懸念
維心は、炎嘉にもそろそろ話しておかねば、と探していた。維月を南へやる約束が守られておらぬと再三連絡が来ていたのにも、不都合があるからと一方的に蹴ってばかりで、訳を詳しく話して来なかったからだ。
あまり放って置くと、炎嘉は奥宮へ押し掛けて来るだろう。
面倒だが、夜の宴までには話をつけておきたかったのだ。
なのに、炎嘉が居ない。会合が終わってすぐに、維心が他の神に気をとられていた隙にどこかへ行ってしまって、部屋にも帰っていなかった。
どこへ行ったとイライラと気を探ろうとした時、十六夜が維心を探して飛んで来た。
「維心!良かった、お前炎嘉に維月のこと話したか?」
維心は、不機嫌に十六夜を振り返った。
「それを宴までに済ませようと探しておるのに、あやつはどこへ行ったのか居らぬのだ。」
十六夜は、真剣な目で維心を見返した。
「炎嘉なら、海辺に居る。月に連絡して来た。」
それには、維心も驚いた顔をした。
「なんだって?何かあったのか。」
今度は十六夜が不機嫌に維心を見た。
「だから話したのかって聞いたんだよ!維月連れて二人で海を見に行ってるんだ!」
維心は、驚いて目を見開いた。炎嘉と?!
「炎嘉と維月が?!なぜにそのようなことに…」
十六夜は、恨めしげに維心を見た。
「知らねぇよ。お前、維月にあんまり興味ないだろう。普段から、そんなに接してないじゃねぇか。前はストーカーだったくせに、今は気すら探ってねぇだろう。どこに居ても、そんなに気にしてねぇから。」
維心は、そう言われて視線を落とした。確かに、前は自分の結界の中に居るというのに、ずっと気配を探ってどこに居るのか、何をしているのか、誰と話しているのか、更に何を話しているのかまで見ていることまであった。それなのに、今はどこに居るのかも把握していない。まさか、維月が炎嘉とそんな結界の端まで行っているなんて、思ってもみなかったのだ。
「では…迎えに。」
十六夜は、首を振った。
「急に行ったら、維月は叱られると思うだろう。お前は自由にしていいと言ってたんだろう?維月がそう言ってた。どうせオレが月から見てる。炎嘉は無茶はしねぇよ。さっきから見てるが、炎嘉はいつものように維月の話を上手いこと聞いてやって、維月はきゃっきゃと笑ってるよ。あいつは、ああいうことにめちゃくちゃ長けてるから、もう馴染んじまってる。」
維月が、きゃっきゃと笑う?
維心は、驚いた。以前の維月なら、そうだろう。だが、今の維月は、決してそんなことはないのに。女神は、人前でそんな風に声を立てて笑ったりしないのだ。
「そんな…炎嘉には、そのように?」
十六夜は、ため息をつくと踵を返した。
「もういい。とにかく、炎嘉が帰って来たら、事情をしっかり話しておけよ。あいつは、以前の維月とは違うんだから。」
そう言うと、十六夜はさっさと出て行った。維心は、遠く結界端にまで意識を飛ばした。維月が、笑っていると。炎嘉は、何を話しているのだ。育てた我には、見せておらぬ顔があると言うか。
しかし、その時にはもう炎嘉は維月を抱いて、龍の宮へ向けて飛んで帰って来ている途中だったのだった。
炎嘉は、庭の芝の上に降り立った。
「さ、では主は部屋へ帰るであろう?」炎嘉は、維月を下ろして言った。「短い時間ですまぬの。我はこの後の宴に出ねばならぬから。維心には、我から話しておこう。叱られるなどと案じることはない。」
維月は、微笑んで優雅に炎嘉に頭を下げた。
「いろいろとありがとうございました、炎嘉様。大変に楽しかったですわ。まさか、維心様がこのようなご友人をお持ちだとは、思ってもみませんでした。」
炎嘉は、豪快に笑った。
「全く違う性質だと思うておるのだろう?」
しかし、維月は少し首をかしげた。
「いえ…よく似ていらっしゃるのに、これほどに違うことに驚きましてございます。」
炎嘉は、真顔になった。維月…全て忘れているようなのに、やはりこれは維月に違いない。すぐに、本質を見抜いてしまうか。
「やはり主は…主のままぞ。」と、炎嘉は維月を抱き寄せた。「また、参る。共に過ごそう。」
維月は、突然のことに驚いて、真っ赤になった。だが、そのまま黙って炎嘉の胸に顔を埋めて、目を閉じた。
「はい…お待ちしておりまするわ。」
炎嘉は、おとなしく自分に身を任せている維月に、驚いて視線だけでその顔を見た。維月は、自分を信頼しているかのように、じっと赤い顔で目を閉じている。いつも、こんな風に維月が身を寄せてくることなどなかった。いつもいつも、その心には維心が、十六夜が居て、自分はただ、同情で相手をされているように感じたものだったのに。
もしかして…と、炎嘉は思った。この維月ならば、自分を愛してくれるのかもしれない。維心が育てたと言っていた。ならば維心のことは父親のように思っていて、維月は自分を愛してくれるのでは…。
炎嘉は、しかしためらっていた。そのような、いつか醒める夢のようなことを考えてはならぬ。所詮自分は、維心と十六夜には敵わぬのだろう。そんな希望は、持つべきではない…。
炎嘉は、そっと維月を放した。
「さ、もう戻れ。侍女達が案じておるだろうぞ。」
維月は、慌てて炎嘉から離れると、頷いた。
「はい。では、また。」
維月は、さっとそこから奥宮の方へと帰って行った。それを、じっと見送ってから、炎嘉は言った。
「…して?我に何の用よ、維心。一年も我に黙っておって。維月は、一年前からああなっておったのだろうが。」
気を抑えた維心が、脇から進み出た。そして、炎嘉に頷いた。
「正確には、一年前には赤子であった。それが、ああして段階的に育って、今の状態に。維織が己の力もよう分からぬままに力を使っての。二人とも、赤子に戻ってしもうたのだ。だが、大氣が見たところによると、維月の中には以前の維月が居る。その記憶が戻り次第、元々あれは月のエネルギー体であるから、元の維月に戻るだろうと。なので、それを待っておるのだ。」
炎嘉は、振り返った。
「主が育てたのか。」
維心は、それにも頷いた。
「赤子の頃は。だが、言葉がわかるようになってからは、あれは侍女達から己で学んでああいう風になった。以前の維月とは、まるで別人に…。」
炎嘉は、ぴくっと片眉を上げた。
「別人?どの辺りが別人であるのだ?我には全く変わっておらぬように思うが。」
維心は、それこそ驚いて炎嘉を見た。
「何を言うておる?すっかり他の女神のように淑やかに何にも口出しもせぬような女に育っておるだろうが。」
炎嘉は、それこそ仰天したような顔をした。
「なんだって?主の中では、そんなに淑やかという言葉の意味が下がったのか?」
維心は、炎嘉を睨んだ。
「主こそ何を言うておるのだ。主はしばらく見ぬ間にえらく評価が厳しくなったのだの。」
炎嘉は、むきになって維心に向かい合った。
「あのな、池に足を浸して、窮屈とか叫んでおるのは、淑やかなのか。」
維心は、目を丸くした。
「え…誰がぞ?」
炎嘉は、怒ったように言った。
「維月ぞ!それからずっと海を見ながら話しておったが、全く変わった所などなかったわ!我の知っておる維月の、幼い版ぞ!」
維心は、絶句した。自分の前では、そんな素振りは欠片も見せない。見せたことなどない。
炎嘉は、呆然と立っている維心に、ふっと鼻で息をつくと、言った。
「…もしかして、主のことは父親のように思うておるのではないのか?維心様に叱られる、と維月はよう言うておったわ。主が何も言うておらぬのなら、侍女達が言うて聞かせておるのであろうの。なので、主の前では淑やかな女を演じておるのだろう。我には、最初に見たのが池でのそんな状態であったし、今更淑やかにしても芝居がバレるゆえ、ああして素の維月であったのでは。どちらにしても、主が維月を放って置いたのは、維月と話しておって分かっておるわ。厳しいお顔で自分を見ていることがある、と維月は言うておった…恐らく、主が元の維月と別人とか思うておることを、あの維月は気取っておるぞ。分かっておろう?維月はそういったことを気取るのが得意ぞ。」
維心は、あれが間違いなく維月であることを、炎嘉の言葉に知った。自分の気持ちを気取って、そうして叱られぬようにと、ああして女神を演じている。自分の気持ちを気取って、近寄らぬようにしているのだ。自分も、距離があるのにホッとしていた。維月と別人だと思っていたからだ。
「我は…維月と話さねば。」維心は、視線をさまよわせながら言った。「我は…我は維月が維月であるのに、それに気付くことも出来ず…。」
炎嘉は、眉を寄せて維心を見た。
「やめておいた方が良いのではないか?今の維月は、まだ子供。主のことは、父のように思うておる。関係を構築し直すのなら、時が要る。だが、そんなことをせずとも、維月は元に戻るのだろう?」
維心は、炎嘉を険しい顔で見ると、くるりと踵を返した。
「わからぬのだ!そうであろうと言われておるだけで、それがいつになるか…我は、今の維月に想うて貰わねば安心出来ぬ!」
維心は、急いで奥宮へと戻って行く。炎嘉は、成す術なくそれを見送った。維心を阻止してこのままの維月で居て欲しいのか、以前の維月に戻って欲しいのか、炎嘉にも分からなかったのだ。




