二人
碧黎によって、あの別次元の部屋へと戻された蒼と十六夜と炎託は、その静かな部屋で回りを見回した。碧黎が、目の前で険しい顔をしていて、維心もじっと黙って座っている。蒼は、碧黎に言った。
「碧黎様、炎託を連れて戻りました。これで、未来は戻りましたでしょうか。」
碧黎は、首を振った。
「まだ見ておらぬ。主らを見ておったからの。」と、炎託を見た。「悪気がないのは分かっておるし、瑞姫を大切に思う気持ちゆえのこととも我にも分かっておる。だが、此度は大変なことになっておるのだぞ。我ら、皆揃って消滅の危機に瀕しておるのだ。主は身を持っておるが、我らにはない。だが、このまま行けば主はその身を持ったまま、ここでただ一人取り残されることになるのだ。もちろんのこと、瑞姫も生まれ出ることはなく、存在しなかったことになる。時間を渡るということは、そういうことぞ。もっとよう考えて行動せねばならぬ。」
炎託は、うなだれて頭を下げた。
「申し訳ない。まさか、このようなことになるとは。我も、歴史を変えてはならぬと思うて、維月殿には何も言わずに居たのだ。まさか、会うだけでこんなことに。」
維心は、言った。
「起こってしもうたことは仕方がない。」と、碧黎を見た。「して、未来を見なければ。どうなっておる。」
碧黎は、目を閉じた。そうして、そのまま言った。
「…我らが居った、今見て来た世界から700年後の世。月の宮は…無い。龍の宮に維心の気配もない。廃れたままぞ。」
蒼が、身を乗り出して抗議した。
「そんな!母さん達は旅行に行ったはずなんだ!あれから何があったんだよ!」
碧黎が、目を開けた。
「まだ残っておる二人であるかもしれぬ。何か介入するのであろう。未だ我にも気配は読めぬが、どこの時に落ちたのか…近いことは確かであるのに。」
碧黎は、ため息をついた。
維心が、言った。
「次は我が行った方が良いか。どちらにしても、主があちらへ誰か送れるのは、あと一度であろう。」
碧黎は、維心を見て頷いた。
「その通りよ。思った以上に送って回収するのに気を消耗する。このままでは、我も長くもたぬゆえ、うまく元へ戻しても意識を体へ返すのが難しくなろう。あと一度。送って、回収する。それしか無理ぞ。あちらへ残ったりしては、回収出来ぬから、一度に皆を回収する必要がある。つまりは慶と修と、主を一緒にこちらへ回収せねばならぬということだ。個別に見つけたからと回収することは無理ぞ。」
蒼が言った。
「オレが行った方がいいんじゃないですか。あっちの有と十六夜と面識を持った。何かあっても、話を聞いて手伝ってくれるでしょう。」
碧黎は、首を振った。
「あまり同じ者が同じ時間へ行かぬ方が良い。それだけ介入する時が増えて、良いことにはならぬ。それに、主らはあちらで力を使ったであろう…少なからず、飛んだりしたはずだ。己の身を見てみよ。」
そう言われて、蒼と十六夜はハッと気がついて自分の手を見た。もう、指先は見えなくなっている…隣の十六夜を見ると、輪郭がぼやけて頭と空気の境があいまいだ。十六夜が、同じように蒼を見て、言った。
「蒼…お前、足の辺りも頭も上も透けてよく見えなくなってるぞ。」
蒼は、頷いた。
「十六夜もだ。」と、維心と碧黎を見た。「碧黎様も、全体的に姿が薄くなっていますね。維心様はまだ少しはっきりしている。」
維心は、頷いた。
「我は何もしておらぬからの。主らほど蓄えた力は無いやも知れぬが、我は神世で随一の気を持つ。少しは持つだろう。」
碧黎は、手を上げた。
「ならば、維心が参れ。だいだいの気配が見える時間へ、主を送る。時間は近い…数週間といったところか。時間を逆行するだけの気はないぞ。何かが起こったら、もう巻き戻してもう一度というわけにはいかぬ。そこから何とかせねば。出来るか?」
維心は、頷いた。
「やる。維月との未来が掛かっておるから。我はあれを失う未来など要らぬ。」
碧黎は、頷いた。
「行くが良い。」と、手を上げた。「これで最後。我の気、残さねばならぬ。恐らくこれで、我はほとんど見えなくなろう。しかし、主らを回収して皆の意識を戻すだけのことは出来る。我が止めたら、行け。」
そう言うと、碧黎は気を集中させた。姿が揺らめいて、形があやふやになる。それだけ、時を操るのは力が必要なのだろう。
目の前の、鏡の表面が静かになった。
「今ぞ!」
維心は、そこへ飛び込んだ。
十六夜と蒼、炎託は、それを固唾を飲んで見守った。
碧黎の姿は、もはや光だけしか見えなかった。
維月達は、車に乗って温泉宿に向かった。炎託の事は、朝、有から二人の神様が迎えに来て帰る道を探しに行ったと聞かされていた。十六夜も、そのことについては何も言わなかったが、維月もあまり気にしていないようだった。その途中で、滝へと寄り、そこで蒼と十六夜は龍を見た。十六夜は、それを見て思った…神。神と接触するために、旅行に来るべきだったのか。
十六夜は、言われた通り何も言わずに蒼が決めるままに、ついて行った。とにかくは、どうしても維月が月になる未来になって欲しい。維月と未来永劫過ごせるのなら、オレは何も要らない…。
そうして、十六夜自身は全く神には興味はなかったが、蒼がその龍神が言う通りに月の社とやらに行くのも、止めずにただ黙ってついて行ったのだった。
その時間に送られた維心は、そんな十六夜と、その時の自分の姿を見ていた。確かに、こんな感じだった。最初は、月が珍しく、退屈していたので若月の面倒でも見させようと思っただけだった。維月のことも、ただの月の力を継ぐ女としか見ていなかった。
人の維月は、あの月の気は全くまとっておらず、ただ人の女でしかなかった。それでも、その姿に維心は心を震わせた。あの動きは、維月。あの表情も、話す言葉も、皆間違いなく維月。自分がこの魂で、愛したのは維月たった一人だった。これからも、そうだ。他の誰も、必要としない。もしも維月が黄泉へ向かうなら、自分も行く。維心は、その覚悟を新たにしていた。
じっと観察して数日、ついに、あの日が来た。維心は知っていたが、この時代の十六夜は恐らく知らないだろう。この新月の夜。十六夜が維月を傷つけられたことに我を忘れて封じた神が、祟り神として遙を、若月を、維月を襲う。思えば、その時自分はじっとその様子をその現場上空で見ていたものだった。維月を助けようと思えば出来たのだ。それなのに、人の女を助ける理由を、龍王である維心はもたなかった。なので、じっとただ見ていたのだ。
維月が死んだ時、十六夜は自分も一緒に黄泉へ送らせようとしたほど、悲しみに沈んでいた。後から知った、維月と十六夜の繋がりを、維心は後に羨ましく妬ましく思うようになる。
維心は、月の命を宿した維月を、生まれて初めて心の底から愛したのだ。
そうして、死んで後を追おうといた十六夜の気持ちを、知ることになるのだった。
維月が、新月の闇の中、車に乗ってあの山へと向かうのを見て、維心は急いでその後を追った。この時代の蒼は、力を無理に使って倒れている。維心は、この後起こることに心を痛めながら、そっと維月の車の後を追って飛んだ。
そう、維月は死ぬ…人として。そうして、月として蘇える。だから、それを最後まで見守らねばならないのだ。
しかし、その瞬間冷静で居られるのかと、維心には自信が無かった。それでも、それが必要なことであるのは、分かっていた。