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カナメノカナメ  作者: 花街ナズナ
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ヤライトサバキ (1)

「不愉快な思いをさせてしまいましたね。まるで蚊帳の外に置かれた気分だったでしょう」


そう急に栖が切り出してきたのは、ちょうど参道の真ん中を塞ぐ猛火をかわし、拝殿のすぐ近くまで三人が進んだ辺りだった。


相変わらず巳咲と栖は先頭を行き、それへ要がついてゆく。

油断をしたらついてゆくのも難しい早足で、双方とも振り返りもしない。

ただ栖が声だけを発して、要に語りかけてくるのみ。


それでも、少なくとも要が最も欲していた状況説明を始めてくれたという点においては、まだここまでの道程に比べ、よほどマシではあったろう。


「先ほどの方々は氏子の方々です。今回の件で人手が足りず、已む無くお力を借りています」

「ほとんど町の人間、総動員さ。つっても見た通りでジジイやババアしかいねえけどな」


続けられた栖の説明へ、巳咲が茶々を入れる。無論それに対して栖がふと横を向いて巳咲を睨みつけたのは言うまでもない。


「……汚い口をきくのも大概になさい。今は猫の手でも借りたいほどの一大事。そこへ力を貸して下さっている氏子の皆さんを失礼な言葉で呼ぶのは感心しませんよ」

「その割にゃ自分は連中のことを猫の手と同じみてえに言ってんじゃねえか。よく人のこと言えたもんだな」

「私のは単なる喩え。しかもあくまで状況の逼迫を表すのに使ったまでです。氏子の皆さんを指して言ったのではありません。悪意から人の言葉を曲解するとは、ますます性格が捻じれてきたようですね」


半ば口論に近いやり取り。それを近場で聞かされるほうは堪ったものではない。長旅で疲れ、事情もよく分からず、始めて会った親戚同士の喧嘩を目の前で見せられる。


故意ではないにしろ、もはや限り無く嫌がらせに近い。


堪らず要がどうにか話の流れを逸らそうと、二人の間に口を挟んで入ったのもまた、人としてごく自然の反応であったと言えようか。


「あっ……あの、あれ……ですね……なんか、特徴的で面白いですね……」

「……何がだよ……」


ようやく必死で言葉を絞り出した要に向かい、もはや殺意すら感じるほどの睨みと地獄の底から響いてくるかの如き低いうなり声で巳咲が問う。


本当のところを言えば、この時点でもう要に返答する気力など残ってはいなかった。


今にも噛み付いてきそうな巳咲の様子を見、恐怖のせいでたちどころに言葉を継ぐ気力は消え失せてしまっていたのである。


が、そこはそれ。要にも意地があった。


愛らしいとさえ評されることもあるその姿形からは見出すことは難しいが、腐っても彼は自分を男であるのだと強く認識していた。


ゆえに、一旦は閉じかけた自分の口を芥子粒ほどの気力と意地とで無理くり開き、泣きそうになって潤んだ目で巳咲を見つめ返すと言葉を継ぐ。怯え震える己が手を隠すようにして。


「い……え、さ、さっきの人たちのこと……犬神さんがまとめて皆さんのことを氏子さんって呼んでたから……この辺りでは多い名字なのかなって……」

「……はあ?」

「や……よく聞きますよ……地方によっては町ひとつ全部が同じ名字なんてところもあるとかって……ここもそういう感じ……なんでしょ……?」

「何なんだ……? 急に話しかけてきたと思ったら訳の分かんねえ話し始めやがって……一体テメェは何が言いてえん……」


不機嫌なこと極まる顔に当惑の色を少しく浮かべ、首筋を掻きつつ巳咲は睨むというより苦々しい目つきで要を見ながらそこまで問い返そうとした。が、


「……巳咲……」


栖のつぶやきが二人の話へ急に加わってきたのは、ちょうど巳咲の発した不愉快そうな質問が言い終わるかとしたその瞬間。中途で言葉を遮っての横入り。


無論、その苛ついた調子を維持した巳咲の顔と視線は瞬時に栖へと向かった。


またぞろ口論の火が再燃かと、冷や汗もので要は双方を見つめる。しかしそれは完全な杞憂。それどころか、口論の火種はすでに鎮火していたのだ。何より、それを憂慮していた要当人によって。まったく自覚無しに。


思えば冷静に聞いていれば気付いたこと。それは、


「……要さんの……仰っている意味は……そうでなく……」


続けられた栖の言葉もそうであったように、先ほどのつぶやき声もまた、

笑っていたのである。


押し殺し、噛み殺し、口元を押さえて今にも噴き出しそうになるのを堪えて。


「氏子というのを、人の名字と勘違いして……は……話し……」


そこで決壊。栖の忍耐力が感情に負けた。


慌てて要と巳咲から顔を逸らし、後ろを向いてクスクスと笑い出す。


よほど耐え難かったのだろう。肩を震わせ、右手は口を塞ぎ、左手は笑いで痛む腹を庇って添えている。


そしてしばしの沈黙。要は事態が飲み込めずに。巳咲は考え込み。ただ栖の漏れ聞こえてくる笑い声だけ。


が、その途端であった。


今度は巳咲が笑い出す。

栖とは比べ物にならない大音声で。豪快に笑う。


ハナから声を抑えようなどとは思っていない巳咲の笑いは凄まじく、静まり返った境内に雷鳴の如く響き渡る。


そんな巳咲の様子を見て、要はより目を丸くする他は無い。何せ意味が分からないのだから。何故に二人がこうも自分の言動を機に笑い出したのか。


しかし当惑の顔をして混乱する時間は思ったよりも早く終わった。


突然、大声を張り上げて笑っていた巳咲が、がっしりと要の肩を掴むや、覗き込むように顔を寄せて、


「……ほんっとに、バカだなテメェは……」

「……え……?」

「一部地域の人間が共同で祀る神のことを氏神うじがみって言ってな、その氏神が祀られた土地に住む人間は基本、自動的に氏子っていう扱いになるんだよ。まあ平たく言えば住んだ時点でその土地に祀られてる氏神の信者みたいなもんへ勝手にされちまうってこった。だからさっきの連中を栖が氏子って呼んでた意味がまるで見当違いなんだよ。大体、氏子なんて名字のやつ日本中のどこ探したっていやしねえっての!」


そう話し、ゲラゲラと笑う。掴んでいた要の肩をバンバンと乱暴に叩きながら。


己が無知を晒した恥ずかしさは当然ある。が、要にとっては先ほどまでの耐え難く重たい空気に比べれば、まだ自分が笑われることで場の空気が軽くなってくれた事実のほうが有り難く思えた。その証拠に、


「……まあ、古代に遡れば存在した可能性も否定はしきれませんが……意味由来を考慮できる人間なら間違ってもつけない姓でしょうね……何せ名字はうじとも呼ぶわけで……そこを例えれば猫に『猫』と名をつけるのも同じ理屈に……」


などと、庇ってくれているのか追い打ちをかけているのかよく分からないことを込み上げてくる笑いを抑えつ語ってきた栖の様子を見て、腹立たしさよりも胸を撫で下ろしている自分を要は感じ、安堵の表情すら浮かんだ。


とはいえ加減を知らぬ巳咲に、したたか叩かれた肩へ残る痛みはその安堵の表情をも歪ませるに十分であったが。


さておき、面白い現実もそこには同時に存在した。


重い空気の場は時間経過が長く感じ、軽い空気の場は時間経過が短く感じる。


時間と時間感覚は違う。時間感覚はあくまでも感覚によるため、主観による認知。よって実際の時間は当の本人にとっては長いにしろ短いにしろ、(まだ?)とか(もう?)というように感じるのがむしろ自然なことと言えるだろう。


そのため、


「はぁ……さ、下らない話はこれまでにしましょう。もう本殿に着きましたよ」


呼吸を整えようとひと息つき、発された栖の言葉に反応し、無意識で前方を見た要はわずかに驚いてしまった。


話をしながらも足は止めずにいたが、それほど進んでいたとも感じていなかったのである。


だからすでに目的地であった本殿が目の前まで迫っていたという事実に、要は感覚的な誤差とでも表現すべき奇妙な心理へと変化していた。


いつの間にか拝殿を迂回し、その拝殿越しにすらも強く光を放つ大焚火を光源にして夜の深い山中へ浮かび上がるは、栖の言葉通りのもの。荘厳なる八頼の社、その本殿。


決して華美な装飾がされているわけではないし、造りも特別立派と言えるものでもない。

それなのに、視覚として入ってくる情報以上の何かがそこからは伝わってきた。


オカルト好きならそれを様々な言葉で飾り立てるのだろうが、要はそういったものに関するボキャブラリーは決して富んでいない。


ゆえに表現は簡潔なものになる。漠然とした不気味さに由来する恐怖、と。


ただし、時にこうした単純な言葉のほうが本質を理解するのに役立つことも多い。それは他者への説明に限らず、自分自身にとっても。


要は、ふと考えていたのだ。

感じたのは漠然とした不気味さ。そこから恐怖心が湧いてくる。

ではその漠然とした不気味さとは何なのか。そこをよくよく考えた。


そうして思い至る。不気味さとは、ある種の違和感。目先の本殿に囚われていたため、視界の隅にあるものから思考が逸れていた。気づいてしまえばひどく簡単な違和感に。


すると、


「どうかなさいましたか?」


急に声をかけられ、要は一瞬その場で小さく身を跳ねさせたが、すぐさま継がれた言葉に声の主を知り、目を向ける。斜め前へ立ち、こちらを見つめている栖へ。


「本殿に着いたというのに、何故か周囲を見渡しているのがふと気にかかりまして……それにそのお顔は何か感ずるところがあってのものと見ましたが……?」


内心を見事に言い当てられ、栖の慧眼にしばらく驚きから声を出せなくなるかと思った。


ところが、要はまたしても驚く。自分自身に。


「……狛犬が……」


栖の言葉に対し、反射的に口が動く。まるで自分の意思が漏れ出すようにして。


「拝殿には……狛犬がいなかったように思うんですが……」


どこか虚ろにそう言いつつ、要は再び周りを見回らす。栖との会話を続けながら。


「何か変だと思ったんです……確か狛犬って拝殿にも本殿にも置いてあるものじゃ……?」

「ですね。一般にはそうした形式の社が多いのは確かです。しかしご覧の通り、この八頼の社は本殿のみにしか神使しんしの石像を配していません」

「神使……?」

「多くの社では狛犬と呼ばれる架空の獣の石像が置かれています。が、社によって祀られている神は異なるのが普通です。何せ八百万やおよろずの神と言うほどですから。そして神が異なれば、その眷属……神の使いも当然異なります。もっとも有名な例ですと稲荷神いなりのかみが挙げられるでしょう。俗に『お稲荷さん』とも呼ばれますが、この神を祀る社には狛犬の代わりに狐の石像が置かれています」

「ああ……言われてみれば、家の近所にも確か……」

「稲荷神を祀る社は日本全国を見ても非常に多いですからね。他にも知られているところでは住吉大神すみよしのおおかみを祀る住吉大社でしょうか。この社では神の使いが兎であるため、兎の石像が置かれています」


本音を言うと要はこの辺りまで話が進むと、ヤブヘビだったかと感じてもいた。


聞きたかった事柄は石像の配置についてだけで、正直それ以上の話は蛇足とも思えていたからである。


だが、そんな要の思いには一切興味を示さず、栖は語り続けた。そして、


結果的に栖の話が蛇足などでないことを要は思い知る。


「……と、こうした例からも分かるように、祀られている神によって神の使いは違うため、配される石像の動物も変わるというわけです。ゆえに、その石像は狛犬ではありません」


言われ、要の頭には当然のように疑問が湧いた。だから、聞いた。


「え……じゃあ、この石像って?」


実に率直に。質問とはかくあるべきというほどのストレートな問い。


それを聞いて、栖は無造作に要の視線が向かう先へと歩いてゆく。左右対称に本殿の前を守るようにして置かれた石像の一方へ。


移動は数メートル。早足でなくとも数秒とかからない。辿り着くのに。

かくして、

件の石像の横へと来た栖は、その像を愛しむように右手でひと撫ですると即座に答える。


「狼です」


当然と言えば当然。単に石像が何の動物であるかを問うたのに対する回答。

簡潔なのは当然。


ではあるが、栖の説明はそれだけに止まらなかった。


「この社に祀られている神の名……要さん、もうお分かりですよね?」

「あ……八頼神社……だから……」

「そう、八頼です。土地の名であり、社の名であり、家の名である。そして八頼の使いは狼。山野を馳せ、火を屠る獣。あまり知られてはいませんが、山の神の使いである狼は山を火から守る火伏ひぶせの象徴として語られています。その昔、猟師が山中に消し忘れた焚火を、川の水で濡らした我が身で狼が消したという伝説が由来だとも言われていますが、一部の口伝に残るのみで、真偽のほどは定かではありません」

「はあ……」

「そして」


唐突、狼の石像からくるりと振り返るや、栖は痛いほど真剣な眼差しを要に向け、


「貴方もまた、八頼なのですよ。要さん」


決然と、そう栖は言う。


夕闇から夜の帳へと濃く、闇の色を強くする境内にただ背後の烈火のみが抗う中、パチパチと火の爆ぜる音と、山野へ静かに木霊した栖の声だけが、愕然として立ち尽くす要の耳に、長く尾を引くかのように響き続けた。


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