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第二章・魔の海へ行こう・その四

 (あゆむ)に甲板へと連れ出された八尋(やひろ)が最初に目にしたものは、台風一過で晴れ渡った大空でした。

 ふり向けば青みがかった暗い灰色の前檣楼ふぉあとっぷと巨大な主砲塔が。

 そこかしこで甲板掃除中をしている水兵さんたちの姿も見えます。

「……ここって戦艦なの?」

「艦名は翡翠しょうびん。正確には戦艦じゃねえ、装甲帯巡洋艦に相当するらしい……いや航空巡洋艦だったかな?」

「ごめんわかんない」

 軍事知識のない八尋には、巡洋艦もイージス艦もみんな戦艦です。

「でも、どっかで見た事あるような……?」

「そんな事より下見ろよ。もっとすげぇもんがあるぜ」

 歩が八尋の腕を引いて、甲板の縁に案内します。

「そうなの? ……って、うわあっ!」

 視野いっぱいに広がったのは、雄大な海と、数多くの船に埋め尽くされた港でした。

 しかも俯瞰ふかんです。

「この船、飛んでるの⁉」

 港町は瓦屋根が大半ですが、時代劇で見たものよりサイズが大きく、文化的に進歩している印象がありました。

 木造だけでなく、モダン建築風の建物もあります。

竜宮船りゅうぐうぶねって呼ばれてる空飛ぶ船だ。普通の船もあるけど軍艦は飛ぶのが多い」

 大半の船が海面上にあるものの、空中に浮かんでいる船も少なからず見えます。

 その中には航行不能となって翡翠に曳航えいこうされてきた、象牙色の大型艦がありました。

 玉髄ぎょくずいです。

 いまは翡翠との曳航索けえぶるも外されて、たくさんの曳船たぐぼうとが取りついています。

 脚荷槽ばらすとたんくの不調で喫水きっすいが浅く、艦首の巨大な衝角らむが海面に浮かび上がっていました。

「そっか、どこかで見たと思ったら、三笠に似てるんだ」

 横須賀にある日露戦争時代の戦艦にそっくりです。

「あの船も飛ぶの……?」

 八尋の知っている軍艦は飛ばないのが普通です。

 横浜で見た海上自衛隊の護衛艦はもちろん、横須賀で見たアメリカ海軍のイージス艦や空母(強襲揚陸艦かもしれません)が空を飛ぶ姿なんて、見た事がありません。

 八尋は船べりから身を乗り出して翡翠の側面を確認しますが、どこにも翼が見当たりません。

 速度は遅く、飛行というより浮遊しています。

「歩さん、ここ…………どこなの?」

 八尋が知っている日本の港ではありません。

 もちろん世界中を探しても、空飛ぶ軍艦なんてどこにも存在しないでしょう。

「ここって日本みたいだけど、日本じゃないよね?」

「日本どころか地球上じゃねぇ」

「じゃあ、どこなの?」

「異世界に決まってんだろ」

「異世界⁉」

 頬をつねったら痛かったので、夢ではないようです。

「夢じゃねぇよ、ここは異世界だ。俺とマキエは何度もきた事がある」

「うわあ……………………ラノベみたい」

 というか、漫画やアニメでしかありえない光景です。

「ラノベみたいな異世界だけど、異世界なら仕方ないよね……?」

 ここは異世界。八尋はとりあえず納得しました。

 もしこれが夢だったとしても、なにも困る事はありませんし。

「ここに何度もきたって事は、ぼくたち元の世界に帰れるんだよね?」

 異世界召喚なのか異世界転生なのか、そこだけは確認しておきたい八尋です。

「用が済んだら帰れるぜ」

 どうやら堤防でおぼれて生まれ変わった訳ではないようです。

「用事? なにするの?」

「ふっふっふっふっふ…………」

 歩は陰気な悪役のように、気持ち悪く笑いました。

「異世界に召喚されたら、やるこたぁ決まってんだろ……?」

 歩は怪談のオチに入る話し手のように、息をめました。

 八尋は緊張のあまり、つばをゴクリと鳴らします。

「……化物退治だ」

「いますぐ帰るーっ!」

 逃げ出そうとする八尋を、歩が素早く抱き上げました。

「うわっ! おぇすっげー軽いな!」

「ほっといてよ!」

 鼻息を荒げる八尋ですが、歩のふんわりとした胸の感触が効いたのか、首筋をつかまれた猫のようにおとなしくなりました。

 健全な青少年の、極めて正常な反応です。

「別に魔王を倒せたぁ言わねぇよ。俺たちがナニ部だったか忘れたか?」

「まさか、ひょっとして……釣り?」

 仮とはいえ、八尋は私立磯鶴(いそづる)高校釣り研究部の新入部員です。

 そして釣り研究部は釣りをする部活です。

「そう、釣りだ。しかも俺たちにしか釣れねぇ大物がわんさかいる」

「……………………」

 大物といわれても、ハゼとキュウセンしか釣った事のない八尋には想像もつきません。

 一体どんな魚が待っているのやら。

 そしてどんな味と食感なのでしょう?

「ここは俺たち釣りじょのパラダイスだ」

「釣り女? ぼく、男だよ?」

 空飛ぶ船を見たり大物釣りとか言われて、八尋は自分自身の現実と向き合うのを忘れているようです。

「この異世界はなぁ…………」

 歩は再び、怪談のクライマックスのように息を溜めました。

 八尋は気づいていませんが、歩の正気を失った青い瞳がグルグルと回転しています。

「この世界はなぁ、女子しかこれねぇんだよぉ~~~~っ!」

「うっきゃあああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁっ‼」

 八尋は歩にギュ~ッと抱きしめられて、ささやかな胸を盛大にモミモミされました。

「どうせ風子しかこれねぇと思って守り袋渡したけど正解だったぜ! 男は召喚できねぇって話だったけど、これるヤツはこれるんだなぁ!」

 モニュモニュフニフニサワサワムニュムニュフニュニュ……。

「わかった! わかったから触るのやめてぇ~~~~っ!」

 八尋は歩の魔の手から逃れようと必死に暴れます駄目でした。

「まさか女になっちまうたぁな! さすが異世界! まさか女体化ネタがくるたぁ思わなかったぜぇ!」

 歩はとうとう頬ずりまで始めてしまいました。

「一目見た時から、ずっと抱きしめてなでくり回してぇって思ってたんだ! いまは同性だからセクハラじゃねぇよなぁゲヒャハハハハ~ッ‼」

「セクハラだよ! それセクハラだからーっ!」

 中身はオッサンでも歩は女の子なので、いい匂いがします。

「よいではないかよいではないかぁ~~~~!」

 しかしいくら気持ちよくても、子供みたいに抱きしめられるのは八尋の本意ではないので、力の限り抵抗をこころみました駄目でした。

「ちょっと歩さん放して誰か助けて~~~~っ!」

 腕力ではかなわないので、八尋は自力での脱出を諦めて救難要請に切り替えます。

「はてさてシモの方はどうなって……」

「わあやめてくすぐったいそれだけは許して放して~~~~っ!」

「ゲヒャヒャヒャヒャ…………げぶぁっ⁉」

 パコンッ!

 歩の手が八尋の投げ(袴の横にある三角形の隙間)に伸びた瞬間、お玉の打撃音が心地ここちよく響きました。

「いい加減にしなさい愚ちょ…………」

 背後から忍び寄って歩の後頭部をぶん殴ったのは、やはり小夜理さよりでした。

 袴は制服の色を思わせるブルーグレー。

「…………げぼごぼぐぼがぼぉ~~~~っ!」

 次の瞬間、小夜理は持っていたバケツへと盛大にリバースしました。

 いままで医務室にいなかったのは、船酔いで甲板の空気を吸いにきて、キラキラでレインボーしていたからだったのです。

「いててててて……」

 殴られた頭を抱える歩。

 もちろん八尋の拘束こうそくも解けています。

「助かった……」

 救出された八尋はマーライオンと化した小夜理の後ろに避難しました。

 リバース中とはいえ、乱心した歩に対抗できるのは小夜理だけなのです。

「うぉぇえごぶげぶぉがぁぶべぼばぁ……」

 歩に小言の一つでも言いたい小夜理でしたが、そこまでの余裕はありません。

「あ……ありがとう小夜理さん」

 八尋が感謝の意を示すと、小夜理はバケツにせながら『うちの愚長がすみません』と謝罪のジェスチャーをしました。

「こいつ乗り物ダメなんだ」

 さすがの歩も殴られて正気に返ったようです。

「でも小夜理さんの家って。 確か船宿……」

 家業で船に乗る機会はいくらでもあったはず。

「釣り船に乗るたびにゲーゲー吐いて魚を寄せるからマキエ」

 そんな魚は釣っても食べたくありません。

 でも、あだ名の謎は解けました。

 最低のダジャレでした。

「酔うのに船乗れるの?」

 また歩が暴走するかとガバガバな防御の構えをとる八尋でしたが、さすがの歩も再度来襲する気が失せたのか、親友の背中をなで始めました。

「家業だからって無理矢理乗せられちまうんだ。まあ胃の中身を全部吐き出しゃケロッと治っちまうんだけどな」

「うわぁ……」

 八尋は返す言葉を失います。

 普通は何年も乗り続ければ平気になるものですが、そうならなかったのは持って生まれた体質としか言いようがありません。

「あっ八尋いた~! 宝利ほうりさんこっちこっち~!」

 傾斜梯子らったるを登ってきた風子ふっこが、昇降口こおみんぐから顔を出して手を振っています。

 その後ろから宝利命ほうりのみことも姿を現しました。

「みなそろったようだな。装甲艦橋しぇるたあでっきで姉上で待っておる。ついて参れ」

「シェルターデッキ?」

 適当な質問を口実にして、八尋は盾を小夜理から宝利に変更しました。

 またいつ歩が正気を失うか知れたものではないからです。

 いま思えば部室小屋での小夜理も、目つきが尋常ではなかった気がします。

 風子にいたっては元々おかしい。

 もはや八尋の安住の地は、宝利の周囲半径1メートル以内にしか存在しないのです。

「装甲艦橋とは戦闘時に指令室として使われる部屋だ。道具もそこに……」

 八尋が巨木のような腕に抱きつくと、宝利は言葉をまらせて視線を彷徨さまよわせました。

「うむうっ、あまりくっつくな」

「あっ……ご、ごめんね……」

 慌てて手を引っ込める八尋。そのほおはほんのりと桃色に染まっています。

「砂吐きそう……♡」

 バケツを持って歩に背中をさすられながら呟く小夜理。

 ちなみに【砂を吐く】とは、『あまりの甘ったるしさに砂糖を吐きそう』という意味の腐女子用語で、キラキラレインボーの事ではありません。

鬼尊とうとい…………」

 風子も鼻の下を盛大に伸ばしていました。

 唯一BL属性を持たない歩だけが、なんともいえない複雑な表情をしています。

 その時、突然サイレンがけたたましく鳴り響きました。

「いかん、もう始まったらしい!」

「ええっ、なにが⁉」

 舷側に水兵たちが集まって地上を指差しています。

「なんてこったぁ! 港町のド真ん中じゃねぇか!」

 歩はなにが起こったのか把握はあくしているようです。

 船べりに出ると、陸地の一角がぼんやりと薄緑色の光を明滅させていました。

「薄気味悪い~!」

 風子が珍しく不安がっています。

「あれって……なに?」

 小さな点のようだった市街地の光が、徐々に広がって行きます。

「魔海だ」

 八尋の疑問に宝利が答えました。

「まかい?」

悪樓あくるうごめく魔の海だ。地上に現れた記録はないと聞いたが……」

「……あくる?」

 八尋でなくても、一から教えてもらわないと、そうそう理解できる話ではありません。

「俺たちの獲物えものに決まってんだろ!」

 歩の青い瞳が爛々《らんらん》と輝いています。

 バケツを放り出した小夜理も駆け寄りました。

 どうやら胃の中をカラッポにして、嘔吐リバースから復活リバースしたようです。

時合じあいだ! 俺たち釣り研究部の出番だぜぇ!」

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