鳥の宮の内情
炎嘉は、涙を流しながらそれを見送った。蘭朋…我を必死に呼んでおったのに。我は、気付いてやることも出来なかった。おそらく、今頃は父の枕辺で、じっとその時を待っていたはず…。父の老いは、驚くほどに早かったのだ。
つまりは、父がそんな命を出せなかったのは、炎嘉には分かっていた。出来たのは、あの女…。自分が皇太子になった途端に母親面をして擦り寄って来た、実の母だった。
恐らくは父の寵愛を僅かでも受けて、子を成した姪朋を、それほどに恨んで、その娘すら恨んでいたのだろう。
がっくりと膝をつく炎嘉に、維心が寄って来て言った。
「…大きな宮ほど、妃達の争いは激しいと聞く。まして主の父の正妃は、かなり気強い女であったとか。しかし、娘に罪はないのに…哀れなことよ。」
炎嘉は、顔を上げなかった。
「我は、助けてやれなかった。こんなことが起こっていたなんて、我は知らなかったのだ。まさか、我の妹がこんな所に居たなんて。」と、涙を拭って立ち上がった。「今更どうしようもないが、せめて蘭朋の子孫が生きておるのなら…もしも困っておるのなら、戻った時間で少しでも力になってやりたいと思う。」
維心は、頷いた。
「この時代の桐矢の子孫と言えば、帝矢の宮かの。」と、維心は思い出すように言った。「小さな宮であるが、つつましく暮らしておるゆえ、穏やかにしておるだろう。侍女も侍従にも困るような感じだが、それでも皇女も皇子も己のことは己でこなして問題ないようぞ。戻って、訪ねてやるが良い。」
炎嘉は、維心を見た。
「ああ。我は、もう充分ぞ。早よう戻って妹の子達の末を見てやりたい心地よ。主はどうか?」
維心も、頷いた。
「我も、もう良い。父は確かに我を育ててくれておったこと、あの姿を見て遠く思い出した。これ以上は、後悔の気持ちにまた襲われてつらくなるだけぞ。戻るか?」
炎嘉は、頷いて焔を見た。
「主は?」
焔は、肩をすくめた。
「我は元より、この時代の雰囲気を懐かしみに来たまでよ。思わぬものも見てしもうたがな。」
蒼は、少しホッとしたように頷いた。
「では、戻りましょう。戻りたい、と言えば良かったのですよね?」
維心は、頷いた。
「そう、碧黎の…」
と、言いかけて、ふと、自分の唇に触れた。そして、空を見上げて、黙り込んだ。
「…何ぞ?碧黎の気に向けて、戻りたいと念を送るだけだろうが。」
維心は、炎嘉を見た。
「今、維月が我に口付けた。」
それを聞いた炎嘉は、盛大に顔をしかめて見せた。
「はあ?それが何ぞ?あんなところで寝込んでおるから、早よう起きよと起こしておるのだろうが。ならば起きるぞ。」
維心は、首を振った。
「違う。維月から、必ず戻す、と聴こえたのだ。なぜに、そのようなことを申す?」
蒼は、不安げに維心を見た。
「…何か起こっておるのでしょうか。」
すると、焔が眉を寄せて空を見上げた。
「あの、碧黎の大きな気を感じぬのだが。」
蒼も、慌てて空を見上げた。確かに、いつも待ち構えているような気を上空に感じていたものだが、それが今は全く感じられない。つまりは、碧黎は自分達に術をかけたまま、どこかへ行ってしまっているのだろうか。
「席を外しているのでしょうか。」
維心は、深刻そうな顔をした。
「そんな簡単なことではないようよな。碧黎は地ぞ。どこにおっても、その気を感じさせることが出来るはず。なのに、今は全く感じない…碧黎が、真っ白い髪になっておったのを覚えておるか。」
炎嘉が、維心を見た。
「まさか…あやつはどこか悪いのか?!」
維心は、首を振った。
「分からぬ。維月が我を必ず戻す、と言ったということは、戻せぬかもしれぬということだろう。今のままでは、我らはここから出ることが出来ぬのだ。そして、こちらからはどうしようもない。」
炎嘉は、試しに空に向けて、戻る、と念を送ってみた。だが、何の反応もなかった。
「…駄目ぞ。では、待つしかないのか?」
維心は、頷いた。
「待つしかない。おそらく十六夜も、大氣も手を貸してくれておるのではないか。我らは、信じて待とうぞ。」
蒼は、下を向いた。何が起こっているのだろう。待っているしか、出来ないなんて…。
すると、炎嘉がぱっと表情を変えて言った。
「では、我の宮へ。見ておかねばならぬことがある…我が母のことぞ。もう済んだことではあるが、あれがどんなことをしておって、我はどれほど気付かずに居たのか、知っておきたいのだ。もしやと思うが、蘭朋と同じ想いをさせられた者が居るかもしれぬ。」
焔が、顔をしかめて炎嘉を見た。
「あまり勧められぬぞ?女の争いはかなり醜い。見ないほうが良いかと思うがな…経験上。」
炎嘉は、ちらと焔を見た。
「分かっておるわ。だが、少し今でも気になっておることがあっての。」
そうして、四人は炎嘉の宮へと飛んで行ったのだった。
炎嘉について飛んでいると、途中でめまぐるしく回りが変わって行くのが見えた。何事かと思って蒼が戸惑っていると、炎嘉が振り返って笑った。
「時を進めておるのだ。我が行きたいのは、我の即位の式の後の宮であるからの。」
それを聞いて蒼が、足の下を見ると、眼下では盛大に式が行なわれている最中であった。いろいろな宮の王族が来て、何やら楽しげに歓談しながら酒を手にあちらこちらで話をしている。
空には、月が出ていた。夜だ…。
炎嘉は、そのまま何も言わずに、大広間の奥の、自分の座っている上座の辺りへと向かって飛んだ。
維心も焔も、何も言わずにその後について飛んで行く。蒼も、仕方なくその後について、皆が歓談している上を、上座へと向かったのだった。
「そら。」炎嘉が、若い自分の後ろに座っている女達を指した。「あれは、父の妃達ぞ。我がまだ、あれらの処遇を告示しておらぬからああして座っておるのだ。」
維心は、頷いた。
「まあ、普通は全て終わってから告示されるものよな。」
炎嘉は、ふふんと笑った。
「まあ、見ておれ。」
普通皆後ろに居るものなのに、一人の女は炎嘉の横に座って、まるで妃のように皆の挨拶を受けて微笑んでいる。そうして、酒がどうのと指図しているのが分かった。炎嘉が、それをうるさそうにしていたかと思うと、いきなり立ち上がった。
「皆に、今告示する。」ざわざわとしていた会場が、一瞬にしてシンと静まり返った。炎嘉は、それを待って先を続けた。「我が父の妃達、全てを里へ帰すものとする。里の者達は、受け入れの準備をせよ。」
それを聞いた背後の妃達が、驚いて口を押さえた。
その言葉と共に、侍従達が一斉に寄って来て妃達に、席を立つように促した。告示されてしまうと、もうここでの地位は剥奪されてしまうので、炎嘉と共に上座になど座れないのだ。
皆が立ってそこを出て行くのを見ていた炎嘉だが、当然のようにそこに座ってすましてそれを見ている女に、言った。
「母上、あなたもです。ここでの地位は今、なくなり申した。里へ戻られるが良い。」
炎嘉の母は、目を見開いた。
「何を言うておるのですか、炎嘉。我はあなたの母ですわ。父上の妃である我が、王の母になるだけではありませんか。」
炎嘉は、首を振った。
「我にはそんなつもりなどない。それとも炎鵬の所へ残られるか?」
炎鵬は、長男でこの母がずっと目をかけていた兄だ。しかし、今は臣下の一人になった…炎嘉が、即位したからだ。
しかし、母が炎鵬の方を見ると、炎鵬は横を向いて酒を飲んで、聞いていないふりをした。母は、叫んだ。
「我は王の母なのですわ!臣下の母ではありませぬ!」
炎嘉は、首を振った。
「もう良い。」と、軍神達を見た。「我はこの女もここへ残ることを許さぬ。」
軍神達は、新しい王に忠誠を誓ったばかりだった。警護についていたその軍神達は一斉に膝をつくと、さっと
母の腕を両側から掴み、その場から引きずるようにして連れ出して行った。
それを見送ってから、側の初老の軍神に炎嘉は耳打ちした。
「…あれの様子を調べよ。」
軍神は頷いて、そこをさっと離れて行った。
焔が、呆れたように言った。
「また主は思いきったことをしよったの。皆の面前で…あれでは恥でしかないではないか。」
炎嘉は、さすがに苦笑して頷いた。
「まあ、やりすぎたやもの。我慢ならなかったのだ、あの女が我の横で当然のような顔をして偉そうにしておるのが。若かったしの。」
維心は、何か嫌なものでも見たように横を向いて言った。
「権力だ力だと、我の一番厭わしい性質の女ぞ。主の母を悪く言いたくはないが。」
炎嘉は、しかし大真面目な顔で頷いた。
「我もぞ。なので、我は後宮を乱す女は許さなかったぞ?正妃も、だからおらなんだであろうが。」
焔は、諦めたような顔をした。
「ま、どこも大変ということよ。我だけではないのが分かって、少し気持ちが楽になったわ。今生は維心のように誰か一人だけにするかの。」
維心は、それには大真面目に頷いた。
「その方が良い。だから我が宮にはあのような争いがないのだ。我には維月だけであるし、維月は稀少な月。誰も足元にも及ばぬからの。いつも二人で居れば良いのだから、乱れようはないだろうが。子だって我と維月の子だけであるし、育てておるうちに誰がどんな性質かも分かる。いつも親子で過ごすからの。」
焔が、驚いたように維心を見た。
「なんとの。小さな宮ならそんな風だと聞いた事があるが、龍の宮の規模で初めて聞く。そうか、妃が一人だとそうなるか。大勢居ると誰か一人を贔屓すると大変なことになる。おとなしい妃が哀れで目をかけてやったら、気の強い妃に大変な目に合わされておっての。病になっても見に行くことも出来なんだ。やはり、一人がいいのやもなあ。」
炎嘉は、頷いた。
「そうよ。ようよう考えて一人が良いのよ。我もそう思う。」
蒼が、何やら納得しあっている三人に、それどころではないのに、と促した。
「あの…それで気になることとはなんでしょう?」
炎嘉は、ハッと蒼を見た。
「おおそうであった。事が済んでしまうわ。こちらぞ。参ろう。」
そうして、炎嘉が宮の奥へと飛んで行くのに、三人も黙って従って飛んだのだった。




