重なる命
維月は、渾身の力を振り絞り、碧黎に向かって叫び続けながら、暗闇をまだ降りていた。
《お父様ー!お父様ー!!》
維月の必死の声は、暗闇の中に吸収されて響くことはない。それでも、維月は叫んで無我夢中に降りていた。
《お父様…》
意識が、混沌として来る。かなりのスピードで降りて来たので、もう自分の体もよく分からなかった。それでも、維月は碧黎を呼ぶのをやめなかった。
《お父様…》
しかし、なぜに、自分がそんなことを言っているのか、分からなくなって来ていた。父という単語の意味も、維月にはもう、よく分かっていなかったのだ。それでも、それが自分の使命であるかのように、維月はひたすらに同じ単語を発し続けた。
《オトウサマ…》
なぜか慕わしい声が、遠くから自分に叫んでいるのが聴こえる。
《維月!駄目だ、もう微かにしか感じられないのに!》
維月は、意識が遠くなって行くのを感じた。
イザヨイ…。
「…維月の意識が、感じられなくなった!」十六夜が、悲痛な声で叫んだ。「維心!維月の意識が…!!」
維心は、慌てて維月の姿を見た。消えてはいない。揺らぐが、しかしまだ残っている!
維心は、また焔の手を使って書いた。
『まだ消滅しておらぬ。碧黎と同じ場所へたどり着いておるやもしれぬ。呼び続けよ。戻るまで、呼び続けるのだ!』
十六夜は、それを見て頷くと、涙目になりながらも必死に強く強く念を送った。
《維月…!維月、こっちだ!こっちへ戻れ!!》
維月は、我に返った。
何かに、包まれているような気がする…。
そうして、真っ暗なのを承知で目を開くと、ぼうっとした光りに包まれて、浮いているのが分かった。
《イヅキ。》
遠い記憶が、その声を歓喜の情と共に迎え入れる。維月は、念を返した。
《オトウサマ?》
すると、その光りは、輝きを増した。
《イヅキ…ああ何ぞ。慕わしい…守らねばならぬもの。》
維月は、その声の優しさに段々に蘇えって来る記憶を辿って、叫んだ。
《お父様!》維月は、抱きつこうとした。体が無い…?それでも、腕を伸ばそうとした。《お父様…どうか、どうか助けてくださいませ!ああ私を…。》
すると、目の前に自分の腕が見えた。それを見て、維月ははっきりとして来た頭で、その光りを振り返った。
《お父様!お会いしたかった…!》
抱きつこうと腕を伸ばすと、その光はすーっと形を作り、真っ白な碧黎の人型になって維月を受け止めた。
《思い出した。維月か…!なぜにこんな所にまで。我は、もう己を亡くしておったはずであったのに。》
維月は、泣きながら首を何度も振った。
《お迎えに参りました。どうか、共にお戻りください。お父様…お父様がいらっしゃらなければ、私は何も決められぬのです。いつもいつも、守ってくださった。呼べば来てくださった。どれほどに頼りにして、愛しておったことか。二度とお会いできぬなど、私に消滅せよとおっしゃっておるのですわ。》
碧黎は、そんな維月の頭を撫でた。
《消滅の危険を冒してまで、主はここへ来たのか。よう十六夜が許したもの。維心とて…》と、何かに気付いたような顔をした。《…そういえば、維心は過去の映像の中か。我は、あれらを待っておる間に、ここへ沈みこんでしもうたのだの。》
維月は、頷いた。
《はい。どうか、私と共に、お戻りを。もう一度、お側に居てくださいませ。》
碧黎は、じっと維月を見つめていたが、ふっと息をついて下を向いた。
《…分かっておろう。我は、主を愛している。維心や十六夜のように、常側にと言わぬだけ。とても父ではない。それでも、主は我に戻れと言うか。》
維月は、迷いもなく頷いた。
《はい!私も、お父様を愛しておりまするから。》碧黎が、驚いた顔をした。維月は、困ったように微笑んだ。《ここでは嘘はつけませぬ。心の中でありまするから。愛しておるのですわ。お父様とも男のかたとも思うておるのですわ。前世今生の記憶が、そうさせるのでしょう。でも、後悔などありませぬ。私を愛していてくださいませ。何がいけないと申すのでしょうか。神世や人世と違って、体を繋ぐこともないのに。それでも愛し合っていても、良いではありませぬか。》
碧黎は、びっくりしたようにそれを聞いていたが、微かに笑った。
《…知らぬぞ?十六夜や維心が、また心がどうのとうるそう言うて来るのに。》と、維月に唇を寄せた。《しかし密かに心を繋ぐのは良いの?体ではない…我は命そのものを繋ぐのだ。》
維月は、ためらうように碧黎を見た。
《命そのものを…?》
碧黎は、頷いた。
《そう。陽蘭にもまだしたことはない。一時、一体になるのだ。体ではないぞ?命をだ。これが、我の究極の愛情表現であろうの。》と、まだ不安そうな維月に口付けた。《案ずるでない…我とて初めてのこと。維心が体を繋ぎたがるのと、同じだと思えば良いわ。だが、そんな上辺のことではない。真にひとつということぞ。主と共に…。》
維月は、途端に碧黎の意識と自分の意識が、重なって溶け込み、命全体が熱く熱を持ち、お互いの気が混ざり合って信じられないほどに心地よいのを感じた。
そうして、その感覚に飲まれるように気を失った。
…愛している…主と命を重ねることが出来るのは、我だけぞ。
碧黎の声が、維月の心の中に瞬いて、消えた。
「おお!」
大氣が、珍しく声上げた。その声に皆が碧黎を見ると、人型の碧黎の髪が、元の真っ青な色へと変化して戻った。どこか薄かった存在感が、しっかりとした実体を持つ。そうして、ゆっくりと目を開いた。
「親父!」
「碧黎!」
十六夜が、泣かんばかりになって碧黎に噛み付くのではないかというほど近く寄る。碧黎は、回りを見た。
「…戻ったか。」そうして、自分に寄り添っている維月を見ると、頬を緩めた。「維月も、直に目覚める。」
大氣は、ホッとしたのか心持ち潤んで見える瞳で、碧黎を見つめて言った。
「ほんに…心配させるの。なぜに主は全て己で抱え込む。我は、何のために居るのかといつなり言うではないか…。」
言葉を詰まらせる大氣に、碧黎は苦笑した。
「すまぬの。しかし、もう案じることはない。我は…己の心の持って行き場を見つけたのだ。」
そうして、身を起こすと、回りに眠る、維心、炎嘉、蒼、焔を見た。
「こやつらを戻さねばならぬの。どうやら、数秒ほど過去の画像を見ておるようぞ。つまりは、ほとんど現在よな。苦労を掛けたの。」
十六夜は、顔を背けるとぐいと袖で顔を拭って、そうしてから碧黎を見て言った。
「全くだ。もうこいつらを戻せないかと思って、黄泉へ送ることまで考えてたんだぞ。」
碧黎は笑った。
「そうか、追い詰められておったのだの。すぐに戻そうぞ。」
そうして、手を上げた。すると、途端に維心が眉を寄せて目を瞬かせ、炎嘉は起き上がろうともがいた。蒼は、まだじっと眠っているような状態のままで、焔も、動かなかった。
「う…」維心は、ゆっくりと半身を起こした。「長く離れておったゆえか。どうも重い。」
炎嘉も、じたばたとまるで溺れているかのような動きで身を起こそうとしている。
「じ…自由に、ならぬ。口が、重い…。」
碧黎は、頷いた。
「精神体で慣れておったのだからの。身を持つとは、重いものなのだ。直に思い出そうぞ。」と、険しい顔をした。「だが…。」
十六夜は、まだ動かない蒼と焔を見て、心配そうに言った。
「蒼は?戻れてないのか。」
碧黎は、首を振った。
「何ぞ、己の子ばかり。蒼はこういうことに慣れておらぬから、気を失っておるだけぞ。戻っておるわ。だが、焔…。」と、今まで倒れていたとは思えないほど、すっと立ち上がって側へと寄った。「こやつ、壁をすり抜けておるわ。そうか、鷲か。鷹と同じような能力を持っておったの。」
炎嘉は、やっと動くようになり始めた口を庇うように、顎の辺りを手で押さえながら言った。
「鷹?ああ、箔炎は面倒な能力を持っておって、どんな結界でも一定の波動のものなら波動を合わせてすり抜けて入ったよの。鷲にも、同じような能力があると言うか。」
碧黎は、頷いた。
「ある。こやつは恐らく、知らずに我が設けておった時の壁を簡単に抜けて、そっちの世界を見ておるの。己では夢でも見ておる心地であろうが、どうしたものか…勝手なことをしておるゆえ、これだけ過去と現在の狭間に入り込んでおるような状態よな。誰か、連れに行かねばならぬが、我は戻ったばかりであるし、心もとないゆえな。」
とても心もとないような足取りではないが、本人がそう言うのだからそうなのだろう。維心と十六夜は、顔を見合わせた。
「…親父、それって危ない場所か?」
碧黎は、首を振った。
「いいや。過去の…これは、主らの前世の、維月や蒼が人から月へと変わった辺りかの。それを見ておるようぞ。寝入り際、それを気にして眠ったのではないか?なので、そこへ飛んだのだろう。」
維心は、大儀そうに立ち上がったが、それでもしっかりとした足取りで維月に歩み寄ると、そっとその額に口付けた。
「維月は、もう大丈夫なのだな?」
碧黎は、頷いた。
「大事ない。まどろんでおるだけぞ。休ませてやるが良い。」
それを聞いた維心は、ふっと息をつくと、維月から無理に視線を碧黎へと移した。
「ならば、我が参ろう。焔を放って置くわけには行かぬから。」
十六夜が、慌てて言った。
「お前も疲れてるだろう、維心。オレが行く。連れて帰ったらいいんだしな。」
維心は、十六夜を見た。
「だが、主は焔と親しくあるまいが。良い、では共に参ろう。さすれば何かあっても大丈夫であろうから。」
炎嘉が黙ってそれを聞いていたが、ふーっとこれ見よがしに肩で息をつくと、今起き上がったばかりのソファへまた背を預けた。
「あーわかったわかった!ならば我も行く。」と、碧黎を見た。「さっさと帰って来るわ。碧黎、此度はすぐに帰せよ。これ以上疲れたら我は再起出来ぬわ。」
碧黎は、大真面目に頷いた。
「これ以上何かなることはない。万が一我に何かあっても、大氣にどうにか出来る力の波動を使うゆえ大丈夫ぞ。」
頷いた維心は、自分もソファに戻った。そうして、十六夜は手近なソファへとごろんと寝転んだ。
「じゃ、やってくれ。さっさと行ってくらあ。」
碧黎は、呆れたように笑うと、手を翳した。
「あのなあ、誰にでも出来ることではないのだぞ?簡単に言いよってからに。」
そうして、碧黎から出た白い光に包まれ、三人は焔が居るという時間の映像へと飛んで行った。




