過去と現在の狭間2
維心は、十六夜が急に叫びだしたのを見て、思わず自分の体から立ち上がった。側に寝ていた炎嘉も、飛び出すように起き上がって維心の後ろに立つ。十六夜は、必死に叫んでいた。
「駄目だ、戻れ!親父はもう、深く潜って親父じゃねぇんだよ!お前の人格まで消えちまう!人型が崩れてるんじゃないのか!」
しばらく間がある。恐らく、維月が何か返しているのだろう。維心は、気が気でなかった…人格が崩れている?碧黎が深く潜っている?どういうことぞ。
その後、十六夜はまた叫んだ。
「戻れ!黄泉へ行こう、将維に頼むんだ!お前、このままじゃ人格が無くなって生きながら無に返っちまう!黄泉へも行けなくなるんだぞ!維心にすら会えなくなってもいいのか!本当の消滅なんだぞ!」
すると、側の大氣が割り込んだ。
「何を言うておる!主らが居らぬようになったら、誰が地上を守るのだ!」と、眠る四人を見た。「龍王、月の王、南の王、鷲の王。こんな大層な面々が一度に黄泉へなど逝ってしもうたら、いくら維明が維心の血を引いておっても治めきることなど出来ぬ!地上が乱れるぞ!我には碧黎ほど、神世をどうにかする力などない!」
呆然と聞いている維心と炎嘉の前で、十六夜は維月の手を放さず大氣に叫んだ。
「うるせぇ!このままじゃ、維月が親父と一緒に無になっちまう!そうなったら、もう二度と維月の人格には会えねぇんだぞ!黄泉へ逝けば、あっちで会えるじゃねぇか!親父が居なけりゃ維心達を救い出せない限り、死ぬしかねぇって言ったのはお前だぞ、大氣!」
維心は、衝撃を受けた。そうか…維月が必ず戻すと言ったのは、そういうことだったのだ。自分達は、碧黎が居なければ戻れない。しかし、体はこのまま老いて行く。眠ったまま、死ぬまで待つしかない状態なのだ。それでも、死ねる自分達はまだ良い方、蒼は…。
「維心様…。」
声に振り返ると、蒼が自分の体の前で座っていた。維心は、困惑した顔で蒼を見た。
「蒼、主は…。」
蒼は、頷いた。
「このままでは、オレだけこっちへ未来永劫残されることになるんですね。だから、十六夜は将維に頼むって…。」
維心は、頷いた。最後は、それしかないのだ。それを知った維月が、ああして我に必ず戻すと言って口付けて、碧黎を戻しに行った。おそらくは、維月のためにこんなことになっているだろう、碧黎を戻すために…。
「…だが、維月も今深く潜り過ぎて戻って来れぬようになりそうなのだろう。」炎嘉が、淡々とした口調で言った。「我は別に良い。黄泉へ行っても。元々不自然に転生しておるし、その方がすっきりする。だが、このままでは維月は消滅してしまいそうなのだろう。だから、十六夜はあれほどに必死になっておるのだ。」
維心は、じっと維月の顔を見た。こうして人型は残っているが、それも後どれほどであることか。維月の意思があるからこそ、まだ地上での形をとどめている。こちらでの力に、問題はないからだ。しかし、精神世界では違うだろう。人格がなくなってくれば、形も自ずと崩れて来る…。
そうして、ふと碧黎を見た。碧黎は、真っ白い髪でじっと目を閉じている。維心は、ハッとして炎嘉を見た。
「炎嘉…碧黎は、人型を取っておる。」
炎嘉は、深刻そうな顔で維心をちらと見た。
「だが意識はもう無であるぞ?おそらくは。」
維心は、首を振った。
「意識がなくなればこの型はここにない。ただの命であるからだ。これは、少しでも意思があれば、地上での力に問題がない限り型を保つ。」
炎嘉は、驚いたように目を見開いた。
「そうか!ならば碧黎は、まだ意思があるのだ!どこかに、人格は残っておるということか!」と、十六夜を見た。「十六夜!碧黎はまだ残っておるぞ!諦めるでない!維月!」
しかし、十六夜はまた心配そうに維月の方を必死で見ている。炎嘉は、地団駄踏みたい気持ちだった。
「なぜに通じぬのだ!これは今起こっておることではないのか!」
維心は、何かを考えながら首を振った。
「違う。多少のずれがあると言うたではないか。恐らく、数秒であろうがの。なので、我らの体もその時のズレで合わぬのだ。」
炎嘉は、イライラと歩き回った。
「ほんにどうしようもないの!どうしたら良いのだ、本当に全く手の出しようがないのか!」と、まだ寝ている焔を見て歯軋りした。「こやつはこんな騒ぎの中よう寝ておれるの!」
炎嘉が、それこそ八つ当たりで焔の着物の裾を踏んずけると、その衝撃で腹に乗せていた焔の腕が、横へとぱたりと落ちた。
しばらく呆然とそれを見ていた維心が、慌てて言った。
「今どうやった?!体が動いたではないか!」
炎嘉は、びっくりして手を振った。
「特に何もしておらぬ!ただ、着物の裾を踏んだだけぞ!」
蒼が、横から叫んだ。
「そもそも通り抜けるから着物の裾なんて踏めないんですよ!なんで踏めたのですか!?」
炎嘉は、それを指摘されてやっとそれに気付いた。確かにそうだ…なぜに我は、これに触れることが出来たのだ。
十六夜が、焔の方を何気なく見て、ハッとしたような顔をした。
「あれ…大氣、焔の手が落ちている。」
大氣は、振り返った。
「…確かに。体は勝手に動けぬはずぞ。」と、焔の体の方へと寄った。当然のこと、炎嘉や維心には気付いておらず、通り抜けて行く。「…異な事。焔の意識を感じるぞ。」
十六夜は、パッと顔を明るくした。
「あいつら、自分で戻って来れたのか?!」
大氣は、まだじっと焔を見ている。
「いや…どうもそうではないような。」と、まじまじと焔を見て、その手を取った。「そうか、あれらは恐らく、過去と言うても現在ぎりぎりの所まで戻っておるのだ。そうして、恐らく我らの様を見ておるのだろう。焔は、無理に己の体に重なって入り込んでおる状態なのだろう。つまりは、これは過去と現在の狭間に居るのだ。」
十六夜は、急いで維心の体を見た。しかし、維心は先ほどと同じように腹の上に手を置いて眠った状態だった。蒼も、炎嘉もそうだった。
「他は?あいつらはどうなんだ。」
大氣は、一人一人視線を移して見ていたが、首を振った。
「なぜか分からぬが、焔だけぞ。あちらで何が起こっておるのか知らぬが、焔だけがあちらとこちらの狭間に居ることは確かであるの。」
十六夜は、維月を見つめた。
「維心が戻って見てるなら、維月を助けたいと必死に何か考えてるはずだ。あいつは頭がいいから、きっと何か思いついてるはずなんだ。知らせようと、焔を使って何かしてるんじゃないか。」
それを聞いた維心は、少し違うが、確かにそうだ、と思っていた。
「どういうわけか、焔だけが狭間に居るようぞ。ならば利用せねばならぬ。」と、維心は炎嘉を見た。「焔の体だけが、唯一我らが触れられるもの。そして、あちらも触れられるもの。あやつがなぜにそんな状態になっておるのかこの際問わずに置こうぞ。しかし、焔の体しか使えぬ以上、どうしたものか。」
蒼は、早く何か知らせなければと焦りながら、維心を見上げて言った。
「ですが、筆も紙もこの状態では触れられません。焔殿の体なら触れられるが、焔殿は眠っていて。」
炎嘉が、言った。
「起こすか?」
しかし、維心は首を振った。
「ならぬ。恐らくはこの状態であるからこそ繋がっておるのだろう。」と、考え込んだ。「…どうしたものか。大氣か十六夜が紙や筆をこやつに持たせてくれたなら、こちらから焔の体を使って文字で知らせることが出来ようが。」
十六夜は、何かに気付いて維月の方を振り返った。そうして、言った。
「維月…呼んでも無駄だ!親父には聴こえねぇよ!もう無になっちまってるんだ!戻れ、早く!」
維月が何か言っているのだろう。大氣が、首を振った。
「戻しても、皆でまとめて黄泉へ逝くという最悪のシナリオしか残っておらぬのだぞ?最悪、主か維月のどちらかの月が残っておらねば、この月の宮はどうなるのだ。碧黎も居らぬ。ここは廃宮になる。」
十六夜は、歯を食いしばった。それでも、維月だけは失いたくない。いつか会えるなら、自分は残っても…。
「…オレが残る。維月の意識さえあれば、黄泉へ逝けばまた会える。だが、ここで失ったらもう二度と会えなくなる。そんなことは、オレには耐えられねぇ。」
維心は、それを聞いて下を向いた。いつか共に居るために、今の孤独を取る…。おそらく、自分でも同じ決断をしただろう。なので、十六夜の気持ちはよく分かった。
すると、十六夜はパッと顔を上げた。
「維心の意見が聞きてぇ。どうにか出来ねぇか。焔はしゃべれねぇのか。」
大氣は、焔を振り返った。
「いや…眠っておるようであるし。だからこそ、無意識にシンクロしておるのやもしれぬ。」
十六夜は、ふと近くの机の方へ目をやった。
「…そうだ、ペン。図書室だってこと忘れてた。そこの机の引き出しに、メモ用紙とボールペンが入ってるんだ。それを焔に握らせてみたらどうだ?」
維心と蒼、炎嘉はそれを聞いて表情を変えた。そうだ、それを持たせてくれたなら…。
大氣が、渋々維月の手を握ったままの十六夜に代わって、机の引き出しから小さなメモ用紙とボールペンを出して来て、焔の手に握らせた。
「こんなもので、接触出来るかの?」
すると、目を閉じたままの焔の腕はスッと上がった。そうして、ぎこちなくそれは大儀そうにメモ用紙に字を書いている。十六夜は、表情を輝かせた。
「ああ!維心か!」
焔の頭が、かっくんと前に揺れた。そうだ、ということらしい。
「良かった!お前、何か気付いたことがあったら教えてくれ!」
十六夜は、そう簡単に言っていたが、こちらでは簡単ではなかった。
蒼が、焔の頭を持っている。両腕を炎嘉が支え、維心が指の辺りを持って小さな紙に慣れないボールペンとか言うもので、書き記していたのだ。
「なぜにこれほどに筆圧が要るような物で書いておるのだ、月の宮では!しかも、これほどに小さな紙に!」
維心は、眉を寄せて必死に小さな文字を記している。炎嘉が答えた。
「台に置いておったら、墨をいちいちつけることもないし便利なのだ。だがこの状態では辛いの。我も焔の腕がこれほど重いとは思わなんだわ。」
蒼が、気遣わしげにそれを見ながら言った。
「オレが書けば良かったですかね。慣れておりますから。」
維心は、首を振った。
「良い。我が思うままに書く方が手間が掛からぬ。」
だが、時間が掛かった。何しろ、焔の手を使うので、自分で書くような感じにはいかないのだ。何度もペンを落として、大氣がため息をついて持たせる、というのを繰り返し繰り返し、やっと書き終わった。
「…終わったかの。」
大氣は、焔の腕が落ちたのを見て、その指から紙を取った。十六夜が、それをひったくるようにして見た。
『碧黎の姿がそのままだということは、まだどこかに意識があるということぞ。それが消えておらぬのだから、まだ諦めるのは早い。だが、維月の状態も気に掛かる。主が引っ張り上げることが出来るなら、ぎりぎりまで見ておって強制的に引き上げよ。二人の姿はまだはっきりしておるゆえ、維月のことはまだそこまで案じる必要はない。意思がなくなれば、姿もなくなる。だが、まだ姿はあるのだ。』
十六夜の横からそれを覗き込んで読んだ大氣は、片眉を上げた。
「確かにそうよ。碧黎は、まだあの型を取っておる。見えぬだけで、どこかに意思が残っておるのだ。」
十六夜は、頷きながらも深刻な顔をした。そして、見えない維心に向かって言った。
「維心、引っ張り上げるのは無理なんでぇ。何しろ、遠過ぎる。もっと上がってくれたら大丈夫だが、物凄く深い所へ行っちまってるんだ。今のオレに出来るのは、せいぜいこっちが帰り道だと示すぐらいだ。」
すると、また焔の腕が上がった。大氣は、慌ててまた新しい紙をその指に持たせた。
『ならば限界も近い。維月に意識があるうちに戻るように申せ。』
十六夜は、また維月に向き直った。そうして、目を見張った。
「維月!」十六夜は、必死に叫んだ。「駄目だ、もう微かにしか感じられないのに!」
維心も炎嘉も蒼も、十六夜の様子に固唾を飲んだ。
維月の姿も碧黎の姿も、一瞬ゆらっと揺らいだのが見えた。




