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解放の時

 何もかもが、大げさな表現ではなく、止まっていた。


 流れていた雲も、飛んでいた鳥も。


 そして今まさに広場で起きている事件も。


 ナイフを構えた賊も、その鋭い眼光を、ピクリとも動かさない。


 ナイフを向けられた女性も、依然として上半身裸のまま、そして刃物を向けられたまま、恐怖に顔を歪めたまま、静止している。


 それを見る神父の顔も、シスターの顔も、突然の出来事に慄いたまま、停止している。


 事態を飲み込めていない群衆も、ある者はあっけにとられたまま、ある者は怯えたまま、ある者は怒ったままーーー


 そして俺はーーー動ける。


 本来なら維持するのも大変だろうそれぞれの姿勢で固まった人々の間を歩く。ゆっくりと、事実を確認するように、半分は警戒しながら、半分は沸々と湧いてくる感動に打ち震えたまま、半分は夢でも見てるような感覚でいながら、半分はそれら感情を冷静に抑えながらーーー足せばとっくに人一人の許容量を超えてしまった感情が、頭をぐるぐると駆け巡っている。


 時を止めた彼らの顔を一人一人覗き込む。

 自分が優越感でものすごく粘っこくいやらしい顔をしているのがわかる。しかしそれをまじかに受けても誰もが瞬き一つしない。


 ぶるぶると体が震える、下半身が特にブルブル震える。


 時がーーー止まった。


 あの、アダルト作品の設定よろしく、止まった。


 じわじわと、足先から、快感が登ってくる。


 膝。


 腰。


 胸。


 首。


 そして頭。


 全身が愉悦に浸りきったその瞬間ーーー


 俺は全裸になった。


「ーーーひょぉぉぉぉぉぉ!!」


 ぴょんぴょん飛び撥ねる。スカートを履いた貴婦人のまたぐらをスライディングで抜ける。ついでにパンツを拝見する。プリプリのシスターのいるところまで走り寄る。お尻を強かにスパンキングする。自分の尻も叩く。交互に叩く。俺はドラマー。ロックンローラー。8ビートで交互に叩き上げる。仕上げに大きく一回シスターの尻を叩く。スカートを勢いよくめくる。逆に目を瞑って見ないでおく。スカートを下げる。勢いよくめくる。逆に見ない。逆って何よ?一人で笑う。がっはっは。


 ーーー治療を受けていた娘の、脱ぎ捨てられた衣服の元へ走る。


 そして茶色地のワンピースを手に取る。


 嗅ぐんだろうって?


バカにしないでいただきたい。


 このスカートは、これから町の人々から拝借する予定の財布をひとまとめにするために使うのだ。


 これを嗅ぐだなんて、流石にマナーがなっていない。


 見たところ、この娘はピチピチの生娘だ。


 そんな娘の衣服を断りもせず嗅いだりしない。


 変態といえど引かねばならない線がある、守らなくてはならない矜持がある。


 こうして神をも欺く能力を手に入れてしまったからこそ、自分なりのルールを作り、それを守ることが必要なのだ。そんなことを思いながらワンピースを嗅ぐ。


 ひとしきり楽しんだ後、駆け回って、静止した人々の懐、風呂敷、ベストの内ポケットから財布をかき集める。


 さすがに良心が痛む。


 ここにいる人たちだって、何も生活に余裕があるわけでもないだろう。有り金全部盗まれたら、この街に住んでない人はもしかしたら帰ることもままならなくなるかもしれない。


 今自分は手ぶらで異世界に放り出されたばかりであるから、仕方なくしばしの間拝借するという気持ちで、また一人一人から全額を奪う、だなんてことはせず、1割ずつ借りていこう。それだけの優しさは俺だって持ち合わせているさ。そんなことを思いながら全員から全額盗んでいく。


 袋がわり結って担いでいたワンピースが財布でパンパンになる。思ったよりパンパンになるのが早い。目算ではこの広場全員分を詰めることができるだろうと思っていたが、半分も入れられなかった。なぜだろう?ついでに婦人たちの下着も入れていったからだろうか。


 一仕事を終え、噴水の前に立ち、賊と巨乳娘を右手に、シスターとジジイを左手に、こちらを驚愕の表情で見ている群衆を正面に見ながら、一息ついた。


 遅れて、再び、ゾクゾクとした感覚が背筋を走る。


 ーーーやってやった。


 やりつくしてやった。


 前世じゃ絶対に、100%、天地がひっくり返っても、そしてそれが再び元に戻っても、できなかったことを。


 窃盗、痴漢、猥褻物陳列罪、それを合計3桁に登る数、一気に、ぶちかましてやった。


 こんな感覚だったのだろうか。


 道路交通法を無視して改造車で爆走する若者も。


 金銭的な理由ではなく、ただただスリルを味わいたくて万引きをしていたヤンキーたちも。


 満員電車で、声をあげられないような気弱な子を選んでは尻を撫で回していたサラリーマンも。


 こんなに気持ちよかったのだろうか。


 そんな自分に嫌気がさしながらも、『真面目な自分』を捨てきれなかった時だって、羨ましく思いながらもそんな『アウトローな人々』を見下していたのを思い出す。


 ホントは羨ましいのに。嗚呼、でももう、そんな格好付けの自分とは、ここで完璧に、完膚なきまでにーーー決別だ。


 そして俺が生まれる。


 最高だ。


「ーーーーきぃぃぃぃいいいいいいいやぁぁぁぁぁぁあああああああ!!!!!うっほぉぉぉおおおおおおお!!!!オラオラオラオラオラオラオラ!!!!!」


 再び我慢できなくなって走り出す。尻を叩く。撫で回す。もちろん男女平等に。いやなんでだよ。もちろんて何?がっはっは。胸を揉む。キスをする。顔に顔を擦り付ける。そしてそのままかおぜんたいをベロンベロン舐め回す。もちろん男女平等に。いやだから何でだよ!がっはっは!


 自分でも何がしたいのか何をしているのかわからないまま天元突破したテンションを振り回しあけ放ちぶちかまし走り抜けるーーー


 さっきから何度かあまりの感覚に失神しかけている。ふらふらになりながらこの静止した世界をしゃぶり尽くしていく。


 このまま時を止めたまま隣町まで逃げるか。金もたくさん手に入った。これで大人の店で豪遊してもいい。


 ーーーそういえば、時を戻すのはどうやってやるんだろ?まぁ「時よ戻れ」とでもいえば戻るだろう。


 そのまえにもうちょっとここで楽しむか。


 賊から巨乳娘を引き剥がし噴水の前に置く。そしてムチプリシスターも同様に引きずり噴水前に置く。ふたりのポーズ微調整し、向かい合わせ、倒し、四つん這いの格好にする。


 ふたりを足場にして立つ。こっちを見ている群衆を眺めながら、腰に右手を当て、ゆっくりと左手の人差し指で天を指す。フルチンのまま。


 たくさんの視線を一身に感じ、あらゆる感情がないまぜになる。


 この幸福を表す言葉を探す。見つからない。あるいはそんな言葉は存在しないのかもしれない。それほどに至高だ。


「―――おはようございます」


 俺はつぶやく。意味なんてないかもしれない。あるかもしれない。ただこれ以外の言葉が出てこない。


「おはようございます」


 俺は眼前に現れた光景にただただ挨拶をした。言葉にするたびに、涙が溢れてきた。だばだばと溢れてくる。止められない。心にあるのは、全ての嵐が収まった後の風一つない水面。凪。そして浮かぶ一握りの感謝。


「ーーーははっ。何泣いてんだろ。俺ってば」


 照れ隠しの独り言が出てしまう。


 ひどくさわやかな気持ちだ。


 ーーー部活を辞めようとして、それをチームメイトが引き止めて、その光景に思わず涙する青年も、きっとこんな気持ちなんだろう。


 ふと見ると、股間の息子が、そんな青臭い俺をからかうように、ガチガチにたっていた。


「ーーーははっ、何たってんだろ。俺ってば」


 そんな独り言が出て、再び思わず笑う。


 ありがとう人生、ありがとう異世界、新世界。


 俺は万感の想いを込め、目を瞑って、空を仰ぎ、最後に一回、挨拶をした。


「おはようございます」


 ーーーーーピリッ。


 ん?


 ピリ?


 なにかが避ける音が聞こえたような気がした。


 何か、重大なことが始まるような、そんな音。


 ゆっくり目を開けるとーーーーたくさんの視線が俺を捉えていた。


 先ほどのそれとは違う。


 それぞれの眼球は揺れ、俺だけを捉えている。


 右を見ると、何が起こったのかわからないといった目で、賊が俺にナイフを向けていた。


 左を見ると、ジジイが悪魔にでも出会ってしまったかのような、怯えた顔をしていた。


「ーーーきゃああああああああ!」


 叫び声とともに世界が回るーーー姿勢が崩れ、地面に背中から落ちた。


「いでっ!」


 何が起きたーーー慌てて体を起こすと、恐怖に怯え俺を見たまま後ずさる、巨乳娘が見えた。その豊満な胸を両手で隠している。


 おいおい、隠す必要なんてないんだよ。時は止まっているんだから。俺しか見てないんだから隠す必要なんてーーーそこで思考が追いつき、血の気が引いた。


 時は動き出していた。



 ◆



 鼻の骨を折られ、あばらを折られ、気づけば俺は牢屋の中だった。


  逃げ惑いながら、何度も「時よ止まれ」と叫んでも、再び時が止まることはなかった。


「ーーーあのクソ神!!!!」


「うるせぇぞ!」


 牢屋番が豚でも鎮めるかのように木の棒で鉄格子をぶっ叩いた。

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