王族の庭
そこは、侍女達が言うようにとても美しい庭だった。他と比べると、広くは無かったが、それでも凝った造りであることは間違いなかった。どうやら、賓客をもてなす時に王などがこちらへ連れて来て、宴なども開いたりする場であるようで、所々に龍の宮にもあるような、花々を臨めるような桟敷などがあった。
維月がうっとりとその景色に見とれながら鷲の宮の侍女達について行くと、確かにまた、下へと繋がる階段があって、その細い長い階段を降りて行くと、耳に滝の落ちる音が聴こえて来た。期待に胸を膨らませて、岩場にぴったりと沿うようにある階段を降り切ると、奥に50メートルほどの滝が落ちる、素晴らしい風景が見えた。
「まあ…!本当!なんて美しいの…。」
滝壺に落ちた水は、その庭の中を流れて更に下の棚にある庭へと滝となって落ちるようになっている。回りの芝は青々と茂り、滝壺の回りは小さな花を咲かせているコケ科の植物がまるでじゅうたんのように見えた。僅かなスペースの中で、いろいろな庭を造ってあってそれを堪能出来るこの鷲の宮に、維月は魅了されていた。
「本当に素晴らしいわ。でも、なぜこれほど素晴らしいお庭なのに、焔様はお連れくださらなかったのかしら…王族の庭であるのに。」
鷲の侍女は、首をかしげた。
「王は、お庭より宮の中をと思われたのではないでしょうか。我が宮は大変に広く、全て本日で回るのは無理でございまするし、それでも主要な場所は見せておかれたかったのでは。」
それでも、他の庭を見る時間はあった。ここが一番美しいのに…。
維月がそう思いながら首をかしげていると、後ろから声がした。
「…恐らく、ここは我が好んでよう来るからではないか。」
侍女達と維月が驚いて振り返ると、そこには、燐が立っていた。維月は、その姿に驚いて袖で口を押さえた。
昨日会った時には、正装の着物姿でかっちりとした雰囲気であった燐は、今は気軽な着物姿で、髪も緩く解いてあって、結い上げては居なかった。それでも、その綾譲りの美しい顔立ちに、黒髪、時に赤く見える紫の瞳は、見劣りするどころか、更に際立つようだった。維月が、そのまま燐の姿に見とれて動けずに居ると、燐は進み出てその手を取った。
「維織殿。こちらの庭はまだ、見ておらぬのか。」
維月は、コクコクと頷いた。そうして、やっと声を出した。
「はい…あの、部屋へ帰ろうと歩いておったら、回廊から見えましたので、侍女に案内してもらっておりました。」
燐は、それは艶やかに微笑んだ。
「では、我が案内しようぞ。」
鷲の宮の侍女達が、頭を下げる。しかし維月の侍女達は、慌てて言った。
「ですが維織様は、焔様のお許しもなくこちらへ。その上兄君とはいえ、他の殿方とご一緒したとなれば、王はなんとおっしゃることか…。」
燐は、ちらと維月の侍女達を見ると、苦笑した。
「何を案じておるのか。我とて弟の許婚に手を出さぬだけの良識は持っておるわ。ただ、こちらの庭の、花や草の話をしたいと思うただけのこと。心配なら、ここで見て居るが良い。ここには隠れる場所もないゆえ、全てここから見渡せるわ。」
そう言うと、燐は維月の手を取って、そのまま歩き出した。維月は、いいのだろうか、とまだ悩んでいたが、それでももっと近くで滝を見てみたいという気持ちには勝てなくて、そのまま燐に手を取られて歩き出したのだった。
維月は、手を取られて歩きながら、ちらと燐の顔を盗み見た。側で見ると、燐は更に美しかった。だが、維月は維心と十六夜を見て育ったので、美しいものにはある程度の耐性があった。特に維心は、神世随一と言われる容姿の持ち主で、唯一皆の前に出る七夕祭りの日には、皆が大挙してやって来ては、段々になっている回廊に鈴なりになって必死に維心を見ているのを、維月は見て知っていた。それなのに維心は、自分の美しさを知らず、不機嫌に唇を引き結んで、じっと座って自分を羨望の目で見る神達を、鬱陶しそうに無視するだけだった。ちらとても視線を向ければ、女神が失神して大変なことになるからだった。
維月は、維心のことを思い出して、急に会いたくなった。きっと、今頃龍の宮で心配してくださっておるはず…。
そう思うと、思わずため息が出た。
すると、燐が維月の方を見て、表情を緩めた。
「どうなさった?我の顔が、何か?」
維月は、素直に首を振った。
「いえ。大変にお美しいお顔立ちでいらっしゃいまするけれど、維心様もとてもお美しいかたなので…思い出しましてございます。」
燐は、気を悪くする風でもなく、維月に片眉を上げて見せた。
「ほう?維心とは?」
維月は、燐を見上げて答えた。
「はい。龍王様でございます。神世随一のお美しさであると言われておりまする。」
燐は、驚いていた。今まで、これほど真っ直ぐに自分の目を見てしっかりと話した女は居ない。何しろ、皆真っ赤になって話にならなかったのだ。それが、維織は違う。龍王を、見たことがあるからなのか。確かに、現龍王は、五代龍王に生き写しでそれは美しく、不機嫌であろうとも損なわれないその美しい顔立ちで、視線でも向けようものなら女神はたちどころに失神してしまうのだという…。
「維心殿か。我も、一度会ってみたいもの。」
維月は、それには頬を緩めた。
「はい。きっとお会いになれまするわ。大変に凛々しく聡明なかたで、あのような神は我も他に見たことがありませぬもの…。」
維月は、思い出したのか、頬を赤らめて袖で口元を押さえると下を向いた。燐は、維月の顔を見て、もしやと訊ねた。
「主…龍王殿に、懸想しておるのか?それなのに、焔と婚姻を?」
だとしたら、焔との婚姻はなくなるかもしれぬのか。
燐が思っていると、維月はハッと我に返った。そして、自分の使命を思い出し、サッと表情を変えると、袖を下ろして、真っ直ぐに燐を見上げると言った。
「まさかそのような。我は、こちらへ焔様の婚約者として顔見世の式に参ったのでございます。軽々しく龍王様のことをお話ししたりして、誤解を招いてしまいました。申し訳ありませぬ。」
はっきりと言い放つ維月に、燐は毒気を抜かれてただ頷いた。本当に今まで、こんなにはっきりしっかりと女に物を言われた経験がなかったのだ。
それにしても、外の女はみんなこんな感じなのだろうか。ますます、外へ行くのが楽しみなことよ…。
燐はそう思いながら、維月の手を引いて滝の方へと近寄った。
「さあ、それよりも庭ぞ。ここはコケが愛らしいであろう?我がいろいろな種類のコケを育てさせ、うまく調和するよう育てさせておるゆえ、僅かな色彩で波打つように見えるのだ。」
維月は、そう言われて燐の指す先を見やった。すると、さっきは気付かなかったが、よく見ると滝の落ちている岩肌や、その周辺にはびっしりとコケが生えているのだが、それが燐の言うように、違う種類のコケが波のように配置されていて、立体的に見えてそれは美しかった。それは龍の宮でも見たことがないもので、維月は思わず大きなため息をついた。
「まあ…本当に美しいこと…。コケが、このように美しいなんて。」
それを聞いて、燐は嬉しそうに笑った。維月は、それが建前でも何でもない、燐の素直な笑顔なのが分かった。全く飾り気のない、子供のような笑顔だったからだ。
「おお、主にはこの美しさが分かるか?これはの、我が庭師に申して、探して来させたコケ達なのだ。なかなかに岩に根付かず難儀したものもあって…」と、滝の左側の指した。「こちらのコケは、ここまで広げるのに30年かかった。つい最近、やっと思うように隣りのコケと繋がって隙間無く完成したのだ。」
維月は、子供のように顔を輝かせて説明する燐に、微笑ましくて柔らかく笑うと答えた。
「では、我は運が良いこと。こうして完成してから見ることが出来るのですから。」
燐は、少し驚いたように維月を見たが、すぐに嬉しそうに微笑んだ。
「主には、これの価値が分かるのだの。では、こちらも案内しようぞ。その脇なのだが…」
燐は、嬉々として維月の手を引いて滝から続く川の方へと弾むように向かう。
維月は、そんな燐が可愛らしく思い、それから日が沈むまで燐と共にその王族の庭を歩き回っていたのだった。




