声
十六夜は、維月まで死んだように顔色が悪くなっているのを見てとって、気遣わしげに大氣に言った。
「なんだか…維月の顔色が悪いような気がするんだが。」
大氣も、深刻そうな顔をした。
「どうやら、飲まれかけておるようだの。道を見失ったのではないか。四方を漆黒の闇に囲まれて、何も見えぬので上も下も分からぬようになるのだ。恐らくは、それで気を失っておるのでは…。」
十六夜は、急いで維月の手を握った。
「早く言え!オレが呼ばなきゃならないんだろうが!」
大氣は、首を振った。
「呼んでしもうては帰って来てしまうではないか。碧黎を捕まえてからでなければならぬ。」
十六夜は、それでも維月をじっと見た。
「帰ってこねぇよ!維月の意識を取り戻させるだけだ!維月は自分一人で帰って来るような性格じゃねぇ!」と、維月の頭の中へと念を飛ばした。《維月!維月、しっかりしろ!お前は一人じゃねぇ、オレが居る!親父はそんなに深く潜っちまってるのか?維月…聴こえるか?》
十六夜…?
維月の耳に、十六夜の声が聞こえた。それは、今維月が漂って行っている方向とは、逆の方向からだった。十六夜の声がする。物凄く聴こえる…あっちの方に。十六夜の所へ、行きたい…。
維月は、重い体をそちらへ向けようとして、ハッとした。十六夜がこんなことを言ったのだ。
…親父はそんなに深く潜っちまってるのか?
維月は、十六夜の声の方を見た。あっちが、上。あっちが、戻る方向なのだ。わかった!
「十六夜…待ってて。そこで見てて。お父様の所へ行くから。」
維月は、はっきりと思い出し、意識を取り戻した。十六夜の声を上と意識して、そうして下へ下へと、本当に微かな父の気を探って降りて行った。どこまで降りても、十六夜の声は聴こえる。きっと聴こえる。だから、大丈夫なのだ。あっちが上。あっちへ戻ればいいんだから!
「…聴こえた。」十六夜が、大氣を見た。「物凄く離れてるはずなのに、はっきり聴こえた。維月の声が。」
大氣は、頷いた。
「それが、体を同じくするということぞ。対の命であるからの。意識は誰よりも近い。繋がりやすいのだ。」
十六夜は、ホッとして思わず涙ぐんだ。良かった…維月とは、どんなに離れても繋がっている。こんなときに実感するなんて…。
十六夜は、維月に向かって念で声を掛け続けた。
暗闇の中、声が聞こえた。
「…だから主は加減を知らぬから!蒼は軍神ではないというに。」
他の声が言った。
「知らぬわ。早よう着かねばと一気に飛んだらそこが見れるぎりぎりの時の壁のようになっておったのだ。」
別の他の声が言った。
「まさか月の王が軍神でないなどと思わずで、庇う暇も無かった。普通の戦い慣れた軍神なら、咄嗟に避けたのにの。」
蒼は、目を開いた。目の前には焔と炎嘉、そして維心が覗き込んでいた。
炎嘉がホッとしたように言った。
「おお蒼!良かった、気が付いたか?ほんについでについて来て主は災難よの。」
蒼は、また自分だけ気を失ったのかと恥ずかしげに半身を起こした。
「何かにぶつかった気がして…気が付くと、今でした。」
焔が、心配そうに顔を覗き込んで言った。
「現在と過去の壁があっての。そこからが現在で、その先は未来。我らは過去の画像の中に居るから、ここまでぞ。その壁にぶつかったのだ。」
蒼は、首を振った。
「ぶつかったのはオレだけでしょう。皆さん、避けられたのに。お恥ずかしい限りです。」
炎嘉が、庇うように言った。
「主は軍神ではないからの。咄嗟には無理よな。とにかくは、無事で良かった。」と、黙って回りを気を読むように遠く見ている維心の方を向いた。「して、どうよ?確かに現在に一番近い過去か?」
維心は、振り返って頷いた。
「間違いないの。月の宮へ参ろう。ここは帝矢の宮の庭ぞ。」
桐矢の宮の庭から未来へ来たからだ。蒼は、ソッと宮の方を見た。今は、何代先の王族達が居るのだろう。皆、元気なのだろうか。
蘭朋の生涯を見てきたばかりなので、蒼はそんなことを思っていた。まるで、身内のような気分だ。
すると、意外にも焔が言った。
「何やら親近感を感じてしもうて。蘭朋の子孫は元気かの。」
維心は、顔をしかめた。
「我らがどうなっておるのか見に参るのではなかったか?」
炎嘉は、維心にすがるような目で言った。
「どうせ行っても何も出来ぬのだし。ちょっとだけぞ。」
蒼も、期待に満ちた顔で見ている。維心は、ため息をついた。
「しようのない。」
そうして、中へと入ると、そこには里帰りしてきたらしい娘が、王座に座る帝矢に頭を下げていた。
「お父様。王よりお許しが出て、しばしの里帰りに参りました。」
帝矢は、相変わらず人の良さそうな顔で微笑んで頷いた。
「よう帰ったの。ゆっくりするが良い。と申して、相変わらず己で茶を淹れねば成らぬがの。」
やはり、時が経っても侍女には困っているようだ。それでも幸福そうなのは、変わり無かった。
「どこか、良い所へ嫁いでおるのだろうか。この厨子の数を見よ。品も良さそうな。」
焔が、何気にそれを見て、目を丸くした。
「これは…我が宮の物ぞ。」
維心も炎嘉も蒼も、驚いて焔を見た。
「なんと?主の妃の一人か?」
焔は慌てて何度も首を振った。
「何を言うておる!我には今生、まだ妃は居らぬと言うに!」
炎嘉が、首をかしげた。
「はて?ならばなぜに主の宮の厨子がここにある。まだやっと月の宮へ出て参ったばかりであろうが。」
「知らぬわ!」
焔が叫ぶが、聴こえていない帝矢とその娘は穏やかに会話を続けている。
「して、珍しいの、主が何か持ち帰るなど。そちらは大丈夫なのか?大変なのだと噂は聞いておるが。」
もうそんな噂になっているのだわ。
娘は思ったが、答えた。
「はい。この度鷲の王が我が王に、月の宮へ紹介状をとご依頼になり、それが通ってたくさんの御礼の品を。宮は一気に潤って、王は長く心労をかけたのだからと、これを持たせてくださいましたの。王におかれましても、お考えを正されたご様子。我は、安堵しておりまするの。」
帝矢は、嬉しそうに微笑んで、側の侍従に頷きかけた。侍従は、嬉々として厨子を運んで行く。帝矢は言った。
「孝行娘のお陰で、我も宮の皆も助かるぞ、春香よ。せめて己の部屋で休むが良い。」
春香と呼ばれた娘は、頭を下げた。
「はい、お父様。」
そうして、こちらを向いた。炎嘉は、その顔を見て絶句した。
明るい茶髪にうっすら赤い瞳。小さな宮にはおおよそ居るとは思えない、高貴に美しいその顔は、炎嘉によく似ていたのだ。そして、蘭朋の面影もあった。
「…どこか、華鈴の若い頃に似ておるような。」
蒼が、そう言った。華鈴は、炎嘉の前世の最後の娘で、蒼の妃だった。
「…我の血筋なのだ。」炎嘉は、絞り出すように言った。「妹の子孫。似ておってもおかしくはないが、これほどに出るとは。鳥の気もほとんど残っておらぬのに。」
焔が、言った。
「ならば苦労しておったぞ?屋久という散財する王に嫁いでおったのだ。我がそれを知って、我が領地に一番近かった事もあり、屋久に声を掛ける事にしたのよ。屋久は自ら蒼からの書状を持って、我が宮に来た。なので、借り物を返してあまりある品を礼にと与えた。話を聞いておったら、屋久は少しは心を入れ換えたのかの。ならば良かった事よ。」
維心が横から、ああ、と手を打った。
「屋久の妃か。維月の茶会に来て宮の窮状を訴え、援助がほしいと申したのだ。維月が頼むゆえ、我も某かせねばならぬと思うておったところ。解決したのか。女癖まで悪いのだとか維月は言うておったが、潤ったらまた遊ぶのではないのか。」
炎嘉は、維心を軽く睨んだ。
「嫌な事を言うでないわ。ま、戻ったら屋久とは我が話す。主は余計な事を言うでないぞ?ややこしゅうなる。」
維心は、不機嫌に横を向いた。
「良いようにしてやろうと思うておったのに。好きにせよ。我は面倒が無うなってよいわ。」と、外へ足を向けた。「用は済んだか?月の宮へ。維月が我のために無理をしておったらなんとする。我はそんなことより維月に会いたい。」
蒼は、苦笑した。相変わらず母さん命だなあ、維心様は。
炎嘉がそれに従いながら、膨れっ面をして見せた。
「主のためだけではなかろうが。我だって蒼だって、焔だって助けようとしておるのだぞ?なんでも己ばかりと思うでないわ。」
先に浮き上がって飛んで行く二人に続きながら、焔は蒼のよこで首をかしげた。蒼は、焔に話し掛けた。
「どうかなさったのですか?」
焔は、慌てて首を振った。
「いや、何でも。」
焔は、まだ不思議だったのだ。しばらく一緒に居ただけで、維心が本当に世を統べている王であるのは実感出来た。先を先をと考えていて、危機に際して冷静で誰よりもいろいろと考えている。そんな維心が、たった一人愛して執着する女。生まれ変わってまで、妃にと望んで側に置いている女。知らなければどんな女だろうと楽しみにもしたが、焔は本人に会っているのだ。
いったいどこがそんなにいいと言うのだろう…。
焔は、まだ女性不信であるのも手伝って、悩むしかなかった。




