信頼
それから、維心は精力的に動いた。
今まで面倒だと気だるげにしていることが多かったのに、今は暇さえあれば維明や維斗と共に甲冑を着て訓練場へ立つ。滅多に来ることの無かった維心が毎日ほどやって来て立ち合いを見ているので、龍軍の士気は驚くほどに上がった。そして、また滅多に見ることがなかった維心の立ち合いを、見ることが出来るようになったのだ。
維月は、そんな維心を眩しげに見ていた。闘神である維心は、そうやって戦っている時が一番生き生きと美しい。その誰も寄せ付けないほどの能力と気を、維月は忘れていたのだ。
そんな毎日の時に、炎嘉がやって来た。炎嘉は、数年ぶりに龍の宮の土を踏んだと、甲冑姿で笑いながら言った。
「最近維心が軍を見ておると聞いての。我も主と、久しぶりに立ち合うてみたいものと参ったのだ。」
維心は、ふんと鼻で笑った。
「我と?主は最近座って政務ばかりではないのか。鈍っておるであろうが。今立ち合えば、怪我をするやもしれぬぞ?」
炎嘉は、不敵に笑った。
「なぁにを言うておる。我が政務など真面目にすると思うておるのか。西からひっきりなしに指南をと言うて軍神達が来るゆえ、その相手をしてやっておって時をとっておったのだ。西の剣技で面白いものを見付けたのだぞ?もう己のものにしたゆえ、主で試してやろうとわざわざ足を運んだというに。見たくないか?」
維心は、興味を持ったようで、身を乗り出した。
「ほう?見てやっても良いぞ。」
そう言いながらも、早く立ち合いたくてしようがないのは、その仕草でわかった。炎嘉は、頷いた。
「よし。そら、皆端へ寄らんととばっちりを食うぞ?」
軍神達は、慌てて潮が退くようにさーっと回りに散らばって避けた。炎嘉は、残った維月を見て言った。
「維月、主も横で見ておると良い。もしかしたら、今日は維心が負けるのを見ることが出来るやもしれぬぞ?」
維月は、それを聞いてふふと笑った。
「まあ、もしそうでしたら大変に珍しいことですわ。私も、まだ見たことがありませぬもの。」
炎嘉は、声を立てて笑った。
「であろう?まあ、見ておるが良い。」
維心は、いつもなら炎嘉が維月に親しげに話し掛けるのに怒って引き離そうとするのだが、そうはせずに涼しい顔で言った。
「何を愚かなことを。我を負かせると、本気で思うておるのか、炎嘉?」
その、余裕を感じさせる堂々とした態度に、維月はまたぽっとなった。最近の維心様は、王者の風格というか、変に嫉妬をしたりとかそんなこともなく、自信に満ちて堂々としていらっしゃる…。
それを聞いた炎嘉は、軽く維心を睨んだ。
「また大きな口を叩きおって。余裕ぶってられるのも今のうちぞ。維月、下がっておれ。」
維月は、黙って頷いて、控えの席へと下がった。維心と炎嘉の、二人だけになる。
維心が、刀を抜いて言った。
「さあ、参れ。新しい剣技とやら、楽しみぞ。」
炎嘉も、刀を抜いた。
「今生ぐらいは、主を負かしてみたいもの。参る!」
二人は、激しくぶつかり合ったのだった。
結局、かなり接線ではあったものの、炎嘉は維心に勝つことは出来なかった。それでも、維心の技術と速さを持ってしても、炎嘉の不意打ちや新しい剣技、それにはったりを駆使した立ち合いはかなり手こずったようだ。
維心は、立ち合いが終わった後、炎嘉に言った。
「おお、前世より主と立ち合うのがやはり一番面白いわ。よう次から次へと新しい事を思いつくものよ。この我が、何度かヒヤッとさせられた。」
それでも、炎嘉は憮然として言った。
「だが主に勝てぬではないか。同じはったりは主には利かぬからの。また何か考えねばならぬ。それにしても、相変らずの真っ当な巧みな技であるわ。長く主と立ち合って来て、知っておるはずであるのに追いつかぬ。技術から言うても真正面から戦って勝てる相手ではないし、主はほんに難しいわ。」
維月は、それを微笑ましげに見ていた。前世から、維心は炎嘉とこうしてよく立ち合って来た。維心の、唯一の友として側に居たのが炎嘉なのだ。維心も、炎嘉と立ち合っている時自分でも言っていたように、それは楽しそうに頬を緩めていた。維月は、若い神らしく活発に動き回る維心に、とても安堵していた。1800歳だった前世の記憶が戻ってから、以前のように落ち着いてどっしりとした感じになってしまって、ついぞこうやって戯れたり暴れたりするのを見ていなかったからだ。前世では、維心だって若い頃があったはず。その時は、こうやって体を動かしていたはずなのだ。
維月は、微笑んで維心に言った。
「維心様、大変に楽しげであられたこと。炎嘉様とは、やはり違うのでありまするわね。炎嘉様も、以前より動きが巧みに速くなっておられて、私では勝てまするかどうか。」
炎嘉は、それを聞いてぱっと明るい顔をした。
「おお、主はそう思うか?ならば良かったことよ。維心には敵わなんだが、それだけでも良い。また我と立ち合おうの。」
維月は、頷いた。
「はい、炎嘉様。維心様のお許しがありましたなら、また。」
維心は、維月に歩み寄った。
「そうであるな、また次は主も甲冑を着て参るが良いわ。我もまた主と立ち合いとうなった。」
簡単にそれを許してくれる維心に、維月は戸惑った。今までは、他の男と云々と、なかなか許してくれなかったのに。
「はい…では、この次は。」
維心はそれを聞いて微笑むと、炎嘉を見た。
「炎嘉、ゆっくりして行けるであろう?酒でも飲もうぞ、準備させる。」
炎嘉は、それを聞いて笑って維心に並んだ。
「なんとの、主にしては気が利いておるではないか。おお、ゆっくり出来るぞ。」
維心は、頷いて維月を振り返った。
「では維月、主は部屋へ帰っておれ。我は炎嘉と話してから戻る。」
そうして、二人は笑って話しながら歩き去って行った。維月は、呆然とした…維心が、自分を置いたまま、どこかへ行くこと自体が無かったからだ。今までなら、維月の手を取って居間へ戻ろうと言い、炎嘉には用が済んだなら帰れと言うのが普通だった。それを、維月がたしなめてでは宴でも、というのが流れだったのだ。
維月は、何かが変わってしまった維心に、少し不安を覚えながらも、しかしやはり愛しているのに戸惑っていた。
維心は、炎嘉と並んで歩きながらちらりと維月を振り返り、維月が立ち去っているのを確認してから、ふっと肩の力を抜いた。それを見た炎嘉が、言った。
「ほんに…うまく化けたものよ。だがまあ、普通の健康な皇子ならこんな感じであるから、主がまともに育っておれば、こうであったろうの。」
維心は、炎嘉をちらと見た。
「化けておるのではないわ。我とて、今生の記憶を優先して生活すればこのような形になる。我は、こと維月に関して前世の記憶で接することが多い…前世に出逢って、そのままずっと一緒であるからだ。だが、今生の記憶だけに限定して動くと、自然こうなる。維月とて、最近今生の記憶が色濃くなっておるのだ。ならば我も、それに合わせて参った方が良いだろうと思うた。なので、このように。」
炎嘉は、頷いた。
「せっかくに新しい生を生きておるのに、もったいないと思うておったのだ。良いではないか、主には今生子供から育って来た記憶があるのだ。それに従っておれば良い。」
維心は、それを聞いてハッと気付いた。そういえば、炎嘉にはその記憶が無い。維心を助けようと、先に死んだことを悔いて、維心を案じて記憶を持ったまま、龍の臣下の亡骸へと入る形で転生して来た。不自然な転生であったのだ。
「炎嘉…主は、我のために…」
炎嘉は、維心があまりに深刻な顔をしたので、苦笑して首を振った。
「こら。おこがましいわ、誰が主のために転生して来たのだ。己のためぞ。言うたであろうが、あちらで妃同士が揉めての。逃げて参っただけよ。」
だが、それが嘘であることは維心には分かっていた。炎嘉は、いつも自分をこうして気遣ってくれる…口は悪いが。
「…そうであったの。主は、前世女癖が悪かったゆえ。反省したのだから、今生はそんなことにはなるまい?」
炎嘉は、呆れたように言った。
「分かっておろうが。ほんにもう、口が減らぬな。して、酒であろう?良い酒を頼むぞ。」
維心は、たどり着いた応接室の戸を開いた。
「我が宮に、悪い酒などあろうか。」
そうして、二人はそこで、窓から見える庭を眺めながら語らい、酒を酌み交わしたのだった。




