2話
「おにいさん…なに、してるの?」
そう声をかけてきた少女は先ほど遊び場にいた子供よりもっと小柄な少女だ。その黒い髪には艶がなくぼさぼさ、体にはそこらかしこに傷があり、かすかに饐えたような垢のにおいがする。そんな人間探せば腐るほどいるので特に気にはしないが、それよりも純粋に声をかけられたことに驚いてしまう。
「おにい、さん?…どこか、いたいの?」
視線を合わせるようにしゃがんで顔を覗き込んでくる少女。ぱっちりとした黒い目は同色の長い睫毛で縁取られており、目元が優し気に垂れている。小さいが筋の通った鼻と、ぷっくりした小さな口がそれぞれバランスよく配置された顔は幼いながらに美しいと思った。大人になるとさぞ美人に育つであろうと妙に納得していると、おにいさん?と声をかけられる。
こてんと首をかしげる少女にハッとし、
「い、いや、すまぬ。ただ、今日一日誰に話しかけても無視されたり馬鹿にされたりしてしまってな。おぬしがそういった感情なしに話しかけてくれたのがうれしかったのだ。」
そういう間にポロリと涙がこぼれる。どうやら自分でも気づかぬうちにストレスとなっていたようだ。少女の優しい心に触れた気がして魔王はうれしくなった。
本当に魔王はうれしかったのだ。魔王と呼ばれるようになって早数十億年。周りには恐れ崇めてくるものはいるものの、このように心配し対等に話しかけてくれるものはいなかったのだ。たまに軽口をたたいてくる山羊頭でさえ魔王には絶対服従だ。
「お兄さんも、話すと、怒られるの?一緒、だね…。」
ほんの少し笑って見せた幼子はポケットから薄汚れた布切れを取り出し差し出してくれた。
「む、すまぬ。」
受け取った布で涙をぬぐい心優しい幼子を見る。
「心優しい少女よ、ありがとう。名を、聞いてもよいか?」
「、な、まえ…。ゆ…あ、らです…。」
明らかにうろたえた顔で視線をさまよわせ、ぽしょっと小声で名前らしきものをつぶやいた。
「うん?すまぬ、聞き取れなかったのだがもう一度言ってはくれぬか?」
「っ…。ゆさてぃあら、です……。」
依然声は小さいが今度は何とか聞き取れた。
「ユースティアナ?そなたの名はユースティアナというのか。」
「え、あ、ちが。」
「ふむ、正義か、良い名前だ。おぬしにぴったりの名だな。」
初めて余に対等に話しかけてきた少女は奇しくも正義の名を冠する少女であった。まるで、今まで世間から疎まれていた余の存在を神が正義の名のもとに許してくれたのでは、と錯覚するような奇跡的な出会いだ。
「ぴった、り?おかしくない?笑わないの?」
少女、改めユースティアナはひどく驚いた表情でこちらをうかがってくる。何をおかしいものがあるものか、今まで聞いた名の中でも一番いい名だと正直に告げてやると今日一番の笑顔で涙を流し始めた。
「な!!?ユ、ユースティアナ!??ど、どうしたのだ?どこかいたいのか??」
まるで先ほどとは真逆だなとユースティアナからもらった布で優しく彼女の涙を拭いてやる。
そうしてやると余計に涙を流すのだから、さすがの魔王もなすすべなくあたふたとするしかない。
「ちが、こんなやさしいの…初めてだから……。」
そんな愛しいことをいうユースティアナをそっと抱きしめ、ああこんな子供が養女になってはくれないだろうか、そう考えながら涙がやむまで背中をさすってやった。
「おにいさん、また、会える…?」
ようやくユースティアナが泣き止んだころには、すっかり周りは暗くなってしまっていた。
「そうだな、余はしばらくここにいる。また抱きしめてほしくなったら来ると良い。もちろん余と話したいという場合も歓迎するぞ。」
「……じゃあ、毎日くる、ね?」
ばいばいと小さく手を振って闇に溶けていくユースティアナ。ここにいればまたあの幼い友人に出会えると、年甲斐(37億歳)もなく心を弾ませた。
その日の夜は結局先立つものがないのでそのまま公園で寝泊まりすることにした魔王は自身の長いマントにくるまり、昼間にあったあの少女のことを思い浮かべた。
長いこと風呂にい入っていないのだろう。服も作りはいいものの薄汚れていた。よれた袖や裾から除くほっそりとした手足にはいくつか青あざのようなものが見えた。
「さて、スラムの子か、奴隷か…。」
魔王の世界では当たり前のようにある奴隷制度。魔王の統治する土地ではすでに禁止されているがほかの、特に人間の土地ではいまだ盛んに行われていると聞く。
ユースティアナがどのような身分でどのような扱いを受けているのかはわからないが、もしあの幼子が助けを求めてきたのならば何に変えてでも守ってやろう。魔王はそう決心し眠りについた。
幼女の本名はは遊佐姫愛羅です。