ! 耐えろ八尋!』

 ギンポを暴れさせるとヒラメ悪樓も負けじと暴れます。

 尾ビレがレンガ造りの建物に当たって壁を粉砕しました。

「無理だよちぎれちゃう!」

 そう言いながらも八尋は竿から手を離しません。

 なけなしの根性をふりしぼって、釣り人の本能で竿を立てました。

 ギンポはハゼ悪樓に喰われているので鈎が役に立たず、そのハゼの上半身にヒラメの歯が食い込んで離れません。

「あっ!」

 次の瞬間、ギンポとの接続が絶たれました。

『ハゼがやられた!』

 ハゼ悪樓の上半身が宝珠となって粉砕されるのを、歩のネズッポが目撃します。

 同時に、八尋の神楽杖に装着されていた宝珠がバラバラに砕け散りました。

「ギンポが……!」

 八尋は強制的に接続が絶たれた影響で眩暈めまいを起こし、双繋柱ぼらあどつまづいて飛行甲板のへりから空中に投げ出されました。

「うっ、うわあぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 落ちたはずみで感覚を取り戻した八尋ですが、体が回転して、もうどちらが上かもわかりません。

『ヘソの下に力を入れろ!』

「⁉」

 歩に従って丹田たんでんに力をめると、降下速度がふんわりとゆるやかになりました。

 これは神力の効果なのか、それとも釣力によるものなのか。

「こ、これからどうするの⁉」

 落下がゆるやかになっても回転は止まりません。

『両腕をバッと広げりゃ止まる!』

 無重力下で不規則回転した時の基本動作です。

「こ……こう?」

 両腕を広げると、回転速度が落ちました。

 しかし真下は悪樓蠢うごめく魔の海域。

 蕃神は魔海の中でも浮けますが、八尋は泳げません。

『八尋殿おぉぉぉぉ~~~~~~~~っ!』

 仰向あおむけの姿勢で安定した八尋の視界に映ったのは、露天艦橋ふらいんぐぶりっぢから身を投げ出して右手を伸ばす黒龍子の姿でした。

 神力由来の黒い光跡をロケット噴射のようにたなびかせ、急加速する宝利命ほうりのみこと

そして両手を広げて急減速。

 八尋を抱き止めた宝利は、神力キックをドカンと噴射、真横へと方向転換しました。

『うぉりゃああああぁぁぁぁぁぁぁぁっ!』

放物線を描いて宙を舞う八尋と宝利。

『うわー、愛の力ってすげぇなぁー』

 宝利は感心する歩の声をよそに、空中でさらに減速、魔海に浮かぶ赤煉瓦れんが倉庫の屋根瓦を砕きつつ、転がりながらのハードランディングを決めました。

「宝利……さん?」

 神官長代理として皇族として、いえ人として、あまりにも無謀な救出劇です。

「助けてやると申したであろう?」

 手入れの行き届いた前歯をキラリときらめかせ、ニヤリと笑う宝利。

 墜落同然の着地で背中が傷だらけですが、そこは漢の根性を振り絞って我慢我慢。

 幸い、派手な織柄おりがらや刺繍のほどこされた陣羽織が、血のあとを隠してくれました。

「ばっ……馬鹿ッ! 魔海に落ちたらどうするんだよ! ぼくは浮けるかもしれないけど、宝利さんは落ちたら死ぬんだよ⁉」

 魔海の中では神力が使えず、皇族といえども浮けません。

 着地に失敗したら浮力を持つ八尋を海面に残して、宝利だけが地上に激突していたでしょう。

「だが八尋殿は泳げんのだろう?」

「そ、それはそうだけど……」

 宝利が立ち上がると、屋根瓦の破片が背中からバラバラとがれ落ちました。

「返すぞ。まだこれが必要であろう」

「あっ……」

 いつの間に落としたのか、宝利のモフモフな尻尾に神楽杖がにぎられています。

「あ、ありがとう」

 受け取ろうとしたところで、八尋は宝利に抱き上げられている事に気づきました。

 いわゆるお姫様抱っこです。

「……降ろしてくれる?」

「おお、すまん」

 宝利は少し残念そうな顔で八尋を降ろそうとしましたが、突然の轟音と振動で中断します。

「まずいな。倉庫がくずれそうだ」

 ヒラメが先ほど粉砕したレンガの壁は、二人が現在立っている倉庫のものでした。

 倒壊は時間の問題です。

「あの塔屋とうやへ跳ぶぞ。つかまっておれ!」

 視線の先に、木造擬洋風建築の塔屋が見えました。

「うん!」

 八尋は神楽杖かぐらづえたたんでホルスターに戻すと、宝利の首に両腕を回してギュッと力をめました。

「行くぞ!」

 屋根をる反動と共に視界が流転するものの、筋肉に包まれる安心感は半端ではありません。

 八尋は宝利の神力……ではなく、ムキムキの筋肉を信頼しきっていました。

 二人は綺麗な放物線を描いて、無事に塔屋へと着地します。

「もう一度跳ぶぞ! 次は……」

 小さな塔屋は足場が悪く、釣りに向いていそうにありません。

「どこでもいいよ。宝利さんの行くところなら」

「そうだな。かくなる上は一蓮托生いちれんたくしょうだ。参るぞ!」

 屋根を崩壊させながら跳躍する宝利と、その首に抱きつく八尋。

「敬称などいらぬ! 宝利と呼び捨てよ!」

 源義経もビックリの八艘はっそう飛びで、二人の間には熱い友情(?)が生まれつつありました。

「うん宝利! ぼくも八尋でいいよ!」

 吊り橋効果ですっかりヒロイン気分の八尋ですが、中身はれっきとした男の子です。

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