拒絶
維心は、必死の思いで奥宮へと帰って来た。維月を探して、気を探る…維月は、侍女達と奥の家族が使う居間で話しているようだった。
維心が、息を切らせてそこへ飛び込むと、維月が驚いたように振り返った。侍女達が、びっくりして立ち上がって慌てて頭を下げる。維月も遅れて立ち上がると、維心に頭を下げた。
「維心様。御用でありましたら、参上致しましたのに。」
いつもと変わらぬ、落ち着いた様子の維月に、維心は首を振って、いつもは手を差し出すのに自分から寄って行ってその手を取った。
「良い。維月、話があるのだ。」
維月は、何事かと目を丸くした。維心は、何やら必死な表情で自分の手を握っている。維月は、戸惑って侍女達をちらと見た。侍女達は、頭を下げたまま、こちらを目だけで見て何度も小さく頷いている。維月は、維心に向き直ると、頷いた。
「はい。何でございましょうか。」
維心は頷いて、維月を促した。
「我の居間へ。」
維月は、どうして維心がこんなに必死なのか分からなかったが、維心に手を引かれるまま、維心の居間へと入って行った。
最近では、ついぞ座ることもなかった正面の維心の椅子へと連れて行かれて、そこへ並んで座った。維月は、落ち着かぬように身を動かした…最近は、こんなに近くに寄ることもなかったから、変な感じ…。
維月がそんな風に思っているとは知らずに、維心は維月の手を両手で握って、思いつめたような目で言った。
「維月…主は、我に遠慮して己の本来の性質を、隠しておるのか?」
維月は、ドキッとした。どうして知っておられるの。
叱られる、と思った維月は、顔を背けた。
「女神なんて、皆そうではありませぬか?礼儀に通じておるように、振舞わねばなりませぬ。まして維心様は、龍の王族であられるのですから。無礼な真似など、出来ませぬ。」
維心は、驚いた。以前の維月のように、はっきりと自分の意見を言うのを、この維月では初めて見たのだ。
やはり炎嘉が言っていた通り、維月は何も変わっていないのだ。それなのに、自分は維月との関係の構築をせず、放って置いた。このままでは…。
「そんなこと、気にせぬでも良いのだ。主は、主のままで居れば良い。我は、いつなり主を厳しく躾けたりせなんだであろう?ありのままの主が良いと思うておったからぞ。そのように言うたのは、侍女達か。」と、維心は険しい顔をした。「…ならばあれらは、罰しねばならぬ。」
維月は、慌てて維心を抑えた。
「維心様!あの、そうではないのですわ!維心様が、幼い頃より我を一生懸命育ててくださるから、我もそれに答えねばと、お仕事でお忙しい時などに、侍女達にいろいろと聞いたのは、我の方なのでございます。なので、侍女達は王族らしくと、そのように。あれらが悪いのではありませぬ。」
維心は、維月を抱き寄せた。
「維月…幼い頃から話しておった。我の妃になると。まだ幼いかと思うておったが、早ければ嫁ぐ歳。もうそろそろ、主にも婚姻の意味が分かるのではないか?」
維月は、それを聞いて思わず身を退いた。確かに知っている…幼い頃から、維心がずっと妃になると自分に言っていたことも。でも、最近は側にも居なかったし、そんな急に…!
「…まだ、あまり急なことで、そのような心持ちにはなれませぬ。あの、本日は宴にご出席だとお聞きしておりますのに…」
維月が、慌てて自分から離れようとするので、維心はしっかりとその肩を抱いて離さなかった。
「宴など、勝手にさせておけば良いのだ。維月…奥へ参ろう。早よう我の妃に。」
維月は、それを聞いて、維心のことが好きなはずなのに、なぜか背筋が寒くなった。維心様と…維心様と褥を共に?!
その時、維月は維心のことを、兄や父のように思っているのを悟った。嫌いではない。でも、とてもこんな気持ちで嫁ぐなんて出来ない…!
「お、お許しくださいませ!」
維月は必死に維心の手を振り払おうとした。だが、維心は尚もしっかりと維月を抱き寄せて、居間の椅子へ押し付けた。
「何を抗う!主は我の妃なのだぞ!ならばここで!」
「いや!」
維月は、月の力を初めて使った。この維心から逃れようと思ったら、それしか無かったからだ。
維心の腕が、月の力で押し返されて解けた。維月は無我夢中で居間の寝椅子から転がり降りた。
「維月!」
維心の声が呼ぶ。だが、維月はものすごいスピードで居間の窓から飛び出すと、一瞬で見えなくなってしまったのだった。
維心は、呆然とそれを見送った。維月は、我を拒絶する。まだ、早かったのか。放って置いたのに、突然に妃にしようとしたゆえに、我を厭うて…我を受け入れてくれぬのか。だが、一刻も早くと焦る気持ちでどうしようもなかったのだ。愛しているのだ…維月を。早く手にしたいと思うて焦って、我は永遠に維月を失ってしまったのでは…!
維月は、維心から逃れて必死に飛んだ。すると、今までそんなことをしたことがなかったが、自分はとても速く飛べる事実を知った。そうして、速く飛べば飛ぶほど自分の体が光に近くなって行くのを見て、自分は本当は実体を地上に持っていない事実を知った。力は、遠く上空にある、あの月から来る…。維月は、何も教わっていなかったが、自分が月から降りている、十六夜と同じ命である事実をそれで悟った。
だから、十六夜が身近に感じて懐かしかったのか。
維月は、やっと理解した。そうして、無償に十六夜に会いたくなった。十六夜は穏やかで、無理に何かを押し付けて来るわけでもなく、まだ体小さな時からとても楽だった。何を言っても、許してくれる安心感がなぜかあった。それも、きっと同じ月だからなのだ。
維月は気が付くと、さっき炎嘉に連れて来てもらった海辺の断崖まで来ていた。そうして、背後から維心が追って来ていないのを感じると、急に気が抜けてへなへなとその場へとへたり込んだ。見ると、必死に逃れて来たので着物が乱れて打ち合わせも歪んでいる。
「う…」維月は、胸の奥から何かが突き上げて来て、嗚咽を漏らした。「どうしたらいいの…!」
自分は、赤子の時から維心に自分の妃になるのだと言われて育って来た。自分でも、そうなのだと疑わなかったし、そのためにと礼儀も一生懸命学んだ。だが、実際に維心にそれを求められると、寒気のようなものが体だけではなく心の中にまで流れて、とても受け入れることが出来なかった。自分は、維心と結婚することなど出来ない。そんな気持ちになれない…!
維月は、誰も見ていないのをいいことに、声を上げて泣いた。維心が自分を育ててくれていたのは、きっと妃にするためだっただろう。それなのに、自分は維心を受け入れることが出来ない。もう、ここに居ることは、出来ない…。
「…ここか。」
聞き覚えのある声が、様子を伺うように聴こえた。維月は、びくっとして振り返る。そこには、宴に出ていたのだろう、赤い正装用の袿を身につけた炎嘉が立って、困ったように微笑していた。維月は、びっくりして振り返ったが、炎嘉だとわかると、途端にまた、涙を溢れさせた。
「え、炎嘉様…我は、我は…」
炎嘉は、首を振った。
「良い。分かっておる。」と維月に歩み寄ってソッとその背を擦った。「許してやるが良い。維心はの、女というものを知らぬのだ。主を想う余り、焦って先走ったのであろう。悪気はない。」
維月は、しゃくりあげながら炎嘉を見上げた。
「でも…でも、お許しくださいと申しましたのに。いくら赤子の時から決められているとは言うて、こんなに急に…我には、無理でございます。」
炎嘉は、息をついた。
「我も男であるし、女の気持ちは分からぬが、しかし維心の気持ちは分かっておる。あやつはの、不器用なのだ。たった一人しか愛せずに居て、その一人だけを追い求めておるからの。」と、維月の肩を抱いて、その横へと胡坐をかいて座った。「のう維月、主はなぜに維心の妃と決められておったのだと思う?」
維月は、急に振られてきょとんとした。
「え…父が、決めたとかでしょうか。」
炎嘉は、維月の涙を袖で拭いてやりながら、首を振った。
「いいや。主はの、もう長いこと、維心の妃であったのだ。事故があって術に掛かり、それゆえに赤子に戻り…維心は、なので主を育てた。主が元の主に戻り、また主を自分の側に妃として置くことが出来るようにと。」
維月は、それを聞いて愕然とした表情で炎嘉を見上げた。初めて聞いたことだったのだ。
「我は…もっと前に生まれたのですか。」
炎嘉は、頷いた。
「そう。我も主を愛し、そうして年に二度ほど僅かな時だけ許されて共に居た。」と、空を見上げた。「十六夜とて、主と対の命。主らは夫婦であった。」
維月は、あ、と口を押さえた。
「…だから、懐かしいのですわ。我は、ついさっき己が月であることを知りました。力を使おうとしたら、月から力が降りて来たので…。」と、月を見上げた。「だから我は、こうして身を急激に大きくすることが出来ましたのね。姿は、どうにでも出来るのですわ。」
炎嘉は、頷いた。
「その通りよ。主の姿は、成人しておったからの。」と、落ち着いて来た維月に言った。「なので、維心はの、主が愛おしくてならないのだ。長い生で愛したのは主のみ。だからこそ、焦ったのだろう。」
維月は、冷静になって来て、自分で涙を拭って、言った。
「でも炎嘉様…維心様は、我にご興味もなさげであられました。赤子からもう少し体小さな時はそれはお側に居られましたけれど、ここ数ヶ月は、側に居なくても良いとおっしゃって。」
炎嘉は、維月が淡々とこちらの話を理解してくれるので、ホッとして言った。
「それはの、主が主ではなくなったと思うたからぞ。主は、それははねっ返り娘でなあ。主の父も十六夜も、主が幼い頃にはそれは大変な思いをしたようで、性質もハキハキと小気味良く清々しく、今こうして我と話しておる主そのままの気の強い女であったのだ。それが、此度維心の側で、主は我慢しておっただろう。侍女達が言うように、女神らしくと己を隠して。それに、維心は失望しておったのだ。主ではない、とな。何しろ、主以外を愛せないあれが、他の女のようになってしまった主に、どうしたらいいのか分からなかったのだろう。」
維月は、じっと考えていた。維心様は、自分だけを愛してくれておったのだ。だからこそ、赤子になってしまっても、手元に置いて育ててくれていたのだろう。なのに、違う女になってしまったら、それは戸惑っただろう。
「でも…」維月は、涙ぐんで下を向いた。「我はもう、維心様を兄上や父上のように思うてしまっておりまする。そのように想うてくださっておるのは理解出来ましたし、出来るならお応えしたいと思いまするけれど、今の私には、まだ…。」
炎嘉は、優しく微笑んで、頷いた。
「急ぐことはない。主がゆっくり決めれば良いではないか。そのように思いつめたら、ここに居ることが出来ぬぞ?今頃、維心も後悔しておるはず。あやつが必死であったことだけでも、分かってやるが良い。」
維月は、下を向いたまま、頷いた。
そんな維月を、炎嘉は抱き上げて龍の宮へと戻って行ったのだった。




