別の未来
次の日の朝、維心は急いで十六夜の所へと向かった。このまま、維織の記憶を戻してしまっていいものか分からず、先に昨夜知ったことを知らせておこうと思ったのだ。
幸い、十六夜は維心に知らせてから維織の前に、大氣の姿で立つと言っていた。なので、早朝ならまだ大丈夫だと分かっていたのだ。
思った通り、十六夜はまだ起きたばかりだった。月の宮は、皆、夜明けには起きださない。人の時間感覚のままで動いているので、日が昇ってしばらくしないと起きないのだ。
維心が慌てた様子で入って来たのに、十六夜は驚いたようだった。
「維心?どうしたんだ、朝っぱらから。そんなに急がなくても、昨日の今日で焔が何か言って来たんじゃねぇだろう?」
維心は、頷いた。
「主に、先に言うておかねばならぬことが出来た。十六夜、碧黎に聞いておかねばならぬぞ。何かが違う。あの先見、いったい大氣はいつ見たものなのだ。」
十六夜は、片眉を上げた。
「いや、いつとか言ってなかったな。何が違うんでぇ?お前、昨日何も言ってなかったじゃねぇか。」
維心は、何度も頷いた。
「あの時には、何も見えておらなんだ。だがしかし、あれから部屋へ帰って、維月が居間で寝入ってしまっておったのだが、維月と話しての。維月は、我を慕わしいと言うて、己から我に口付けて参った。」
十六夜は、それはそれで気に食わないようで、少し顔をしかめた。
「はあ?それがなんだよ。」
維心は、首を振った。
「だから分からぬか!維月は、あの先見の中では我には、記憶が戻ってからしかそんなことはせぬのだ!なのに、昨夜は維月からそのように。我らは、身こそ繋がなかったが、共に記憶があった時のように、幸福に過ごした。あれは、なぜなのだ。その時点で、もう大氣が見た未来とは変わっておるのではないのか。」
十六夜は、そう言われて確かにそうだ、と気がついた。じゃあ、あの先見は変わってしまっている。だが、何が変わったのだろう。変わった後には、何も起こらないのだろうか。それとも、また何か危険が待ち受けているのだろうか。
「…親父を呼ぼう。大氣にも、もう一度聞いておかねぇと。もし、別の未来が悪い方向へ行っちまったら…。」
維心は、頷いた。
「維織の記憶を戻すのは、それからでいい。とにかく、早よう!事態を把握しておかねば、後で後悔しても遅いのだからの!」
十六夜は、維心に頷くと空を見た。
「親父!大氣はいったい、あの先見はいつしたんでぇ!未来ってのが、変わっちまってるぞ!」
十六夜が叫んでしばらく、碧黎はいつものようにパッと目の前に現れた。大氣は居ない…大氣に直接聞いたほうがいいのに。
「親父、大氣は?あいつに直接聞きたいんだ。」
碧黎は、首を振った。
「あやつは来るのは面倒だと言うて。いつもなら我は、もっと早ように来るであろうが。呼んでから来るまでに時間があったのはなぜかと思わぬのか。」
確かにそうだ。呼んでなくても、親父を呼ぼう、と言った途端に現れたことまであった。だが今は、確かに間があった。
「大氣に一緒に来いって言ってたのか?だが、来なかった。」
碧黎は、頷いた。
「あやつはな、もう過去を蒸し返されたくないのだ。今まで己の行いをとやかく言うやつもおらなんだし、なのに主らはとかく我らに干渉するであろう。我はもう慣れたが、あやつはそこが苦になるようでの。維織との婚姻の時でもよう我慢しておったものだが、此度のことはもう、あやつの中では終わったこと。なので、何度も同じことで責められるのが面倒なのだ。」
十六夜は、息をついた。
「恋愛ってのはな、付き合う時より別れる時の方が面倒なんでぇ。婚姻より葬式の方が面倒なのと同じで。」
維心が、横で顔をしかめた。
「どういう意味ぞ。分かったように言うておるが、主は維月と別れたりしておらぬではないか。どうせ受け売りであろうが。」
十六夜は、首を振った。
「何言ってやがる。回りで好いた腫れたってそりゃ大変なのに、学びもすらあ。」と、碧黎を見て表情を引き締めた。「親父、それより知ってるか?大氣は、あの先見はいつしたんだ。維心が、もうあの先見と違う未来を見たって言ってるぞ。」
碧黎が、片眉を上げて維心を見た。維心は頷いた。
「そうなのだ。碧黎、あの映像の中で維月は我に、記憶が戻るまで擦り寄って来たりはしなかった。だが昨夜主らと話してここから戻った後、部屋で寝入ってしまっておった維月が目覚めたかと思うと、我に口付けて参った。我が肩を抱いても身を退くこともないし、昨夜は朝までそうして過ごした。何も変わったことなどしておらぬのに。どういうことぞ?」
十六夜も、碧黎が何と答えるのかと、固唾を飲んで待っている。碧黎は、じっと考えていたが、頷いた。
「…大氣があれを見たと血相変えて我に申したのは、一昨日のこと。どうするべきか考えて、こちらの様子を見て、そうして昨日我らは来たのだ。では、昨日何かあって、維月の維心に対する見方が変わったのだの。そういえば…昨日は維心が、炎嘉に維月に会いに参ることを許したのではなかったか。」
維心は、それを思い出して少し心が痛んだ。つい昨日の昼のことだった。そうして、それから炎嘉が維月と共に居ることに耐えて…夕刻。維月が我に、己の心が分からぬと訴えた。そのまま寝入った維月を置いて、訪ねて来た碧黎と大氣と共に、自分は十六夜に会いに行ってあの先見を見た…。
「ならば…我はもしや、炎嘉にそれを許さぬはずだったのか。」
碧黎は、頷いた。
「おそらくはの。だが、主は許した。察するにかなりの抵抗はあったであろうが、維月のためと思うたのであろう。結果的に、それが維月の心を揺らし、炎嘉から主へと想いをシフトさせることに成功したのではないのか。維月は、とかくそういう所があるからの。己を犠牲にしてまで自分を気遣う男に、あれは心を寄せずにいられぬタチではないのか。」
それには、十六夜が盛大に頷いて維心を見た。
「そうだ、維心。維月はそんなヤツなんだ。自分のために苦しむ様を見るのが嫌だし、苦しんでるのかと思うと放って置けないし、そんな相手の側に行って癒したいと思う。多分、あいつは炎嘉から、お前が会うことを許したと聞いて、お前の心を知ったんだろう。だから、お前のことを思って炎嘉とはゆっくり出来なかったはずだ。早くお前を安心させたいと、そればっかり考えてたんじゃないか。」
維心は、ただ頷いた。そうかもしれぬ。維月は、悩んでいた。炎嘉が好きなはずなのだと…だが、維心を想っているようだと。
「ならば…あの未来には行かぬの。維月が、ああして我に寄り添うようになった。先見とは、そこが違う。」
碧黎は、息をついて首を振った。
「言わなんだか。歴史とは、そちらへ行こうとする。つまりはこの状態でも、維月がどうにかなる未来が待っている可能性が高い。更に悪いことに、我らは何が起こるのか分かっておらぬ。前より悪い状況ぞ。」と、空を見た。「大氣はこの先は見ておらぬの。見ておったら我に言うであろう。あれも、気まぐれであるから勝手に見てしまう時以外は気が向かねば己から積極的に先見はせぬのだ。どうしたものか…」と、維織の部屋の方向をちらと伺った。「…もう今あれを滅するか。」
十六夜は、その視線を遮るように碧黎の前に立った。
「ぎりぎりまで待つんじゃなかったのか。維月になんて言い訳するんだよ。それよりも、やっぱり維織の記憶を戻そう。それから、戻った維月と一緒に維織を説得して大氣のことは諦めさせなきゃ。また月の宮より華やかなここで世話になってる間に、忘れるさ。」
しかし維心が頷こうとすると、碧黎が言った。
「いや待て。」と、険しい顔で言った。「まだやめて置いた方が良い。維織がどんな反応をするか分からぬではないか。ならばこのままここで、普段通り何の憂いもなく暮らしておった方が良い。焔が何を言うて参るか分からぬが、維織だけはそこから外せばとりあえずは何もないであろうから。様子を見よう。我ももう少し広く見ておこうぞ。変わったことがあれば、知らせる。主らは二人をよう見ておけ。特に維月は、心につかえが無いように心せよ。」
十六夜は何か言いたげだったが、渋々頷いた。維心は、碧黎を見て言った。
「維月を娶っても大丈夫だろうか。昨日の様子であれば、我もそう我慢も出来ぬ気がする…維月も、拒むようではないが、何かあってはと手を出せずに居る。」
碧黎は、呆れたように維心を見た。
「そこは主らのことであるし。我は関与せぬ。維月が良いのなら良い。だが拒むならやめておけ。今の状況で、思い切ったことはせぬほうが良いからの。」と、軽く手を上げた。「では、我は行く。大氣に先を見てもらえぬか交渉してみる。だがあれも我と同じであるから、面倒なら見てはくれぬだろうし、期待するでない。」
「頼んだぞ、親父。」
十六夜が言うと、碧黎は少し顔をしかめてパッと消えた。
未来など分からないものだが、この瞬間はそれがとても、怖かった。




