原因
十六夜と維月が大氣の部屋へと飛び込むと、大氣は維織と茶を飲んで寛いでいるところだった。突然に二人が息せき切って入って来たので、二人とも呆然とこちらを向いて茶を持ったまま固まっている。そんな様子には構わずに、十六夜はずかずかと大氣の前へと歩み寄ると、言った。
「大氣!呑気に茶なんか飲んでる場合じゃねぇ!」
維月も、後ろから言った。
「そうですわ!お父様が大変なのに!」
大氣は、驚いて茶をテーブルへと置いた。
「碧黎がどうかしたのか?!」
十六夜は、必死の顔で頷いた。
「ずっと地へ篭ってたのは知ってるだろうが。今、戻って来てるんでぇ。それが、人型が変わっちまってて…。」
「待て。」大氣は、じっと宙へと視線を漂わせた。そして、ぴたと視線を止めると、じっと一点を見つめて言った。「…なんだこれは?碧黎ではない。」
びっくりしたような顔をして、十六夜と維月は顔を見合わせた。
「親父ではない?親父だよ、気だって親父だし。」
しかし、大氣は首を振った。
「違う、よう探ってみよ。人格というか…その、碧黎自身を構成しておるものが、崩れ掛かっておるのだ。つまりは、無になろうとしておる。」
「ええ?!」
十六夜と維月、それに訳が分からない維織も叫んだ。
「そ、それはどういうこと?!」
維月が、前のめりになって言った。大氣は、まだ視線を一点に向けたまま言った。
「碧黎という人格が、消失しようとしておるのだ。つまりは、ただの地の命というか…人や神が感じる、大地そのものになろうとしておるのよ。」
それでも、維月と十六夜には訳が分からなかった。大氣は、それを感じ取ってじれったそうに言った。
「人や神は、大地に意思などないと思うておるだろうが。しかし確かに生きているのは感じる。つまりは、そういうことぞ。碧黎は、ただ命を育むだけの大地に返ろうとしておるのだ。己の意思を、消してしまおうとしておる。本人の、自覚があってやっておるのかどうかは分からぬが…。」
十六夜が、幾分落ち着いたように言った。
「だが、親父は親父だし、面倒そうでも、維心達の望みを叶えるために来たんだぞ?普通に話もしてた。人格が確かにあった。」
大氣は、厳しい顔つきのまま答えた。
「それはまだ崩れ切っておらぬから。だが少なからず以前の碧黎よりぶっきら棒であったり、面倒そうであったりするはずぞ。なぜなら、人格が無うなってしまう手前であるゆえ、そんなものすらなくなろうとしておるからだ。そもそも、なぜに碧黎は地になど篭っておった。あれは何を思うてあんなことに。」
十六夜と維月は、顔を見合わせた。維月は、見る見る目に涙を浮かべる。十六夜は、そんな維月の肩を抱いて、そして大氣を見た。
「実は…親父は、オレと最後に会った時に、元は地の底で一人だった、自分ははそこへ戻るだけ、元々、生を楽しむような命ではない、贅沢をし過ぎたって言ったんだ。そうして、地へと戻っちまった。」
維月は、涙をぽろぽろとこぼした。大氣は、それでも険しい顔のまま十六夜を見て言った。
「だから、なぜに碧黎がそんなことを言う。その前に、何があったのだ。」
十六夜が答えようと口を開きかけると、横から維月が言った。
「私のせいですわ。」と、涙を拭いもせずに言った。「私が、お父様にあんなことを申し上げたばっかりに…。」
そうして、維月は大氣に、これまでのことを全て話したのだった。
碧黎は、じっと目を閉じて過去の世界の映像を見ている四人の側で座って、待っていた。
なぜだかここに居ると、気が騒ぐ…。
碧黎は、最近は楽だと思っていた。何も気に掛からなくなり、表の神達が何をしていようとどうでもよくなっていた。そうして何も考えずに居ると、とても楽になることが分かったのだ。
そうしているうちに、眠っていることが多くなったように思った。眠っていると、全てが解けて行くようにで、良いことも悪いことも、全てが消えて行くようで、心がずっと楽になって行くのを感じていた。そう、別に神に接しずともいいのだ。何もかもを、放って置いても己で生きて行くではないか。別に、我が構わずとも…。
そんな折、張維の声が、黄泉から呼んだ。答えるつもりなどなかった…だが、なぜか黄泉との距離が近くなっているようで、張維の声は無視できないほどに煩く聴こえていた。
何度も呼ぶ声に混じって聴こえて来るのが、維心のこと。維心…我が作った命。あれが、地を統べて居る王。その統治に、支障が出るというか…。
碧黎は、重い瞼を開いて、そうして無理やりに気力を振り絞ると、張維に答えた。
《では、維心にその過去を見せよう…。》
そうして、また眠れば良いのだ。
碧黎は、そう自分に言い聞かせて地底を出た。そうして、久方ぶりに感じる外気に、静寂を破られた煩さを思い不機嫌になりながら、月の宮へと実体化した。
会話というものをするのが、面倒だった。
なぜに、神はいろいろと煩く言うのだ。姿がどうのと言っていた。だから何ぞ?…どうでも良いことだ。
碧黎は、イライラとした。なぜにこうも気が騒ぐ。忘れかけていた、何かがまた、どういうわけか胸の痛みのような物を伴って心の底から湧き上がって来る。月の宮…十六夜と、維月を育てた宮…。
だが今の我には、どうでもいいことになっておったのではないのか。ここに、長く居たくない。居れば居るほど、忘れていたことを思い出す。愛おしい、しかし苦しい何かが自分の心を締め付ける…。
碧黎は、回りで目を閉じている焔や維心、炎嘉、蒼の側へとよろよろと歩み寄り、ソファの一つへ倒れこんだ。眠っていたい…死ねぬのなら、ただ生きている、存在へと返りたい…。
大氣は、重々しく頷いた。
「…碧黎は、維月を想うておったのか。」大氣は、息をついた。「ただ想うだけで良いものを。我らはそんな命であるから。別に身を繋ぐことなどに、重きは置いておらぬ。なぜにそれが否と申すか。維月の心が碧黎にあったとしても、維心の妃として側に置くことが可能であろうが。十六夜の対として、側に居ることも。碧黎は、それを禁じておるまい。なのに、なぜにそれを厭うのだ。我は…地を失わぬためであるなら、維心とて主とて消すであろうぞ。」
大氣の言葉には、嘘はない。大氣にとって、十六夜と維心を殺してでも、碧黎は留めたい存在なのだ。
「大氣様…父は間違っておらぬのですわ。神達の中で生きておると、それが分かるのでございます。本来なら、二人居るというのも不自然なことなのです。お祖父様はそれを知っておられるから、自分が割り込んでしまってはならぬと…そのように…。」
大氣は、そういう維織を見て、言った。
「主らがそう考えるのは分かっておる。我とて学んだ。だが、それは我らの価値観ではない。それは話しておるし分かっておるであろう?なのに、碧黎はそんな神の変わった価値観に付き合って、そうして尊重したゆえに人格を消してしまおうとしておるなど…我には許せぬ。太古の昔より、共に来た。あれが消えるなど、我は絶対に許さぬ。」
十六夜は、泣きじゃくる維月を抱いたまま、言った。
「オレだって、親父を消してしまおうなんて、これっぽっちも思ってねぇよ。ただ維月の心がオレにあるなら、親父を想ってたって、維心を想ってたっていいんだ。だが、親父は…オレより数段優れた命だ。オレが、維月の心から、親父によって追い出されちまうんじゃないかって、それが怖かっただけなんだ…。」
十六夜の声も、微かに震えていた。大氣はそんな様子をじっと見ていたが、またため息をついた。
「…良い、分かった。とにかくは、碧黎の心を呼び戻さねばならぬ。このままでは、あれの人格を失ってしまうわ。」と、立ち上がった。「さ、参る。まだあれの人格を感じる今、早ようあれを留めて引き戻さねば。」
維月が、大氣を見上げた。
「どうやって?」
大氣は、首を振った。
「分からぬ。ともかくは何とかせねば。碧黎の所へ、参ろう。」
そうして、十六夜と維月は頷き合い、碧黎の気配がする学校の図書室へと向かったのだった。




