8話
いつもの場所に帰った後、クロノスは冷え切ったユースティアナの幼い肢体を胸の中に抱き込み、その弱りきった体に魔力を流し込む。
魔力とは生きる糧だ。糧が多ければ多いほど生きること以外に力を回せる。それだけ人生が豊になる。
そして、その糧は体の強さと精神の安定によるバランスが良ければよいほど強く、そのバランスが悪ければ微弱になる。
ユースティアナの魔力は最低もいいところだ。生きるのに必要な最低限の魔力さえ潰えかけている。
「死ぬな、死んでくれるな。我の娘よ。」
送りすぎてびっくりさせぬように、糧が潰えて死んでしまわぬように、慎重に慎重に魔力を送り込んでやる。また、魔法を使い汚れた体と服をきれいにしてやる。
「…死ぬな。余を、一人残して逝くな。」
まさか自分が誰かのために祈ることになろうとは37億年生きて初めてのことだった。しかし、せっかく出会えた自分を恐れもせず怖がりもせず対等に見てくれるユースティアナのためならばと願うように、祈るように、日が沈みこちらで過ごす最後の朝日が昇るまでそう呟き続けた。
日が昇ってしばらくたった時、腕の中で目を閉じていたユースティアナが目を開けた。
「ク、ロ…?」
「っ、ユースティアナっ!!」
青白かった頬には赤みがさし、微弱だった魔力も持ち直した。
「…ク、ロ。私を、むすめに、するの…?」
「そうだ。……いやか?」
本当にユースティアナが嫌がるのであれば残して行こう、そう思っていたが嬉しそうに首を横に振るユースティアナがかわいくて離してやれそうにない。
愛しくて愛しい娘がクロノスの孤独を癒したように、クロノスもまたユースティアナの孤独を埋めたのだ。互いが互いの足りぬところを埋め合い癒した。傷のなめ合いと言われようともクロノスは気にしない。もしユースティアナが気にするのなら、そんなことを言うやつらを滅ぼしてやってもいい。
人間と違う価値観を持つクロノスの愛情がユースティアナに受け入れられるかはさておき、クロノスはユースティアナの養父になって半日ちょっと。すでに親バカの片鱗を見せていた。
ユースティアナのことでいろいろ忘れかけていたが、そういえば山羊頭は期限を一週間と決めていたなと思い出す。
「ユースティアナ。今日の午後には余の部下の山羊頭の異世界転移魔法が発動し余の世界にわたることになるだろう。何か、こちらでしておきたいことはないか?」
娘となったユースティアナの願いはできうる限りかなえてやりたいと思うのが親心だろう。しかし、
「…ない。大切なもの、クロだけ。」
そういって、ぎゅっと抱き着いた腕に力を入れるユースティアナをクロノスもその常人とはかけ離れた腕力で抱きつぶしてしまわぬように気を付けながらきつく抱きしめた。
もうあとほんの少ししたら魔法陣が発動する頃になって、一人の少年がクロノスとユースティアナの元を訪れた。
「おい!やっと見つけた!!」
短く切りそろえられた髪はつんつんとたっており、快活そうな瞳はめらめらと燃えている。
ずいぶん魔力量の多い少年だとほんの少し感嘆の声をもらして観察していると、ユースティアナが腕に力を籠めるのが分かった。
「?ユースティアナ、どうした、」
「おい変な名前!!お前いっしゅうかんも学校にこないでなにやってんだよ!!!」
クロノスの声を遮るようにそう叫んだ少年は明らかにユースティアナを指さしていた。
「おまえ、学校にこないで公園であそんでるってしってるんだからな!」
少年が叫ぶたびにユースティアナの腕に力がこもり体が震える。
「おい、聞いてんのかよ変な名前!!」
ああなんと傲慢で独り善がりな正義感だろうか。なぜこんなわけもわからぬ小僧に余のかわいい娘が侮辱されねばならないのか、正義の名を冠する娘を変な名前と侮辱されるのは我慢がならない。貴様のその身勝手な正義感でユースティアナはこんなにも心を痛めているというのに。
「く、くろっ!!だめっ!」
ユースティアナの声にハッと我に返った時にはその小僧を重力で押しつぶした後であった。ふっと力を抜くとごほごほと苦しそうにせき込む小僧に一瞥すらくれてやらずユースティアナをみやる。
「ユースティアナ、あのような小僧を気にする必要はないぞ。余の娘を軽んじたのだ。死んでも仕方がなかろう。」
「だ、だめだよ!私のせいで、人殺しになっちゃ、やだ……。」
クロノスの腕をつかんで必死にそう訴えてくるユースティアナにクロノスはすぐさまその少年のことを頭から追い出し、ユースティアナを抱き上げる。
「ふむ。確かに小僧ごとき余が手を下すまでもあるまい。おい貴様。ユースティアナの寛大な心にせいぜい感謝して余生を過ごせよ。」
少年が悔しそうに、恐怖をにじませた瞳で見上げてくるが、ちょうどタイミングよく山羊頭の異世界転移の魔法陣が浮かび上がり発動する。
「せいぜい二度と余に会わぬように祈ることだな。二度目はない。」
決して離れぬようにユースティアナを腕に抱き込み、光の奥に消える少年を見下ろしそう告げたところで魔法陣が発動し魔王城への帰還を果たした。