5話
虐待の内容が出てきます。
苦手な方は閲覧はご注意ください。
ユースティアナ、いや遊佐姫愛羅はその日とても浮かれていた。
この間、いつものように学校のクラスメイトに名前をからかわれ、嫌になって逃げだした公園の、木の生い茂る人気のない場所。姫愛羅は何か嫌なことがあるといつもそこに逃げ込むのだ。
自分の母親に叱責された時も、この名前をからかわれた時もそこはいつも変わらず静かな空間をもって姫愛羅を迎え入れてくれた。
でもその日は珍しく先客がいた。白いもふもふした犬のような毛皮を首に巻いた真っ黒な人。一瞬びくりと身体が固まってしまう。
怖い…
思わず逃げようとしたが、どうしてもその黒い人が悲しんでいるように見えて踏みとどまる。
「おにいさん…なに、してるの?」
気づいたときには声をかけてしまっていた。
始めはただただ怖かった、ほかの人は姫愛羅の姿を見るだけで顔をしかめ、近くによると鼻をつまみ、みすぼらしい子と蔑んでくるからだ。
理由はわかっている。母は姫愛羅が新しい服を着るのも、お風呂に入るのもお金の無駄だと言ってさせてくれない。だから何時だって饐えた臭いはするし、見た目だってみすぼらしい。
母曰く自分は間違えてできた子供らしい。叩かれ、殴られ、罵倒される毎日にもう涙も出ない。涙なんて流したらもっとひどいことをされると、子供心ながらに自分の感情を抑え込んでいた。この名前も日本人らしくないと、おかしな名前だと同じクラスの子たちに笑われる原因になっている。
黒い人はどうやら自分と同じように話すと怒られてしまうらしい。いい事ではないがほんの少し親近感がわいてしまう。
自分の姿を見て顔をしかめないだけで姫愛羅にとっては喜ばしいことなのに、この黒い人は自分の名前すらもいい名前だと言ってくれたのだ。
日本人ではなないのか遊佐姫愛羅をユースティアナと聞き間違って、その間違った名で呼んでくるものの、姫愛羅にとっては自分の本当の名前なんかよりずっと大切に思えた。
この人がいい名前だと言ってくれるなら姫愛羅なんていう変な名前は捨ててユースティアナとして生きていこうと幼いながらに決心した。
つい泣いてしまって、怒られるのではと危惧したのだが、黒い人は優しく慰めてくれた。この人と家族になれたらどんなにいいだろうか、とありえもしないことを考えてしまうほどには黒い人を好きになっていた。
それから毎日黒い人に会いに行った。名前がないというので神様の名前からとって“クロ”と名前を付けた。自分なんかがつけた名前でいいのかと思ってしまうが、それがうれしいのだと“クロ”は笑ってくれる。そ
れからいろんなことを話した。ユースティアナはこの世界のこと、学校のこと。決して自分の心の黒い部分の根源である母のことには触れないようにクロに話した。クロは自分が魔王であることや、クロの生きる世界のこと、クロのそばにいる人達のことを話してくれた。
猫みたいだと言われてつい真似なんて、そんな恥ずかしいことをしてもクロは笑って撫でてくれる。もっと、もっと甘えたいとあふれてやまないこの気持ちを何と呼ぶのかまだわからないが、また明日も会いに行こうと、そしてもっとずっとクロと一緒に過ごしたいと、ふわふわした気持ちのまま家に帰った。
マンションの一室、鍵で扉をあけて中に入る。電気はつけない。母に怒られるからだ。
「明日、も…会いたい、な……。」
その日の姫愛羅はとても浮かれていた。自分の天敵の母が部屋にいるのに気付かないほど。姫愛羅のつぶやきを聞いて鬼のような形相を浮かべているのに、自分のぼさぼさの髪を鷲づかまれるまで、気が付けなかったのだ。
思わず痛みで声を上げると顔を殴られる。痛みにうめく姫愛羅を引きずってベランダに放り出す。母に引きずられながら見た部屋の中にはおそらく母の新しい“彼氏”らしき男の姿が見えた。
春先とはいえまだまだ朝晩の冷え込みは厳しく、薄いシャツを一枚しか着ていない姫愛羅は必死に母に謝罪をした。
「おか、あさんっ!!ごめ、ごめんなさ、」
「うるっさいんだよっっ!!!またその顔で男でもひっかけてきたんだろ!!この売女!!」
「ち、ちが」
「あんたなんかっ!うまれてこなきゃよかったのよっっ!!!!!」
そういって扉に鍵をかけカーテンが閉められる。きっとこの向こうで母はあの男とじゃれあうのだろう。
時折聞こえてくる甲高い母の声が気持ち悪い。
冷たい石のベランダがどんどん自分から体温を奪っていく。
「たすけ、て…。クロ……っ!」
どれだけ経っただろうか、もう手足の感覚が鈍くなってきた。
「さ、むい……。」
そう呟いたとき、ベランダを開ける音がする。
「ありゃりゃ、あの女もひどいねぇ…。」
そういったのはあの母の彼氏の男だ。
「君、名前なんだっけ?ティアラちゃん?子供だけどかわいい顔してるよねー。」
パンツしか履いていない半裸の男はにやにやと姫愛羅を値踏みするように見てくる。
「入れてあげよっか?」
そういった男に思わず手を伸ばそうとする。
「ま、そんなこと、」
男の後ろから鬼の形相をした母が迫ってきて、
「あのヒステリックが許すはずねーけどぉ?」
そういった直後、おなかに鈍い衝撃が走った。一瞬息が詰まり蹴られたのだと理解する。
「人の男に手出してんじゃねーよ!そこで一生反省してなっ!」
また閉じられた窓にひどく泣きそうな顔をした自分の顔が映る。
男の狂ったような笑い声と母のヒステリックに叫ぶ声がだんだんと薄れていく。
「や、…く、ろ……。」
そこからの記憶はない。
幼女ちゃんは絶対幸せにいたしますのでご安心ください。