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真面目な男

以前書き進めていたものの書き直しです

  私、飯島翔平は真面目な人間であるーーー


「行ってらっしゃい」


「ああ、行って来るよ」


 30年の付き合いになる妻に見送られ、自宅のドアを開けた。


 ピッチリとしたスーツに身を包み、いつもの通勤路を、ミリ単位の狂いもなく、コンマ1秒の狂いもなく、駅へと向かう。


 途中、視界の端にある女性が見えた。


 朝まで飲み明かした帰りなのか、その足取りはフラついていた。


 短く扇情的なスカート、若々しい足、開いた胸元、濃いめの口紅。


 そんな女性を横目に、私は自販機に向かう。


 小銭を入れて、ペットボトルの水を一本購入。


 それを持ったまま女性に近づいた。


「これをどうぞ」


 突然、見知らぬ紳士に水を差し出され、面を食らったような表情を女性が浮かべた。


 一瞬、ナンパな男かと警戒したが、私の表情を見て、すぐに考えを改めたようだ。


 下心の一切もなく、ただ純粋に相手を心配しているという表情で僕は水を渡した。


 そして、彼女が遠慮する隙も挟めないような、流れるような手際でタクシーを止め、運転手にお金を渡し、自宅まで送るように言ったあと彼女を乗せた。


「では」


「あ、ありがとうございます。あの!」


 何事もなかったかのように立ち去ろうとする僕を、言葉を詰まらせながら、慌てた様子で彼女が引き止めた。


「……お名前は?あの、何かお礼をーーー」


 頬を、アルコールとは別の理由で薄っすら赤らめた女性の申し出を、丁重にお断りさせていただく。


「名乗るほどのものではありません。では」


 名乗れば何か出会いがあったかもしれない。しかし妻を悲しませるようなことは決してしない。


 今私がしたことは、人として当然の義務である。


 駅へと向かいながら30年間大事に使っている、元は妻からのプレゼントだった腕時計に目をやる。


 この分だと4分26秒ほど到着するのが遅れてしまう。


 その分を過不足なく取り戻すために、4分26秒分だけ足早に歩く。


 飯島翔平は真面目な人間である。


 飯島翔平は真面目な人間である。






 ◆






 飯島翔平は、産声をあげた瞬間から54年後の今に至るまで、1秒の例外もなく真面目な人間であった。


 厳格な公務員の両親を持ち、怠けることをせず、暴力を働くことなく、遅刻をせず、悪口を言わず、他人を貶めることをせず、浮気をせず、法を犯さず、至極誠実に生きてきた。


 天に誓って、私飯島翔平は、清廉潔白であると言える。


 今日もまた、そんな私を心から信頼している部下たちと仕事をする。


 デスクで必要書類に目を通していた私の元へ、新人の柿本が申し訳なさそうな顔で近づいてきた。


「飯島部長、この前の件……」


「謝る必要はありません」


 何を言い出すのか予想がついていた私はその言葉を遮る。


「先日のプロジェクトの失敗は、あなたの責任ではありません。ただ真摯に向き合うばかり、行き過ぎて、結果が伴わなかっただけのこと。それを私は責めません。ゆえにそれをフォローするのも上司として当然。あなたのように意欲あふれる若者の、気持ちを削ぐような真似はしません。ただーーー」


 そこで私は言葉を区切り、全て分かっているという表情で、少しだけ諭した。


「次へと生かそうという思いは、忘れないように」


「は、はい!ーーーありがとうございます。失礼します!」


 欲しい言葉をもらえて、心晴れやかと言った風に彼は自分のデスクへと戻っていった。


 彼の考えていることはすべてわかる。


 愚直に、部下や仕事や会社のことを常に考えていれば、私がかけるべき言葉はすぐに出る。


 前途ある若者のためならば、私はいつでも捨て駒になろう。


 私は自分を過大評価したりはしない。ただ真摯に仕事をするだけだ。


 飯島翔平は真面目な人間である。


 飯島翔平は真面目な人間である。


 飯島翔平は真面目な人間であるーーー


 そして私は帰路に着いた。いつもの時間に最寄駅に着き、いつものペースで歩き、いつもの横断歩道で信号待ちをする。


 寄り道をせず、脇目も振らず、ただ家路につく、そんな毎日そんな人生。


 そうでなくてはいけない。そうでないなんてあり得ない。


 そうある以外の選択肢なんてない。そんなこと考えもしない。


 飯島翔平は真面目な人間である。


 そうあるように期待した人々の顔が頭にうかぶ。


 両親も、妻も、部下も、友人も。


 誰もが私にそうあるよう求めた。


 そして私はそれに応えた。


 私、飯島翔平は真面目な人間である。


 飯島翔平は真面目な人間でなくてはならない。


 飯島翔平は真面目でなくては価値がない。


 飯島翔平は真面目である必要がある。


 真面目であること以外に価値がないのが飯島翔平である。


 飯島翔平はーーー


 飯島翔平は?


 飯島翔平は!


 飯島翔平は。


 飯島翔平は……


 飯島翔平は!?


「飯島翔平は」


 飯、島、翔、平、はーーー






 ーーーそんな私の緊張の糸がプツンと切れたのと、信号無視の暴走トラックが突っ込んできたのは同時だった。

よければブクマ、評価、お願いします。



別作品も連載中です。


https://ncode.syosetu.com/n3805fc/


ブサイクな俺が異世界では「流行り顔」だった話〜〜ブサメンな僕はイケメン扱い&美女はブス扱いの逆転美意識〜〜


こちらもぜひ!

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