恋2
炎嘉は、維心の居間でしばらく話したのちに、宴の時間まで自分の客間で着替えて来ようと、夕暮れの宮の回廊を歩いていた。
すると、脇からかんざしを山ほど挿された維月が出て来て、明るい笑顔で炎嘉を見上げた。
「炎嘉様!」
炎嘉は、その愛らしい様に思わず頬が緩んだ。
「おお維月!なんとの、よう似合うではないか。新しい袿か?」
維月は、微笑んでくるりと炎嘉も前で回って見せた。
「はい。七夕用にと、仕立ての龍が作ってくれましたの。でもかんざしは…少し、重いけど。」
炎嘉は、苦笑した。確かに、前の維月もそんなことを言っていた。
「慣れねばならぬぞ。龍の王族はこれでもかとかんざしを挿されるのだ。まだ少ないほどよ。」
維月は、龍の王族と聞いて少し、表情を硬くした。だが、すぐに持ち直すと、炎嘉を見上げた。
「炎嘉様、七夕にはお話をしてくださると言うてくださいました。共に話してくださいませ。」
炎嘉は、甘えるように言う維月に、何と愛らしいのかとその手を取って頷いた。
「おお、何でも聞いてやろうぞ。このように愛らしい娘が申すのに、聞かぬはずなどないの。だが…」と、外を見た。「あまり長くはならぬな。宴があるゆえ。ま、少しぐらい遅れても良いが。」
維月は、きゃっきゃと喜んだ。
「早よう参りましょう!あの、東の庭に、美しい場所を見つけましたのよ。」
炎嘉は、この宮の庭のことなら知らないことがないのだが、嬉しそうな維月に微笑んで言った。
「ほう?楽しみであるの。どういった場所か?」
維月は、炎嘉を引っ張って歩きながら笑った。
「小さな滝があって。回りに花が咲いておりまするの。とっても小さな花々ですのよ。」
…奥の野草の花畑であるな。
炎嘉は思ったが、維月にあまりにはしゃいでいるので、何も言わずにそのまま維月と共に歩いて行ったのだった。
思った通り、そこは野草の花を軍神達が持ち帰り、維月のために作られた花畑であった。
しかし、維月はそんなことは忘れてしまっているので、知らないのだ。炎嘉は、改めてこの維月が、前の維月とは違うのだと思った。
だがそこで、花を見て嬉しげにはしゃぐ維月は、やはり維月だった。子供の姿ではあったが、それでもそんな愛らしい姿を見ることに、炎嘉は幸福を感じていた。思えば、自分は維月とこんな風に過ごしたことがあっただろうか…きっと、無かった。いつも、維心か十六夜が邪魔をしに来て…ゆっくり二人で戯れていることなど、無かったのだ。
月が、空に昇り始める。炎嘉は、遠く宮に灯が入っているのに気付いた。
宴が、始まっている。
炎嘉は、座ってはしゃぐ維月を眺めていたが、立ち上がって維月に手を差し出した。
「維月、もう宴が始まっておる。あまりに長く遅れたら、また維心が怒るゆえの。主は、そろそろ寝る時間ではないか?」
維月は、それを聞いて一気に表情を曇らせた。そうして、急にしおれたようになると、元気なく言った。
「…炎嘉様には、早く宴に参りたいですか?」
炎嘉は、困ったように言った。
「宴に出るのも、我の責務であるから。維心には、付き合いというものが出来ぬし、我が居らねば場が収まらぬ時がある。参らねばの。」と、一向に手を取りに来ない維月に歩み寄って、その手を取った。「さあ、無理を言わずに。参ろう。」
維月は、炎嘉を見上げた。炎嘉は、急に維月が動いたので、びっくりしてその目を見返した。すると、維月は涙で目を潤ませて、言った。
「我を、抱きしめてくださったではありませぬか。」維月は、訴えるように言った。「海に、連れて参ってくださった時に。まだ子供であるから、炎嘉様は我にはご興味がないとおっしゃるのですか?」
炎嘉は、仰天して維月を見つめた。何を言われたのか分からない。興味…?子供?維月は、我に何を言うておるのだ?
「何を…」
炎嘉が、混乱して言葉を詰まらせていると、維月は炎嘉の胸に飛びついた。
「我が子供であるのがならぬのですか?ならば…我は、成長しまする。何としても…」
炎嘉は、身に感じる維月の暖かさに、やっと分かった。維月は、我を想うておるのというか。
「い、維月…我を?主は、我を…」
いつなり、友に対しているようだったのに。
炎嘉の心には、そんなことが巡っていた。維月は、自分と共に過ごしていても、それは同情にしか感じられなかった。維月から、炎嘉を求めることなどなかった。いつもいつも、維月を追いかけて…維月は、そんな自分に応えるだけで、求めてなど、絶対にくれなかった。
なのに、今は求めてくれているのか。
炎嘉には、思い当たった。維心と十六夜。いつも絶対的に維月の心に居座っていたこの二人が、今は肉親として維月の心に居る。だからこそ、維月の別の愛情の矛先は、自分へと向かったのだ。維月は、維心と十六夜が居なければ、自分を選ぶのだ。
それに思い当たると、炎嘉は胸がいっぱいになって、涙が浮かんで来た。自分は、片恋ではないのだ。維月は、自分を想ってくれる。きっと元の維月でさえも、心のどこかで…。
炎嘉が、言葉に詰まってそんなことを思っていると、維月はぱあっと光った。身を震わせて、苦しげにしてる。
「維月?!どうした、何が…!」
維月は、ずるずると力なく膝を折って花の中へと手をついた。炎嘉は、慌てて自分も膝間づくと、維月を支えた。
「う…」
維月は、声も無く、ただ自分の身を抱くようにして震えている。光は、強く激しくなった。
「維月!」
炎嘉は叫んだ。ついに維月の姿が光の中に見えなくなって、炎嘉が必死に目を凝らしていると、現れた時と同じように、その光は一瞬ですっと消えた。
「維月!」
維月は、結い上げていた髪も解けて、下を向いて四つんばいになったまま、ぜいぜいと肩で息をしている。炎嘉は、急いで維月の肩を抱くと、その顔を上げさせた。
「急にどうしたのだ、何があった…、」
炎嘉は、その顔を見て、絶句した。維月が、汗を額に浮かべたまま、力無く微笑んだ。
「炎嘉様…我は、大人になりましたわ。これで、我をお連れ頂けますか…?」
維月のその顔は、紛れも無く、炎嘉が愛してやまなかった、あの維月だったのだ。
「維月…我は…我は」炎嘉は、維月を抱きしめた。「主は我を望むのか。我と共に来ると申すか…!」
維月は、気を失っていた。
炎嘉は、ただ維月を抱いて、花の中でじっとしていた。
維心は、まだ宴に出て居なかった。
そこへ、十六夜が青い顔をして現れたかと思うと、言葉を発しない間に、炎嘉が気を失った維月を抱いて飛んで来た。維心は、十六夜には構わず慌てて炎嘉に駆け寄った。
「炎嘉?!維月はどうしたのだ…何があった…」
維心は、そこまで言って維月を見て、言葉を失った。
…維月は、この一年数ヵ月見ていなかった、あの慕わしい姿になっていたのだ。
大人びた顔、長い手足に、成長した胸元。維心は、自分の体の奥底から突き上げて来る愛おしい感情に、狂いそうになった。
「花畑で。」炎嘉は、淡々と言った。「話しておる最中に、急にこのように。なので、連れ参った。」
侍女達が、慌ててわらわらと入って来て維月を囲んだ。炎嘉は黙って維月から手を放す。すると、侍女達は気で維月を持ち上げると、皆でまた、維月を運んで出て行った。維心が絶句しているのに、炎嘉は何も言わずに背を向けた。
「ではの。悪いが、宴には出れぬ。急に宮から戻るようにと言うて参った。すぐに戻らねば。」
炎嘉は、維心の返答を待たずにそこを出て行った。
維心は、残された十六夜を見た。
「なぜに…維月は、戻ったのか。術は解けたか。」
十六夜は、まだ青い顔をしている。維心は、不安に駆られながら、十六夜に詰め寄った。
「何ぞ?主は何を見たのだ。炎嘉は何を知っておる?何を急いで帰る必要がある。」
十六夜は、震える唇を、やっと動かした。
「維月が、炎嘉を。」十六夜は、感情のない声で言った。「炎嘉のために、成長した。炎嘉に嫁ぐために。」
維心は、これ以上無いほどの衝撃を受けた。何よりも、恐れていたことだった。
維心は、立っていられずに側の椅子へとくずおれた。やっと戻った、あの姿の維月が、愛しているのは炎嘉たというのか。そのために、身を成長させるほど…炎嘉を思うておるというのか。
「炎嘉は、そのまま連れて帰ることだって出来たのに。あいつはそうはしなかった。しばらく抱き締めてじっとしていたが、すぐに思い切ったようにここへ飛んで来たんだ。きっと…あいつには、できなかったんだ。オレ達から、維月を奪って行くことが。誰よりも、維月が側に居ない辛さを知ってるから…。」
維心は、身を縮めて頭を抱えた。維月が炎嘉を愛している。炎嘉は維心を思って愛する維月を置いて行った。なのに自分は、まだ自分の事ばかり考えている…維月を愛している。維月しか要らぬ。なのに維月は炎嘉と愛し合ってしまった。このままこれを拒絶しても、維月に恨まれるばかりなのに、炎嘉は自分の気持ちを考えてくれているのに、どうしても維月を諦められぬ。利己的な自分を、変えることが出来ぬ。維月だけは…維月だけは、どうしても手放す事は出来ぬ…!




