数百年前の世界
維月は、ガサガサと背の高い草を腕で分けて、茂みに分け入って行った。十六夜の声が言う。
《維月、気を付けろ。神だぞ。この気の大きさは、神のはず。》
維月は、慎重に踏み入って行った。すると、そこには大きな穴が開いていて、誰も居ない。
「誰も居ないけど。」
十六夜の声は、答えた。
《居る。お前に見えないだけだ。》
維月は、半信半疑で近付くと、言った。
「もしもし?見えないけれど、そこにいらっしゃる?」
すると、その辺りの空気が動いたのを感じた。維月は、きっとその誰かが動いたのだと思い、身構えた。
《維月殿…?》
維月は、確かに声が聴こえた。なので、言った。
「まあ、声が聴こえたわ!ということは、そこにいらっしゃる?」
十六夜の声が言った。
《だから居るって言ってるだろうが。》と、その神に話し掛けた。《おい、お前神だろう。維月は人だから、お前が見えないんだ。声は聴こえるようだがな。》
すると、その男の声が言った。
《人…?そうか、ここは過去…》と、すーっと維月にも姿見えた。「これで見えるか。」
維月は、口を押さえた。現れた神が、とても綺麗な顔立ちだったからだ。
「まあ…!」
十六夜の声が、咎めるように言った。
《こら維月。お前、全く綺麗な男には弱いんだからよ。神の男はみんなこんな感じなんでぇ。いちいち驚いてたらきりがねぇ。》
維月は、赤くなって拗ねたように横を向いた。
「ちょ、ちょっと驚いただけでしょ?」と、その男を見た。「どうなさったの?こんな所で。何かが上から落ちて来たって、十六夜が言うので見に来たのだけれど。」
その男は、頷いた。
「我の名は、炎託。妻を助けようと、過去へ参ったのだが…どうやら、時を遡りすぎたようぞ。どうにかして、戻らねば。」
維月は、口を押さえた。
「まあ。過去から来られたのね。私を知っておられたようだけれど、私もそこに居たの?」
炎託は、頷いた。
「居った。だが、未来を知ってしもうて未来が変わってしもうてはならぬゆえ、これ以上は何も言えぬがの。」
十六夜の声が答えた。
《なら、お前はまた未来へ帰りたいんだな。でも、時なんてどうやって渡るんだ。今の世にも、その術があるのか?》
炎託は、首を振った。
「恐らくは無いの。しかし、次元をどうにかするということは知っておる。なので、どうにかする策を練る。だが、準備が必要よ…潜む場はないかの。どこでも良いのだが。」
維月は、首をかしげた。
「私は人なので…でも、祖母の屋敷がありますわ。そこへ行きましょう。」
十六夜の声が、言った。
《おい、明日から温泉だったんじゃねぇのか?有と涼と恒と遙は大丈夫だろうが、蒼と裕馬は楽しみにしてたんだから怒るぞ。》
維月は、ぷっと頬を膨らませた。
「仕方がないじゃないの。こんな仕事してたら、いろいろあるのよ。」
十六夜の声が、呆れたように言った。
《あーあ、知らねぇぞ?面倒なことになっても。》
そうして、維月は炎託を連れて、とりあえず家へと帰ったのだった。
家では、蒼が炎託を見て仰天した顔をした。
「うわ、神様連れて来たの?!この狭い家に?!」
有も涼も遙も恒も、珍しげに炎託を見ている。炎託は、面識がある人が多かったが、皆一様に若い…というか、まだ子供なので戸惑っていた。
「しかたねぇよ。維月が連れて行くってきかねぇんだから。」
蒼の力で人型になった十六夜が言う。炎託は、蒼に軽く会釈をした。
「世話になるの。」
蒼は、まだまじまじと炎託を見ていたが、裕馬が横から言った。
「おい、蒼。明日から温泉だって言ってたからオレ、今夜から泊まりに来てるんだけど、もしかしてキャンセルか?」
蒼は、ハッとして維月を見た。
「母さん、もしかして、温泉行かないの?!」
維月は、悪びれずに頷いた。
「その代わり、おばあちゃんちへ連れて行ってあげるから。」
蒼は、抗議した。
「そんな!美月おばあちゃんちはいっつも行くじゃないか!料理楽しみにしてたのにー!」
炎託は、何事か分からなかったが、自分のせいで何かがダメになったのは分かったので、とりあえず謝った。
「すまぬの。我のせいか。」
維月は、そんな炎託を横に見ながら、言った。
「ほら、神様が気にしてらっしゃるじゃないの!温泉はまた行けるから、とにかく今回は美月おばあちゃんちへ行くの!ほら、明日早いから、もう寝なさい。」と、炎託を見た。「私は娘の部屋で寝るので、炎託様は私の部屋でどうぞ。狭いので、驚かれるかもですけれど。」
炎託は、頷いた。
「世話を掛ける。」
炎託は、維月の6畳ほどの部屋へと通されて、そんな小さな部屋で休んだことが無かったので驚きながらも、落ち着いて寝台へと座った。慶と修は、どうなったのだろう。どこへ落ちたのか…それとも、違う時間へ飛んだのか。瑞姫は、治療出来るのだろうか…。
炎託はそんなことを考えながら、月を見上げていた。
月に、十六夜の気配は無かった。
次の日の朝、炎託が何も食べないというのに驚きながら、維月と子供達は慌しく朝食を済ませて、車へと乗り込んだ。炎託は、目を丸くした。
「この箱へ入るのか?こんな狭い所に?」
戸惑っている。維月は、頷いた。
「はい。十六夜は月へ帰っておりますし、炎託様でちょうど8人で。これは人の移動手段ですの。」
炎託は、仰天した顔をした。
「移動?!これで?!」
維月は、とにかく炎託を助手席に押し込んだ。
「さあ、乗ってください!すぐに着きますから。」
ドアを閉められて、炎託は仕方なくおとなしくそこに座っていた。すると、維月が反対側の丸い何かがついている席に座り、言った。
「では、出発します。」
何やら、大きな音を立ててその鉄の箱は振動し始めた。
炎託が何事かと脅えていたが、その箱は問題なくゆっくりと、地を進んで動いて行った。
しばらくして、炎託は言った。
「確かに、人が走ることを思えば早い。」
維月は、苦笑した。
「神様は、何で移動を?」
炎託は、大真面目に答えた。
「我ら?我らは飛ぶ。」
後ろの席に乗っていた、裕馬が叫んだ。
「飛ぶんだ!凄い!」
炎託は、裕馬を振り返った。月の宮の学校の校長をしている裕馬のことは、炎託も見知っていたが、もっと歳を取っていた。これはまだ子供の裕馬だ。
「気を使って飛ぶのだ。人でも仙人のような修行をしたものは、飛ぶやつも居るぞ?」
まさに、未来の裕馬は仙人で、飛んでいたのだ。しかしこの裕馬は何も知らずに瞳を輝かせている。
「神様かあ~。蒼と付き合ってると、ほんとにいろいろな存在に会えるよね。」
蒼は、苦笑した。
「闇もね。」
裕馬は、身震いして首を振った。
「笑えないぞ、蒼!もうあんなの懲り懲りだ。」
炎託は、何のことが分からなかった。思えば、この頃はまだ自分は生まれていたか生まれていないか、それぐらいの頃だ。月の宮の建設前のことなど、知るはずもなかったのだ。
そんなことを話しているうちに、車は山深い所へと入って行き、そうして日も落ちて来た頃、人里と言っても大変に小さな集落を望む高台に、その人の屋敷はあったのだった。
維月は、その横に車を停め、木の引き違い戸を開いた。
「この間来たばかりなので、まだ埃も積もっていないと思うのですけれど。」
横の色が変わった古いスイッチを押すと、パッと灯りが着く。中は案外に広く、入ってすぐは土間でも、横には広々と畳みが敷いてあった。かなり古いが、手入れされてあって綺麗でかび臭さも全くなかった。
「良い屋敷ぞ。人が建てたものとは。」
炎託は、本気でそう思っていた。この古い木を見てもかなり古くから建てられたものだと分かる。なのに、今もこうして立派に建っているのだ。
「あーやっと着いたか?」十六夜が、人型になって入って来た。「上から見てたが、まどろっこしいな。」
維月が、十六夜を振り返って言った。
「仕方が無いでしょ?私達は飛べないんだもの。それより炎託様、帰る準備は、こちらで出来そうですか?」
炎託は、頷いた。
「良い場よ。気も多く我も何とか大きな術を使えそうな気がする…ま、どこまで出来るか疑問ではあるが。」
十六夜が、気遣わしげに言った。
「オレの力でよければ貸そうか?次元をどうするとか、そんなことか?」
炎託は、ぱっと明るい顔をして十六夜を見た。
「おお、主の力を貸してもらえるのなら、こんなに心強いことはない。次元に穴を開けての、そこで時間を読むのだ。かなりの力要るので、我も不安であったのだが。」
十六夜は、ふーんと首をかしげた。
「お前は、何年後に帰りたい?」
炎託は、頷いた。
「我は700年ほど未来から来た。だが、妻の病が見つかり、それが発症したのが300年から400年前であることが分かっての。つまりは、この時間より300年から400年後に行きたいのだ。」
十六夜は、うーんと唸った。
「そんなに適当でいいのか。きちんとこの日だとわからねぇと困るんじゃねぇのか?」
炎託は、また頷いた。
「それはそうなのだが、時を決めるときに、その時の画像が走馬灯のように走るのでな。それを上手く見計らって、飛ぶと良いのだ。此度ここへ来てしもうたのは、我が構えておったのに焦ってしもうたゆえ…まさか、これほどに過去へ来るなど、思うてもおらなんだ。」
維月が、二人を促した。
「さあ、皆もう家に上がりましたわ。こんな所で立ち話などせずに、中へ。策は中で立てましょう。」
そうして、維月と十六夜と炎託は、美月の屋敷へと入って行ったのだった。