嫁ぎ先
焔は、河を怒鳴りつけた。
「追い返せ!なぜにあんな女を宮へ入れた!」
河は、必死にすがって言った。
「王、どうかご辛抱を!燐様に目通りをと、参ったのでございます。それを追い返すことは、絶対に出来ませぬ!宮へ上がれば、王にご挨拶するのは礼儀。どうか平穏な宮を作るため、此度は綾様のご挨拶を受けてくださいませ!」
焔は、歯軋りした。あの女は我が母上を追い詰めた張本人だと聞いている。焔を産んで、母の地位が上がることを疎んじて、そうして他の妃を脅して皆で寄ってたかっていたぶったのだ。
父の煽がここへ綾を召した時、綾はまだ30歳ほどのまだあどけない少女だった。しかしその美しさの片鱗は既に現れ、煽は見過ごすことが出来なかったのだと聞いている。ほどなくしてすぐに燐を生み、先に入っていた妃達を差し置いて正妃の座に座った。それから百年、焔が生まれ、その焔が250歳の今、綾はまだ380歳にしかならなかった。その上綾は、他の妃達が老いる中、とても400歳近いとは思えぬほどの若さと美貌を保っていた。これからでも、充分に嫁げる…なので、その妖艶さから、焔が間違いなく煽亡き後綾を残すものだと誰もが思って疑わなかったほどだった。
だが、焔はあっさりと綾も含めて皆里へと返した。
それから、燐を王座にと推す臣下達が、段々に増えたのだ。何が起こっているのか、焔にも河にも分かっていた。
しかし、表面上は何もないように過ごさなければならない。
焔もそれはわかっていたが、それでも顔を見るのも厭わしかったのだ。
どうすることも出来ず、焔は仕方なく謁見の間の玉座へと座った。その不機嫌な様に、回りの臣下達もびくびくしながら横に控えている。侍従が、戸の脇で叫んだ。
「燐様の母君、綾様がお越しでございまする!」
大きな両開きの戸が、左右に開いた。焔は、玉座の肘掛に肘を立てて、その上に顎を乗せてしずしずと歩いて来る、綾とその侍女侍従達の列を待った。綾はベールをつけることもなく、真っ直ぐにこちらを見据えて歩いて来る。真っ黒な髪に、薄紫の瞳。白く美しい肌に、しなやかな体躯。鷲には珍しいその様は、居並ぶ臣下達も、何度見ても見慣れることもなく、ただ呆けたように見とれていた。
そんな様子がまた気に入らず、焔はじっと睨みつけるようにして綾を見ていた。こんな女などに、心を揺さぶられることなどない。維月に、比べたら…。
焔は、ふっと表情を変えた。物悲しげなその瞳は、脇に控える河も一瞬戸惑った。こんなお顔をされるのは、初めてお見上げする…。
綾は、玉座へと登る階段の手前で止まり、焔に頭を下げた。焔は、そこで我に返り、さも言いたくなさげに口を開いた。
「…表を上げよ。」
綾は、顔を上げた。焔は、その強い視線をまともに受け止めて睨みつけた。綾は、そんな焔にフッと笑うと、言った。
「王におかれましては、ご機嫌がお悪いご様子。此度はゆっくりとお話が出来ればと思い、参りましたものを。」
焔は、フンと鼻を鳴らした。
「忙しい身であるしな。宮が落ち着いておれば、我とて時間も取れようが。」
綾は、それでもほほほと笑った。
「宮を開かれ、外とのことでご多忙でありましょう。宮が落ち着かぬのは、女手がないからと、我がこちらへ残ることをお願い致しましたが叶いませんでしたので、此度は改めて、王の妃の一人として迎えて頂くお願いに参りましてございます。臣下達から、それが一番ではないかとの話がありましたので。」
焔は、ぐっと眉を寄せた。それは、河からも言われたこと。綾をこちらへ迎えれば、事は丸く収まるだろうと。だが、焔は跳ね付けて来たのだ。こんな女を置くぐらいなら、獣でも娶れと言われた方がまだマシだと。
「すまぬが、我は約しておる縁があっての。外交上、そちらを優先せねばならぬ。婚姻が何より早い友好であるし、我も外交を早よう処理せねば内政の乱れを正す方へ時を避けぬから。相手方には、我にはまだ妃が居らぬからと承諾してもらえたこと。それを違えることなど出来ぬ。」
綾は、一瞬驚いたような顔をして、そうして脇に控える臣下の一人の方へ顔を向け、睨みつけた。それが綾の父親であることは、焔にも分かった。その父は、おろおろとしている…知らなかったからだろう。それはそうだ、今思いついたことなのだから。
河が、気遣わしげに焔を見ている。焔は、それでも前を向いて河には何も言わなかった。
焔が見ている前で、綾は立ち直って焔を見上げた。その口元は小刻みに震えていたが、その気の強さに焔は少し感心した。確かに、この女であれば煽など一溜まりもないわ。言いなりになるはずよな。
「…ならば、王にお願いが。」綾の声は、最早作り声などではない、真っ直ぐな強い声だった。「我も、この歳で一人身では、実家の財政すら支えることが出来ませぬ。どうか王、その外交とやらに、我を使ってくださいませ。」
焔も、河も居並ぶ者達は皆驚いて綾を見た。綾は、続けた。
「女の身ひとつで、我はここまで生きて参った。全て実家の仕えてくれる者達のため。これよりは、宮のため他の宮の王に嫁いで、鷲を生かす働きをして見せましょう。王は、外交を始められ、今大変に繋がりが欲しい時であられましょう。我を利用なされば良い。我の身が美しいと殿方に好まれることは、我は存じておりまする。どこなりと、我の嫁ぐ先をお決め下さいませ。我に、相応しい場を与えて下さりませ。老いては、我の利用価値がなくなり申しまする。」
言い放った綾は、驚くほどに美しかった。焔は、思ってもみなかったことに、呆然と綾の話を聞いていたが、それでも見上げる綾と視線が合って、我に返った。そうして、隣りの河をちらと見た。河は、小さく一度、頷いて見せた。焔は、また視線を綾に戻すと、言った。
「…ならば、存分に利用させてもらおうぞ。主の嫁ぎ先、早急に臣下に探させる。しかし、それで、主は我が宮を開いたことに対して賛同して力を貸しておるのだとみなされるぞ。それで良いのか。」
何やら慌てる父親など見ることもなく、綾はすぐに頷いて見せた。
「始めから、我は賛同致しておりまする、我が王よ。」
この瞬間、燐を立てた反乱分子は全て黙るよりなかった。始めから、燐自身は全く焔に逆らう意思はなく、あおっていたのは綾の意を受けた臣下達であったからだ。
焔は、立ち上がった。
「ならばすぐに臣下達と詮議して、主の屋敷へ知らせよう。それまで、待つが良い。」
しかし、綾は叫んだ。
「お待ちを!」そうして、焔が出て行こうとしていた足を止めると、綾は言った。「しかしながら、王がお迎えになられるというその女神、確かに鷲の王の妃に相応しいと、ここに居並ぶ臣下が皆納得するような女神であると、見届けてからに致しまする!」
焔は、眉を寄せた。
「…どういうことぞ?」
綾は続けた。
「我は長くこの宮に居り、宮の何某かにも通じておりまする。その女神が、我よりも王の妃に相応しいと見届けぬことには、我はここを去ることが出来ませぬ。王が、確かに皆のことをお考えになってお迎えになるのだと、皆に証明してくださいませ。」
焔は、黙って綾を睨みつけた。つまりは、皆がこの綾より美しく、綾より優れた女神であると認める女でなければ、自分が後宮へ入ると言うつもりであるな。
焔は、歯軋りしながらも、ふふんと鼻で笑って見せた。
「証明して見せようぞ。我が妃は若く美しく、思慮深く礼儀にも通じておる芯の強い女ぞ。宮の格も申し分ない。主で務まったのなら、あれには寝ておっても務まろうよ。」
綾は、焔を睨むように見たが、ふっと笑った。
「…楽しみですこと。」
焔は、くるりと踵を返すと、そこを出た。思いもかけず、綾が崩れて来た。だが、捨て身の策だ。恐らくはあちらの皇女が、宮で蝶よ花よと育てられ、何も知らない女だと侮ってのことだろう。自分より美しい女など、世には居ないという自負もある。恐らくは、焔が相手にしないので、どうあっても豊かな暮らしをしたいがために、どうあっても宮に入ろうと、考えた末のことだろう。もしも策が崩れても、外の宮の王に嫁げばある程度は贅沢に暮らせるだろうと思っているのだ。
後ろからついて来た河が、焔に小声で言った。
「王、何と言う好機。これで一気に宮の反乱分子は沈静化致しまする。全ては、あの綾様のためと、心酔するあまりの輩が多うございましたので。ですが王、誠にどなたか心当たりのかたはいらっしゃるのですか?確かに綾様は、美しく申し分ない見栄えの妃であられました。」
焔は、歩きながら河を見た。
「…どうにか探すよりあるまいが。とにかくは、あの女を追い出すことが先。しかしあそこまで公の場で言い放てる女なのだ。己の利のためなら、やすやすと己についておった臣下達すら捨ててしまえる。さっさと追い出したいのはやまやまであるが、しかし行かせる先よ。小さな宮では納得しまい…だが、引き受けてくれる宮があるものか。」
河は、息をついて頷いた。
「はい、王よ。面倒を抱え込みたくないというのが、各宮共通の思いでありまする。しかしながら、綾様はあのように類い稀なるお美しさ。加えてあの妖艶さ。しっかりとしたご気性。他に妃が居らぬのなら、側に置きたい王は居られるのではないでしょうか。」
焔は、立ち止まった。
「…難しいが、打診してみようぞ。我が直々に出て参らねばならぬだろうが、宮は留守にしても大丈夫か。」
河は、何度も頷いた。
「もう、大丈夫でございます。綾様が居られなければ、燐様が反乱分子の臣下達を抑えてしまわれまするので。燐様は、愚かなかたではありませぬ。ご自分のお立場は、ようお分かりになっておられます。」
焔は、頷いた。ほとんど話もしない兄だが、燐は確かに愚かではない。
焔はそれに感謝しながら、どうやって綾の嫁ぎ先を見つけようかと思案したのだった。




