誰を想う
七夕の夜は過ぎて行った。
表向きは何事もなく、機嫌が悪いらしい維心が宴に出て来なかったぐらいで、賓客達は満足げに各々の宮へと帰って行った。
だが、実際は裏で、臣下達が大変だった。維心が奥宮で荒れ狂い、奥宮の調度は尽く破壊され、十六夜が必死に膜を張って他への影響を防いだので、外には音すら漏れなかっただけだったのだ。
ひとしきり暴れた後、魂が抜けたようになった維心は、休む、と一言言って、奥の間へと向かおうとした。だが、そこも維心が暴れたせいで大破していたので、侍女と侍従達が、維心を維明の対へと連れて行き、奥宮を修復するまでは、そこで過ごさせることにした。
同じ奥宮に部屋がある維月だったが、幸い気を失っていたので、侍女達が維心が暴れだしてすぐに運び出して、同じ維明の対の客間へと移していたので、本人は何も知らずにいた。
「…ここは?」
維月は、目を覚まして側に侍女に聞いた。侍女は、慌てて歯切れ悪くしどろもどろに答えた。
「維明様の対ですわ。あの…昨夜、奥宮で不都合が…それで、その維明様の対に、王も共にお移り頂いたのでございます。ただ今は、補修をしておりまするので、しばらくはこちらで。」
維月は、身を起こして額を押さえた。
「そう…。」
維月は、奥宮がどうにかなったことよりも、昨夜のことがぼんやりとして思い出せず、そちらが気になったのだ。
寝台を降りて、侍女達に着付けられている間、維月は思い出した。この体…昨日より大きくなっている。そうだ、自分は昨日、炎嘉と…。
「炎嘉様は?!」
維月は、急に思い出して侍女達に聞いた。維月があまりに力を入れていきなり聞くので、侍女達はびっくりして答えた。
「え、炎嘉様でございますか?昨夜、宮から急使が参ってお帰りになられたと聞いておりまするが…。」
帰った…。
維月は、力なく側の椅子へと座り込んだ。自分は、炎嘉に連れて帰れと、無理を言った。きっと、困ってここに居られず、帰られたのだ。
子供ではなくなっても、駄目なの。
維月は、椅子へと沈み込んで下を向いた。侍女達は、維月が急にそんな風に、顔色を変えたり沈み込んだりするので、おろおろと回りで困っている。侍女の一人が、言った。
「炎嘉様は、維月様が急に気を失われたとおっしゃって、昨夜王のお部屋へと維月様をお連れになられたのですわ。維月様のお姿がまた変わられておるので、十六夜様も驚かれておりましたが…あの、それから奥宮は大騒ぎでございましたので、我らも先は存知ませぬが。」
維月は、炎嘉が維心に自分を返しに来たのだろうと思った。元より、自分は維心の妃だったのだと聞いている…炎嘉は、たまに共に過ごすだけの女であったと。ならば、連れて帰れなどと言って、疎ましく思われても仕方がない…。
「…一人にして。」維月は、侍女達を見ずに言った。「少し、考えたいの。」
侍女達は、顔を見合わせた。炎嘉には、変わった様子はなかった。いつもより険しい顔はしていたが、普通に帰って行ったのだ。それなのに、あの後維心が暴れ回り、十六夜が居なければ賓客達にまで犠牲が出て大変なことになっていただろう。しかしいつもなら、そんなことをした維心に罵詈雑言をぶつけまくる十六夜が、正気に戻った維心に何も言わずに維明の対へと連れて行ったのだ。
いったい、何が起こってるのだろうと、侍女達も不安になりながら、維月を置いてそこを出て行ったのだった。
維明は、全ての次第を聞いて知っていた。
赤子になった直後から、維心は絶対に奥宮の、維月の居る所へ維明を入れることはなく、維月とは面識がないままに、この一年数ヶ月を過ごして来ていた。時に十六夜と奥宮から出て来た維月を遠めに見かけることはあったし、維月も皇子の維明、維斗のことは認識していた。だが、維心が激しく禁じていたので、皇子達と話すことは全くなかったのだ。
今度の事は、急に奥宮が騒がしくなったと思ったら、十六夜の力が一瞬にして封じるのを感じて、何事かと自分の対を飛び出したら、侍女達が必死に気を失った維月と連れて自分の対へと向かって来るところだった。
幼いと聞いていた維月は、もう維明から見ても全く以前と変わらない維月だった。維明は驚いて侍女達に聞いた。
「何ぞ?何があった。父上の力の波動がして、十六夜が抑えたのは分かったが。」
侍女達は、首を振った。
「分かりませぬ。王が突然に回りのものを破壊し始められて。維月様は具合が悪く部屋へ下がってらしたので、とりあえず安全なこちらへお連れしたのでございます。客間をお借りしてもよろしいでしょうか。」
維明の対には、単独で維明の結界が張ってある。維明は頷いて、道を開けた。
「どこなり使うが良い。我は父上の様子を見て参る。」
侍女達は、維明に頭を下げた。
「お気を付けあそばして。」
最強の王が暴れているのだ。侍女達は青い顔をしながらも、それでも気丈に維月を連れて維明の対へと入って行った。維明は、奥宮へと急いだ。
維明が到着した時には、辺りは大変なことになっていた。厨子なども原型を留めておらず、臣下も侍女も侍従も、十六夜が張った膜の外側からおろおろと見ているしか出来ていない。膜の中では十六夜が、荒れて気を暴走させ、辺りを破壊しまくる維心のことを、月の力で押さえ込んでいた。
「落ち着け、維心!暴れたって何も変わらねぇ…維月に見られたら、もっと嫌われるぞ!」
すると、維心の気の力は、急速に縮まって行った。その気の渦の中心に居た維心が見えた時には、維心は床にうずくまって手を付き、床を向いていた。
「…我には、主のように冷静に事態を見守るなど出来ぬ。我には、無理ぞ…。」
十六夜は、維心に歩み寄って、その肩に手を置いた。
「オレだって、冷静に見守ってるわけじゃねぇ。だが、どうしろと言うんだ?お前のように暴れるのか。月の、オレが?」
維明は、外からそれを聞いて、十六夜が暴れた時のことを考えて身震いした。いくら父でも、自分でも、暴れる十六夜を抑えるのは無理だろう。止められるのは、恐らく碧黎ぐらいしかいない。
維心は、すがるように十六夜を見上げた。
「…我には道は見付けられぬ。」と、フラフラと立ち上がった。「…もう、休む。」
いつの間にか、十六夜の膜が消失している。侍女と侍従が恐る恐る寄って来た。
「こちらは、我らが片付けを。」
維明が、慌てて言った。
「我の対へ、父上。」
維心は答えない。だが、侍女と侍従は維心を促し、維明の対へと向かった。十六夜は、何も言わずにその後について歩いて行ったのだった。
それから十六夜は、何も言わなかった。維明は、何が起こってああなったのか知りたかったが、問い質すことが出来なかった。維心があれほどに荒れるのだから、何かあったのは間違いない。だが、それを聞いてまた、十六夜まで暴れだすのではないかと、怖かったのだ。直後にも思った通り、もしも十六夜が暴れたら維心にも維明にも抑えることは出来ない。なんだかんだ言っても、十六夜の力のほうが維心や維明よりも大きいのだ。
維月が部屋で沈みがちだと聞いて、自分が話を聞いて来ようかと思った維明だったが、それで余計にこじれてしまっては大変だと、静観していることにした。結果的に維明は自分の対から追い出されてしまったが、幼い頃に使っていた部屋に戻っているので不自由は無い。なので、ここは息子として、維心のサポートに徹しようと維明は決心していたのだった。
十六夜は、部屋に篭ってしまった維月を訪ねて、維明の対へと訪れた。同じ対に居るとはいえ、維心も維明の部屋に篭って出て来ないらしく、維明が王の代行を務めている。
十六夜も、心に重い何かを抱えてしまったような気持ちになっていたが、それでも起こってしまったことは仕方がないと思っていた。思えば、維月が初めて維心を想い始めたことを知ったときも、こうだった。だが、維月の心は自分から離れたりしなかった。自分だけは、特別なのだ。それを信じよう、と十六夜は自分の心を無理に落ち着けていた。
本当なら、維月に炎嘉の話など聞きたくない。だが、それでも十六夜には、沈んでいる維月を放って置くことなど出来なかった。幼い頃から、ずっと話を聞いて来たのだ。十六夜は、そっと部屋の中を伺った。
「維月?居るのか?」
すると、窓際の方から声がした。
「…十六夜?こちらに居るわ。」
十六夜は、恐る恐る部屋へと足を踏み入れた。維月が、どれほどに消沈しているかと思ったからだ。何しろ、炎嘉は維月が気を失っている間に、維月を置いて帰ってしまったのだから。
ゆっくりと歩みを進めて窓際の方を見ると、維月は窓際へ置いた椅子へ座ってこちらを見ていた。庭を見ていたのか、体はあちらを向いている。
「どうしたの?維織のこと?」
維月は、普通に聞いて来る。その様子は、普段とあまり変わらなかった。消沈している風でもない。十六夜は少し戸惑いながら、維月に歩み寄った。
「違うんだ。お前が部屋から出てこねぇから、どうしたのかと思ってさ。維心もおんなじだと侍女達に聞いてるし。」
維月は、ため息をついた。
「…そう。ごめんなさい、心配かけて。」と、自分の前の椅子を指した。「座らない?」
十六夜は、頷いてそこへ腰掛けた。前の維月と同じ姿だが、中身が違うと思うと落ち着かない。だが、維月は庭へと目を向けた。
「十六夜のこと、どうしてこんなに懐かしくて、側に居るとホッとするのか分かったわ。同じ月だからなのね。我は、十六夜と居ると何でも話してしまう。だって、何でも許してくれそうなんだもの…。」
十六夜は、それを聞いて心の底からホッとした。維月は、変わらない。自分には、やはりそういう感覚を持ってくれていたのだ。
「オレ達は、ずっと一緒だったからな。一緒に生まれて、一緒に育った。何でも話し合って、嘘なんかねぇ。」
と、下を向いた。「維織だって…。」
十六夜が、どこまで話していいのかと言葉を止めると、維月は苦笑した。
「分かっておってよ。炎嘉様から十六夜と夫婦であったと聞いたから。ならば維織は、我の娘であるものね。十六夜の子なのだから。」
十六夜は、顔を上げて頷いた。
「そうなんだ!維月…早く思い出してくれたら…。」
維月は、肩で息をついた。
「本当に…今は我も、そのように思うわ。あのね、十六夜…。夫であったあなたに言っていいものなのか悩んだけれど、やはりどうしてもあなたには嘘はつけないわ。我は、炎嘉様を慕わしく想うたの。それで、どうしてもあのかたに振り向いて欲しくて、こうして体を大きくした。でも、炎嘉様は帰ってしまわれたわ。その意味を、ここ数日こうしてここで考えておったの。炎嘉様は、とても思慮深いかた。それでなくても、本当に維心様や他の神のことを考えて行動なさるかたよ。自分の望みと、他の神の望みがあれば、あのかたは他の神を取る。そんなかただと、我は話しておって気取ったの。なので、此度のことも、きっと何かご事情があってのことだと思うわ。だって、あのかたからは、我に向けてとても深い愛情を感じておったのだもの…。」
十六夜は、それを聞いて下を向いた。確かに、炎嘉はそんな神だ。一見気ままなようだが、自分を隠して簡単に演じてしまう。なんでも顔に出てしまう維心とは、正反対だった。
維月には、それが分かっていたのだ。
十六夜は、慎重に頷くと、答えた。
「…確かに炎嘉は、お前が言うような神だ。あいつがお前を置いて行ったのは、恐らくオレと維心のためだろう。維心がどれほどに、お前を愛してるのか知ってるからな。炎嘉は、後からお前を好きになってお前を望んだ。だが、親友である維心の妃で、維心は必死にお前を守ろうとしていた。なので、友情と愛情に挟まれて、最初はそれは悩んだんだ。そのうちに、いろいろあって年に二回って約束で、お前は炎嘉の所へ行っていた。思い出したら、全ては分かることだけどな。」
維月は、じっとそれを聞いていたが、頷いた。
「そうね。我は、何か大切なことを忘れておるのだわ。維心様のことも、侍女達から聞いておるように思うておったけれど、きっと実際はそうではないのかもしれない。でも、維心様はここ最近は我に興味も無さそうであられたし…それにね、維心様からは失望のようなものを感じ取っておったの。十六夜、あなたにも分かるでしょう。我にも、心の機微が分かるのよ。維心様は、我が赤子の頃や少し大きくなった頃は、大変に側に居って愛して育ててくださったけれど、我がこうして成長するにつれ、距離を置いておられたわ。きっと、我が思うようでないからなのだと思うて、尚一層侍女達が言うようにおとなしく淑やかにと振舞っておったけれど、それでも維心様はどんどん離れて行かれるようだった。なので、我はお側に居なくて良いと言われてから、他のことに目を向けて、維心様のことを見ないようにしておったの…だから、本当に、最近では嫁ぐような感情ではなくて、父や兄に対する気持ちのようになっておったの。でも、急に妃にとおっしゃったから…戸惑って…。」
十六夜は、それを聞いて顔をしかめた。維心は、僅かばかり迷ったのだ。これが、維月でない維月に育ってしまったと。自分は、維月ならどんな維月でもいいか、と気持ちを切り替えることが出来て、普通に接していたが、維心は違った。少し見誤っただけで、こんなことになってしまったのだ。
「お前は、オレのことはどう思う?」十六夜は、思い切って訊ねた。「夫だったが、これからも同じ、夫になってもいいと思うのか?」
維月は、それを聞いてじっと十六夜を見つめた。十六夜は、固唾を飲んで答えを待った。維月は、少し困ったような顔をした。
「それが、十六夜はどうしてなのか、やっぱり側に居て欲しいと思うの。あなたは、我が小さな頃から今まで、全く変わらないわ。きっと、我がこうなる前から、ずっと同じ十六夜なのではない?離れたくない、と思うわ。たとえそれで、炎嘉様に嫁げなくなると言われても、やっぱり十六夜からは、離れられないような気がする…。我がままなのは、分かっておるけれど。」
十六夜は、それを聞いて椅子から飛び上がるように立ち上がると、維月を抱きしめた。
「維月!そうか…お前はオレを、忘れないんだな。」
維月は、それにも困ったような顔をした。
「ごめんなさい、忘れてしまってるわ。でも、そう思うの。それって、覚えているということかしら?」
十六夜は、頷いて維月から身を放すと、涙ぐんだまま言った。
「覚えてるんだ。オレ達はずっと一緒だったから。」と、ハッとしたように慌てて維月から腕を放した。「あ、もしかして、気持ち悪いか?オレのことも、兄みたいな気持ちなんじゃないのか。」
維月は、それには苦笑して首を振った。
「今抱きしめられたけど、嫌じゃなかったわ。安心する感じ。十六夜が居ると、小さな姿の頃からホッとしたの。維心様にも、最初はそうだったのに。」と、表情を暗くした。「我は…どうしてしまったのかしら。きっと、維心様のことも、愛しておったのでしょうに。」
十六夜は、維月の頭を優しくぽんと叩いた。
「焦ることはねぇ。維心のこと、もっと知って行ったらいいんだ。維心はな、お前がお転婆で大変な時から、それはお前を愛して来たんだぞ?オレの嫁なのに、それでも黙って想い続けて、ついにはオレも折れて二人でお前を守ろうって決めたんだ。それぐらい、あいつはお前のことをそれは大切にしてた。ストーカーみたいにな。」
維月は、黙って聞いていたが、顔をしかめた。
「ストーカーって何?」
十六夜は、肩をがっくりと落とした。
「なんだよ、お前記憶がないからか。早く思い出して、人の言葉も理解出来るようになってくれよな。お前まで、維心みたいにいちいちそうやって言葉の意味を聞いてきたら、オレも疲れちまうからよ。」
維月は、肩をすくめた。
「そう、知ってたはずの言葉なのね。仕方がないわよ、我は今記憶喪失なのでしょう?」と、十六夜にもたれ掛かった。「それより、しばらくこうしておって。我は、とても疲れてしまったの。少し、休みたいわ。」
十六夜は、胸に感じる維月の暖かさに胸を熱くしながら、その肩を抱いた。
「ああ。しっかり休んで、維心と炎嘉のこと、しっかり考えるんだぞ、維月。お前が思い出すのがいつになるのか分からない今、それがあいつらのこれからに掛かってるんだ。どっちになっても、片方は辛いのかもしれねぇけど…でも、結局はお前が選ぶことだろうから。」
維月は、黙って頷いた。
そうして、そのまま十六夜と二人で窓際に並べた椅子へと腰掛けて、寄り添い合って庭を眺めていたのだった。




