3話
「お兄、さん!来たよ…。」
次の日木の下でぼんやりとしていた魔王の元に昨日の少女がやってきた。
「ユースティアナ!本当に来たのか!」
「だめ、だった…?」
ほんの少しおびえたような色を目に浮かべたユースティアナに優しく微笑み首を振る。
「ここに来いと言ったのは余のほうだ。感謝こそすれどそれに怒ることも厭うこともない。」
「よか、った。」
ほっと笑みを浮かべたユースティアナは昨日と同じ服を着ていた。彼女はとことこと魔王のそばに歩み寄り、隣に腰を下ろし、しばらくこちらをうかがうように見てからようやくしゃべりだす。
「ねえ、お兄さん、は…なんていう、名前?」
昨日は緊張しているのかとも思ったがこのしゃべり方はどうやらユースティアナの素のしゃべり方のようだ。もちろんそれが煩わしいわけではない。
「ふむ。余には名前がないのだ。」
「名前、ない、の…?」
垂れた目を大きく見開く。
「うむ。だからおぬしの好きなように呼ぶと言い。周りの者たちは余を魔王と呼んでおったぞ。」
「じゃあ……私が、名前つけて、いい?」
少し悩んでからそうユースティアナが提案してきた。
「お兄さんは、きれい、だから…神様の名前が、いい。」
そう言ってユースティアナは嬉しそうに棚から神話の本を抜き出し読みだした。
ここはトショカンというらしい。平民でもだれでも利用できる書物庫だとユースティアナが説明してくれた。
魔王に名前を付けたいというユースティアナの発言の後、しばらく二人で悩んだのだが、お兄さんにはちゃんとした名前を付けたい、と言ったユースティアナに連れられやってきたのだ。もちろん昨日さんざん馬鹿にされたマントと足鎧は異空間に収納しておいた。
しかし自分のような闇の権化が神の名を冠する名を名乗ってよいのだろうか。嬉々と名を探すユースティアナとは裏腹に気持ちが沈んでいく。
「お兄、さん!これ、どう…?」
そういって見せてきたのはKhronosという名前。
「ほお、時の神の名前か。」
「うん…。お兄さんの、髪のいろと、一緒。クロ、だよ。」
本で顔の半分を隠しながらも嬉しそうに笑うユースティアナ。
「うむ…。気に入った…。神の名など余には過ぎたるものだとおもったが、ユースティアナに“名”で呼ばれるのは心地が良い。」
初めて手に入れた自分の、自分だけの名。自然発生する魔族にとって親から与えられることのない名は一種特別な意味を持つ。
名付けとは魂に名を刻む行為であり、原初の魔法の一つだ。なので自然発生する魔族が名を得るためには誰かにつけてもらうしかない。だが他人に名をつけるというのはそれだけ自分を信頼しているぞ、という証でもある。
もちろんユースティアナがそんな魔族の常識を知っているはずないのだが、それでも魔王、改めクロノスにとってはうれしかったのだ。
「クロ、」
ユースティアナに名を呼ばれる。まだまだ呼ばれなれない名ではあるが、この先ユースティアナにたくさん名を呼んでもらえばいい。たったの一週間しかこちらの世界にいられないのに、とどこかで誰かが皮肉ったのを聞こえないふりをして、
「ユースティアナ、もっと余の名を呼んでくれ。」
「わかった…、クロ。」
何も知らない幼子にこの胸の虚空を埋めてもらうのだ。
「クロ。…クロは、お友達いる?」
ふいにそう聞いてきたユースティアナ。顔はほんの少し不安げだ。
「む…。友と呼べるものはおらんな…。部下はごまんとおるがな。なぜそのようなことを聞く?」
「…。名前、変だったら、きっと離れちゃう、から……。」
しょんぼりとうつむくユースティアナにクロノスはしゃがんで目線を合わしそっと抱きしめてやる。
「おぬしのつけた名が変なわけがなかろう。それに山羊頭もほかの者共も羨ましく思うことはあれど、それが理由で離れることはない。断言できるぞ。」
「ほん、と…?」
「ユースティアナには嘘をつかぬよ。」
きゅっとユースティアナの小さい手がクロノスの服をつかむ。
少し体を動かすととくんっと引っ張られるその小さな抵抗感が、ユースティアナに頼られているような気分がしてうれしくなる。
「それに、例えほかの友と呼べるものがいたとして、その者たちがこの名のせいで離れていったとしても、余にはユースティアナがいるだろう。おぬしは余の新しい友だろう?おぬしさえ居ればそれで良い。」
甘やかされることに、優しい言葉をかけられることに慣れていないこの小さな友人は、些細な言葉で喜び、そして涙を流す。
クロノスは自分の腕の中で静かに泣くユースティアナに、自分といる時だけでもこの泣き虫な友に悲しい涙ではなくうれし涙を流させてやろうと思った。これが友に対する情なのか親が子にかける情なのか判断できずにいたが、これが親子の情であればどれほどいいものかと思う程度には会ってたった二日のユースティアナのことを気に入っていたのだ。
魔王様はロリコンじゃない!はず!!