恋
そうして、維月は奥宮でも、瑠維が使っていた部屋へと移され、そちらで生活するようになった。
つまりは、維心とはあまり顔を合わせることもなく、毎日が過ぎて行く。それでも、日の終わりには、これまでと同じようにその日のことを報告して、挨拶を済ませて部屋に戻るのが、維月の毎日の日課だった。
まるで、本当に娘のようだ。
維心は、そう思いながら、いつも苦しく維月の背を黙って見送った。
十六夜は、維織の顔を見るのが辛くなり、あまり宮へ降りて来なくなった。それでも、時に降りて来ては維月と話すことは忘れなかった。維月は、何も知らずに維織の良い姉のように、毎日を維織の子守りで過ごすことが多かった。
今日は、軍務のことで南の宮から鳥の軍神達と炎嘉が、維心と会合を持つために宮へと来て、ひとしきり話し合っていた。独立して統治しているとはいえ、炎嘉は龍なのだ。維心の方が立場が上なのは、間違いなかった。
「…では、我は鳥をまた新たに軍に召し抱えるぞ?軍神達の子が育っておるからの。孫の代まで、最近では鳥が
増えておっての。龍は少し、こちらの宮へ返そう。」
維心は、頷いた。
「それで良い。こちらの守りが薄くなるのを懸念しておったからの。義心が老いぬとはいうて、このままではこちらも手薄でな。いくらか返してもらえたら、月の宮へも軍をいくらか割いておるから助かるのだ。」
炎嘉は、頷いた。
「手広く統治しておるからの。昔と違って、主が見ておる領地は広い。とても一人では見切れぬわな。」と、立ち上がった。「では、左様取り決めてあちらの龍を早急にこちらへ。我も忙しいし、今日はもう帰る。」
維心は、そんな炎嘉を少し驚いたように片眉を上げて見た。
「珍しいの。いつなり長居をしよるくせに。」
炎嘉は、怒ったように維心を軽く睨んだ。
「あのな、王にしたのは誰よ。我は主と違ってあっちこっちの宮から助けてくれと泣きつかれて対応に忙しいのだ。主が細かい所を見てやらぬから、こうなるのだ。全く、少しは仕事をせぬか。」
維心は、息をついた。
「ま、そのために主が居るのだろうが。細かいことは頼む。」
炎嘉は、ぶすっとしたまま踵を返した。
「ではの。見送りは要らぬ。」
維心は元より見送りなどするつもりもなかったし、頷いた。
「ではの。」
炎嘉は、さっさとそこを後にしたのだった。
炎嘉が、他の軍神達を共に龍の宮の出発口へと到着すると、脇から誰かが飛び出して来て、炎嘉の袖を掴んだ。
「炎嘉様!」
炎嘉は、仰天して振り返った。飛び立とうとしている自分の袖を掴めるほどに素早い神が、世に居たのかと思ったからだったが、見るとそれは、維月だった。
「維月っ?どうした、驚くではないか。」
維月は、必死の顔で言った。
「お話をしたいと思ったからですわ。なのに炎嘉様が、帰ってしまわれようとしておるから。」
炎嘉は、浮き上がっていた足を、床につけた。
「しようがないの。だが、長くはならぬぞ。我とて王であるから、忙しいのだ。」
維月は、ホッとしたように微笑んで頷いた。
「はい、炎嘉様。」
炎嘉は、ため息をつくと、軍神達に言った。
「しばし待て。庭に出て来る。」
軍神達は、膝をついて頭を下げる。炎嘉は、維月を見て頷き掛けた。
「さ、参ろう。宮に待たせてある神があるから、早ようせねばな。」
維月は、頷いたが少し表情を曇らせた。炎嘉は、相変らずくるくると表情を変えるやつよ、と思いながらも、維月の手を取って庭へと出た。
ずっと奥の方へと歩いていると、維月は、話したいと言いながら、じっと黙っている。炎嘉は、眉を寄せて言った。
「維月?用は何ぞ?」
維月は、急かせるような炎嘉の言葉に、少し傷ついたような顔をしたが、思い切ったように言った。
「炎嘉様には、宮に妃がお待ちでございまするか?なので、急いでいらっしゃるのですか。」
炎嘉は、驚いた。
「なに?妃?…いや、主は知らぬな。我には妃は一人も居らぬわ。王をやっておるとの、陳情に来る神が後を絶たぬでな。それがまだ宮に残っておったのに、こちらの時刻が迫っておったから、待たせて出て参ったのだ。我には帰ってあれらの話を聞く義務があるからの。これでも忙しい身なのだ。維心の方が暇そうであるわ。」
維月は、少し表情を明るくした。
「では、炎嘉様は…あの、我は炎嘉様の妃でありましたか?」
炎嘉は、めまぐるしく話題が変わるので面食らったが、急がせたのは自分か、と慌てて頭を動かして答えた。
「ああ、主は年に二度ほど、維心との取り決めで我が宮へと来ておったの。たった二日ぞ。維心のやつは、主を放さぬでな。」
少し憎憎しげに言っているが、それでもどこかに諦めのような感情もあった。維月は、じっと炎嘉を見上げた。
「炎嘉様には、滅多にこちらへ来られませぬが、次はいつこちらへ?」
炎嘉は、それにも答えた。
「決まっておらぬ。いや、近く七夕があるの。その時には来るかの。」
維月は、嬉しげに頷いた。
「わかりました。あの…我が炎嘉様の妃であった時、どれほどの背丈で、どんな姿でありましたか。歳は、幾つぐらいでございましょう。」
炎嘉は、首をかしげて維月を見た。
「そうよな、背丈はこれぐらい…」と、維月の頭より、少し上に手を翳した。「歳は幾つであったか。成人はしておったが、月であるから歳を取らぬでな。落ち着いた、美しい姿であった。今は、まだ子供のようであるがの。」
炎嘉は、微笑んだが、維月は真剣な表情で、笑わなかった。
「…我は、まだ子供でありまするか?」
炎嘉は、苦笑した。
「子供であるな。美しいのは変わりないが、しかしもっと大人であったわ。体つきも今とは違う。顔つきもの。」
維月は、下を向いた。
「…子供…。」
炎嘉は、何か傷つけるようなことを言ったかと、少し困って維月の顔を覗き込んだ。
「維月?落ち込むでないぞ、直に育つであろう。妹のようで、そのような姿の主も良い。」
維月は、それにも強張った顔をした。
「…妹…。」
炎嘉は、空を見た。時が惜しい。
「維月、また話を聞いてやるゆえ。七夕にでも。の?本日はもう、我は行かねばならぬ。」
維月は、顔を上げた。炎嘉は、驚いた…維月は、思いつめたような顔をしていたのだ。
「はい。炎嘉様にも、お気をつけてお帰りを。」
そうして、くるりと踵を返すと、駆け出して行った。
炎嘉は、いったい何を聞きたかったのかと、しばし悩んだが、次の瞬間には宮での謁見を思い出し、急いで龍の宮を後にしたのだった。
龍の宮の七夕祭りは、毎年恒例ではあったが、維心が出て来るのでそれはたくさんの神が、一目でも維心の姿を見ようと大挙してやって来る、大変に忙しい日だった。
維心は、毎年のことながら、そこで座って皆の視線に晒されることが、嫌で仕方がなかった。だが、これも責務の一つなので、仕方なくそこに座って、来客からの挨拶を無愛想に受けていた。
すると、相変らず赤い華やかな衣装で、周囲の神のため息を誘いながら、炎嘉がやって来て維心の前に立った。
「何ぞ維心。例に漏れず不機嫌よなあ。今少し愛想良うせぬか。それでは皆逃げ帰るわ。」
維心は、炎嘉を睨んだ。
「ここに座っておるだけでも有り難いと思うたら良いわ。相変らずよな、炎嘉。主の方が目立っておるわ。」
炎嘉は、顔をしかめて自分の袿の袖を上げて、左右見た。
「これもなあ。何しろ、我が鳥の頃からの職人を見つけたと言うたであろう?あれらが昔と変わらず我の着物を派手に作るゆえ、しようがないのよ。龍はもっと地味であるものな。主らは黒髪に暗い目の色であるのに。我は鳥の時のままの姿であるから、目立ってしょうがないわ。嘉韻も同じであるがの。」
鳥は、明るい髪色に明るい目の色で、赤い色や金色がよく似合うのだ。龍が逆に、黒髪に暗い瞳の色で、青色などの袿を羽織る。その方が似合うからだ。職人達は、自分の王が何が似合うのかを、よく知っているのだ。
もちろん炎嘉にも、それは派手やかな袿がよく似合っていた。
「ふん。」維心は、席を立った。「居間へ参るであろう?我ももう引っ込みたいわ。これ以上見世物になるのは我慢がならぬ。」
炎嘉は、苦笑した歩き出した。
「しようがないことよ。皆が残念がるぞ?」
そう言いながらも、炎嘉は維心について奥へと歩いて行く。
皆の残念そうなため息が、二人の背に聞こえた。




