数千年
焔は、蒼と一緒に宮の中を案内してもらった。
まだ建設されて数百年と聞く。それは大きくて美しい宮であるが、龍が建てたのだと。それも、五代龍王・維心が、月を娶ったためその結納にと送った領地と宮であったのだという。
焔は、ため息をついた。それほどに、龍王が愛した女とは、どんな女であったのか。淑やかで、心栄えの良い目の覚めるように美しい女であったのか。
少なくとも、先ほど見た月とは違う月なのだろうな。
焔は、そう思っていた。あれは、とても世の王が恋焦がれるような女ではない。…興味が湧くのは確かだが。
そんなことを思っていると、蒼が振り返って、言った。いつの間にか、宮の到着口辺りへと出ていた。
「ここから見える、コロシアムへ行こうかと思っているんだが。今、ちょうど軍の訓練をしておって。」
焔は、そちらへ目を向けた。来た時に見た…大層に立派なものだと思っていた建物。見てみたい。
「案内してもらおうぞ。」焔は、微笑んで頷いた。「ほんにここは、珍しいものばかりで楽しめるわ。」
蒼は焔に微笑み返すと、炎嘉と感じが似ているなあと思いつつ、先に立って飛んだのだった。
維心は、舞い降りて来る二人を見上げながら、炎嘉に言った。
「…まるで数千年前に戻ったようぞ。覚えのある気よ。父の腕の中で、我は確かにあの気を感じていた。」
炎嘉は、険しい顔で維心を見た。
「やはり主もそう思うか?」と、焔の方を見上げた。「血筋でこれほどに似るものか。」
維心は、頷いた。
「どうであろうの。主にしても我にしても、遠い記憶であることに変わりない。同じだと感じるが、果たしてどこまで同じであるからそう思うのか。何にしろ、話をせねばな。」
そこまで話した時、蒼が着地して二人の前に立った。軍神達は、蒼が来たのを見て一斉にこちらを向いて膝をつく。蒼は、維心と炎嘉に歩み寄った。
「お二人共、こちらで視察されておったのですか。」
炎嘉は、愛想良く微笑んだ。
「おお、維心と話しておって、急に見とうなっての。主は、宮を案内しておるのか?」
蒼は、頷いて焔を見た。
「焔殿、ちょうど良かった。こちらは、龍王、維心様。妃と共にお忍びでよくここへ来られるのだ。」
焔は、うっすら微笑んだ。そうか、これが今の龍王か。
「初めてお目にかかる。我は機が良かったの。ここで龍王に会えるとは思いもせなんだ。」
維心は、軽く会釈した。
「鷲の王よ。聞いておる。ここで顔を合わせるとは、我も機が良かった。して…」と、ちらと炎嘉を見た。「詳しくは聞いておらぬが、主はなぜに今出て参った。 父王は、いつ亡くなったのか?」
炎嘉は、顔をしかめた。また何でもダイレクトに聞きおってからに。
しかし、焔は面白そうに答えた。
「父に興味があるか?父は10年ほど前に亡うなったわ。それからは軍神達に今の神世を調べさせ、機を計っておった。なかなかに臣下の賛同が得られずでな。やっと外の世界と交流したほうが益になると納得させ、今よ。我は王座に就いてすぐにでも出たいと思うておったわ。」
維心は、じっと焔を見ていたが、頷いた。
「いろいろと聞かねばならぬな。会合の場へ入るに当り、我らの現状と、望みを学んでもらわねばならぬ。何しろ主らは長く離れ過ぎておろう…あの頃の鷲は、もう生きてはおるまい。」
焔は、頷いた。
「曾祖父は篭ってすぐに老いが参って亡うなったしの。次の王の祖父は、本当に外へは一切出なんだ。父も同じ。なので、我が持つ情報は曾祖父の時代までの歴史の巻物と、最近の神世。中が抜けておるの。」
蒼が、割り込んだ。
「では、コロシアムの会議場へ参りますか?」
すると、炎嘉が答えた。
「小さい方で良い。」と、維心と焔を見た。「突っ込んだ話はここでは無理ぞ。参ろう。」
そう言うと、先に浮き上がって飛んで行く。蒼は、まだ膝をついたままじっと蒼を見上げている軍神達に気付いて、慌てて言った。
「ああ、主らは訓練に戻れ。オレは小会議場へ行く。」
嘉韻が、頭を下げた。
「は!」
そうして、皆に指示を出して訓練へと戻って行く。
蒼は、ホッと肩の力を抜いて、急いで維心と焔、炎嘉の後を追ったのだった。
炎嘉は、ここで客員教授をしていただけあって、月の宮のことは熟知していた。軍の訓練には、数限りないほど立ち会って来たのだ。あれからもう三百年にはなるか、と、炎嘉は時の早さに苦笑した。今では、また南の王などに祭り上げられてしまったがな。
慣れたように迷いもせず小会議場へと入って行く炎嘉を見ながら、焔が言った。
「まるで己の宮のようよな。炎嘉殿は、ここをよう知っておるようだ。」
すると、炎嘉が振り返って答えた。
「転生してしばらく、記憶があるゆえなかなかに入る宮が見つからずでの。しばらくここに滞在しておった時があるのだ。ここは、まだ軍が出来たばかりで守りも定まらず不安定での。月の結界だけに頼っておったゆえ。それをいろいろ指南しておったからな。」
蒼が、後ろから追いついて来て、慌てて皆に椅子を勧めながら言った。
「炎嘉様には大変にいろいろなことを教えて頂いた。ここの守りの基本は、あの時作ったものだからな。」
焔は、感心したように頷きながら椅子へと腰掛けた。
「世話好きなのは、炎真の性質をそのまま受け継いでおるからか。あの頃の虎の蓮でも、炎真の言うことは聞いたもの。」
その言葉に、炎嘉は眉を上げた。維心も、同じように目を少し見開いた。焔は、その様子を見て、首を振った。
「いや、こちらの巻物には詳しく書かれておるぞ?次に会う時、持って参ったほうが良いか。」
炎嘉と維心は、顔を見合わせた。そして、炎嘉が口を開いた。
「是非に見てみたいもの。主の曽祖父が残しておったのか。」
焔は、頷いた。
「老いが来た時、その一週間で事細かく記して逝った。なぜなら、これから再び神世へ戻ることがあった時、せめてこれまでの記録がなければその時の王が困るだろうと思ったからだ。宮には、歴史だけなら書いた巻物がたくさんあったが、その神と神の関係まで書かれたようなものはない。その時点での、曽祖父が知りうるかぎりのことを、最後の瞬間まで書き留めた…最後の方は、字が乱れて読み取れぬがな。」
その当時の鷲の王、焔の壮絶な最期を聞いて、蒼は絶句していた。自分が決めて引っ込んだことに、少なからず後悔していたのだろうか。だが老いが来て、また神世に戻ることも出来ず、しかし再び戻る子孫のためを思い、必死に自分の知識を書き残した。
炎嘉が、焔を見た。
「その巻物はまた見せてもらうとして、ならば焔殿、簡単な代替わりのことを聞いても良いか。主の祖父、それから父のことなどをの。主に至るまで、どのようになっておったのか。」
焔は、頷いた。
「話そうぞ。」と、維心を見た。「…龍王は、何もないのか。」
炎嘉が、ちらと維心を見る。維心は、黙っていた。仕方なく炎嘉が答えた。
「こやつはいつなりこうぞ。己で聞くのが面倒なのだ。全部我に振りおってからに。」
維心は、渋々口を開いた。
「主で事足りるのに、なぜに我が他に何某か言わねばならぬ。主が先に何でも言うてしまうゆえ、我は黙っておるのだ。」
炎嘉は、ムッとしたような顔をした。
「ならば主が聞けば良いわ。昔から面倒なことばかり我に押し付けるくせに!」
維心は、炎嘉を見て反論した。
「あのな、戦で攻める時我を前へ押し出して粗方片付けさせてから出て来て楽をしておったのは誰ぞ?役割分担であるとか申しておったのは主であろうが!」
炎嘉は、ふんと鼻を鳴らした。
「何でも龍が一番乗りで踏み荒らした後を、我らが鳥が片付けて回るのだと世では言われておったのだぞ?主は後片付けには興味がなかったからの。王を討ったら、さっさと引き上げおってからに。さすがに悪いと思うたのか、あの当時の筆頭だった、義心の父の義光が残って龍軍を指揮して我らを手伝うのが常のことだった。」
維心は、ぐっと眉を寄せた。
「義光が手伝っておるなら我が手伝うのと同じであろうが。我が軍神を使っておるのだからの。何でもこじつけるでないわ。そうやって我の印象を悪うしおってからに。」
蒼が、こんなところでもお構いなしな二人に、慌てて割り込んだ。
「あの!今日はそのようなことを話すために参ったのではありませんでしょう。焔殿の、話を聞くためではないですか。お二人とも、そこは抑えて。また後で。」
炎嘉と維心は、仕方なく黙る。じっと聞いていた焔が、ぽつりと、言った。
「…もしや、維心もあの維心か。あの、赤子であった?」
蒼は、驚いて焔を見た。目は、真っ直ぐに維心を見ている。維心は、じっとその目を見返しながら答えた。
「赤子?どっちの維心のことぞ。五代龍王か、この今の七代龍王の維心か。」
焔は、険しい視線でそれでも維心を見たまま言った。
「五代龍王ぞ。」焔の声は、若い王とは思えない威厳を持っていた。「張維に抱かれておったのは、主かと聞いておるのだ。」
炎嘉が、小さく息を飲んだのが聴こえた。蒼は、わけが分からずじっと維心と焔の二人を見つめていた。維心は、焔から視線を外さずに頷いた。
「我は七代龍王、維心。だが記憶は五代龍王維心から繋がる。転生する折に持って参った。炎嘉と同じぞ。だからこそ、今も世を統べておる。」
焔は、それを聞いて驚いたような顔をした。そして、椅子に背を預けると、炎嘉と維心を見比べた。こやつらは、同じように記憶を持って来たと言うか。そうして、また二人で世を守っておると。
「…ならば道理よ。」焔は、やっと言った。「そうか、我に世を守れと。やっと分かった気がする…この意味を。」
蒼は、向かい合う三人を、固唾を飲んで見守っていた。




