8話
いつの間に眠っていたのか、ふとユースティアナが目を覚ますとクロノスに抱えられてベッドに入っていた。そっとクロノスの腕を移動させ、上体をおこして頭を押さえる。
あの日、レークォに初めて会ったあの日からたびたび夢の中に声が響くようになった。
自分はいつも前にいた世界のどこかにいる。学校だったり、町の中だったり、あのマンションの一室だったり。
そして気づいたときには自分は複数の人間に囲まれて、その人たちは一様に自分を責め立てる。
あんたなんて産まなきゃよかった、消えろ、邪魔、うっとおしい。
変な名前、気持ち悪い、くさい、変な奴、近づくな。
ほら、あそこの家の、かわいそうに。
次第にあたりが黒一色に塗りつぶされて、世界は自分と自分を責める人だけになる。
うずくまり目と耳をふさいでも聞こえてくる声にジワリと涙が浮かび、次第に息が荒くなったら、その息苦しさでいつも目が覚めるのだ。
目が覚めてもなおガンガンと頭に響く声にユースティアナは自分の横で眠るクロノスを揺らす。
「…クロ、クロ……っ!」
「む……?ユースティアナ、目が覚めたのか…。どうした?」
すぐに目を覚ましたクロノスはふっと優しく笑うと、自分も上体を起こし、ユースティアナの体を抱き上げ、膝の上にのせる。
「クロ…、クロっ!」
「?ユースティアナ、どうしたのだ。怖い夢でも見たのか?」
クロノスの優しい声が耳から入り、じんわりと心に広がり、不快な声を消していく。
「大丈夫だ。余がそばにいる。大丈夫だ。何があっても、余がおぬしを守るからな。」
「………ん。」
とんとんと背中をたたきながら聞こえてくる低く優しいクロノス声に、再び眠りに落ちる。
「いい夢を、ユースティアナ。」
祈るようなその声のおかげか、今度は悪夢を見なかった。
「おはようございます、ユースティアナ様。お召し替えをお手伝いしますわ。」
朝起きるとすでにクロノスの姿はなく、ローズがそばに仕えていた。起きたばかりであまり動かない頭できょろきょろとクロノスの姿を探すユースティアナに、ローズは優しく笑う。
「魔王様でしたら本日のアコルハイト訪問のためにハインリヒ様とお話ししていらっしゃいますわ。」
まだ霞がかかったようにぼーっとした思考のまま、ローズに服を着替えさせてもらう。
「朝食はハインリヒ様も魔王様も一緒にとられるそうなのでまいりましょうっ!」
そういってローズはその豊満な胸にユースティアナの顔が埋もれるように抱き上げるとルンルンで昨夜夕食をとったダイニングに移動する。ぽよんぽよんと顔に当たる柔らかい胸と、そこから伝わるローズの温もりにまたうとうとと眠りに落ちそうになる。魔性の肉体だ。
ダイニングにつく頃にはまたうつらうつらと船をこぎ始めたユースティアナ。しかし、ダイニングテーブルにつき話し合いをしていたクロノスとハインリヒがこちらに気付き、近づいてくる。
「ユースティアナ、起きたの……寝てるのか?」
ローズの腕の中で目をつむってうとうとしているユースティアナを見てクロノスが苦笑いをする。
「んー。おき、る…。」
声が聞こえてきたのでごしごしと目をこすり、クロノスのほうに手を伸ばす。
クロノスはそれに答えローズからユースティアナを受け取った。
「おはようございます。ユースティアナ。」
「ん。リッヒ、おはよ。」
ダイニングテーブルの前に立ってユースティアナを迎えたハインリッヒは相も変わらず眉間に深いしわが刻まれている。
昨夜と同じようにユースティアナ、クロノス、ハインリヒの三名のみが席につき、朝食を食べた。
「リッヒ。今日は、アコルハイトに行くの?」
朝食を食べ終わり、カプリコーンたちが準備を進める姿を眺めながらそう聞いた。
「ええ、そうですよ。ユースティアナが眠っている間に転送陣の設置は終わりましたからね。あとは移動するだけですよ。」
「てんそうじん…。」
今まで聞いたことのない言葉にかすかに首をかしげる。今まで長距離移動するときはいつもクロノスが抱えて飛んでいたので、ユースティアナは魔法陣の存在を知らなかった。
「ふむ。ユースティアナは陣を使うのは初めてだったな。」
「…まちなさい。陣を使わずに今までどうやって移動をしていたんです?」
「余の魔力で、ひょいっと…。」
そういいながら指をひょいっと半円を描くように動かすクロノスにハインリヒは頭を抱えた。
「この、規格外め……っ!」
「??どういう、こと?」
なぜハインリヒが頭を抱えているのかわからずきょとんとするユースティアナをちらりと横目で見たハインリヒは深いため息を一つついた。
「とりあえず、ひとまず魔方陣のある部屋に移動しましょう。」
そう言っている間に準備が終わったらしいカプリコーンたちを確認し、魔法陣の描かれた奥の間に移動した。
移動した先は礼拝堂のように天井の高い一室だった。ドーム状になった天井には、ステンドグラスがはめ込まれており、キラキラと光が降り注ぎ、白い床を染め上げる。ユースティアナはクロノスの腕から降り、その色とりどりの床にしゃがみ込み、キラキラした瞳で見つめている。
太陽の位置によって、床に映る色合いが微妙に変化していくその部屋のちょうど中央に半径三メートルほどの大きな魔法陣が描かれていた。
そしてその魔法陣の周りにはローブを着た神官のような恰好をした亜人が数人で、何やら準備をしているようだ。
「さて、今から魔法陣を使いますが、ユースティアナは陣を使うのは初めてですね?」
ハインリヒの説明にこくんと頷く。
「では、軽く説明いたします。今は理解できずとも、幼い時から理論を知っていると知っていないとでは違いますからね。」
「まず、魔法についてですが…。魔王城ではどの程度教えていたのですか?」
「魔法についてはそういう概念があるという程度にしか教えていません。」
ハインリヒがちらりとカプリコーンに視線を向けるとその意味を汲んだカプリコーンが即座に答える。
ふむ、少し考えてからハインリヒは床にしゃがんでいるユースティアナと目を合わせるように床にしゃがむ。
「では基本的なことからですね。まずこの世界には微精霊と呼ばれる意思を持たない魔力の塊が浮遊しています。」
そう言うとハインリヒは自分とユースティアナの間の空間に小さな色とりどりの光の珠を浮かばせる。
「そして、魔法を使う方法は大きく分けて二つ。一つは自分の体内を循環している魔力を使う方法。もう一つが、魔法陣を使い空気中の魔力を利用する方法です。」
そういって十センチほどの大きさの人型を二体作り、その人型の中は液体のようなもので満たされている。さらに、一方の人型の下に簡略化した魔法陣を描かれていた。
「魔法陣を使う方は、魔法陣を発動させるときに少量自分の魔力を使うだけでいいので大変燃費がよろしいのですが、一度使うと魔法陣は消えてしまい、次に使うときはまた魔法陣を一から描くため時間がかかります。」
目の前にいる人型が魔法陣を発動させると人型の中に入っていた液体が少し減り、周囲に漂っていた光の粒が魔法陣に吸い込まれ、魔法陣から小さな花を編んで作った花の冠が出てきた。
言われた通り人型の下にあった魔法陣は消えており、ユースティアナがぱちぱちと手を叩くとハインリヒがその頭に冠をかぶせた。
「ありがとうっ!」
「いえ、構いません。……この方法に比べて自分の魔力を使う場合は、瞬時に何度でも発動できる代わりに消費量が魔法陣を使うときと比べ格段に大きい。」
もう一方の人型がぽんぽんぽんっと小さな花を何度も発生させるが、そのたびに人型の中に満ちていた液体がすごい勢いで減っていく。
そして、人型の中にたまっていた液体がなくなると、糸の切れたマリオネットのように人型はその場に崩れおちた。
「魔力は生物が生きる上で生命を維持するためにも必要不可欠ですので使いすぎるとこのように倒れたり、下手すれば死んでしまうこともあります。」
ハインリヒは倒れた人型の出した小さな花々を赤いリボンでまとめブーケにするとユースティアナに手渡した。
「以上が魔法の説明ですが、わかりましたか?」
「なんとなく…。」
魔法を使ったことのないユースティアナはいまいちぴんと来ないが、ハインリヒの出してくれた人型のおかげでなんとなく理解はできた。
「それで結構ですよ。またあなた自身が魔法を本格的に学び始めた時に役に立てれば、私が時間を割いた甲斐があるというものです。まあ何が言いたいかというと、魔法陣を使用せずにあなたを抱え長距移動をする魔王が規格外だと言うことですよ。」
再び深いため息をついたハインリヒが立ち上がりクロノスをじろりと見る。
「む。魔力が多いのは余のせいではないだろう。」
少しむっと頬を膨らませる魔王を一瞥してハインリヒはパンパンと手を叩く。
「とういうわけで、アコルハイトまで少々距離がありますので移動するために今回は魔法陣を五人がかりで発動させます。準備も整ったようですのでさっそくやりましょう。では皆さん、お願いします。」
その声に、部屋の入り口で待機していたカプリコーンやキキョウ達がささっと部屋の中央の魔法陣の枠に入り、陣を囲んでいた五人の亜人たちがさっと魔法を発動させる。
ユースティアナがん?とクロノスを見上げた時にはすでに周りの景色は移り変わり、瞬きをした時には先ほどまでいたステンドグラスの美しい部屋から一面木で作られた円形の部屋に移動していた。
「さて、一応決まりですので言いますね。」
そういうとハインリヒが数歩離れてこちらを振り返る。
「………ようこそ、安らぎと真実の都アコルハイトへ。」




