カナメノカナメ (4)
理解不能な状況に陥った時というのは大抵、その状況による精神的ショックからより早く立ち直った人間が事態を改めて進める役を担う。
今回の場合それは、
「……まさか……初代様……?」
千華代であった。
確信には程遠い、疑問形の問いを曖昧模糊とした存在へと発する。
すると、
『……またその呼び方ですか……』
表情どころか姿すら判然としないのに、何故だか千華代の(初代様)という呼び名に対し、明らかに不愉快そうな雰囲気を醸す。
『変わりませんね……どういうわけか、誰も彼も私には名前をつけない。何なんでしょう。私ってそんなに名前がつけづらいですかね……?』
「あ、いえ……決して吾も八頼の者たちも、そのようなつもりで御名を決めなかったわけではなく……」
『分かってますよ……下手に名前をつけて力を削がれたら、ヤライを封じ切れないんじゃないかって、そういう算段でしょ? けど心配もそこまで来ると失礼でしょう……私って、そんなに信用無いですか?』
この返しに、対応した千華代も含めて四人ともが同じことを思った。
(分かっているなら、なんでわざわざそんな回りくどい話し方をするのか)と。
ただ、
少し考えればこれこそがまさしく、この初代らしき漠とした存在が不機嫌である証拠なのだろうと、それぞれ納得しなくもない。
自らの感情に率直である点は荒御霊であろうと和御霊であろうと、神に共通する性質的特徴である。
『なんてね……三千年ぶりの愚痴です……やっとそれなりに意識がはっきりしてる体に転生できたもので……前の……というか、始めての体は意識らしい意識がほとんど無かったんで、人との意思疎通がほぼ出来なかったですから……それを考えると、今度の体はいいですね……ヤライはそもそも欲求が強いだけで自我は無いに等しかったんで論外だったし……』
抑揚も無く、特に大した話でもない風で語る初代。
この様子に、危うく聞き流してしまいそうになったが、よく聞けばやたら重要なことを言っているのに気づき、慌てて食いついたのは意外と言うべきか、その場の面子では最も冷静さを欠いていたはずの巳咲だった。
「……え……? じゃあ、まさかこれ……要……なのか?」
『……仮にも神様に向かって(これ)呼ばわりってどうなんでしょうかね……まあただ、私は貴女たちが呼ぶところの要という人間とは違いますよ……いえ、違う……あー、考えたらほぼおんなじかもですけど……』
「ちょ、ちょっと待て……なんだそれ? なんでそんなに自分のことに関して話すのに答えがグダグダなんだ?」
『んー……それといいますのも……基本、私には自我とか意識とか、そんなようなものは無いんですよね……だから普段はこう……存在してるのか存在してないのかも、自分ですら分からないくらいで……』
「……なんか、想像してた以上にフワッとしてんだなマジで……」
『自覚はしてますけどね……いえ、自覚……は意識がある時だけ限定なんで、常にじゃありませんが……』
「……それって……自覚してるうちに入んのかよ……」
問い始めの熱も、初代の返してくる掴みどころの無い答えに冷め、どこか萎えたように呆れながら巳咲は問う。
が、初代は口も動かさずに首を左右に傾ける。
左右に(振る)ではなく、左右に(傾ける)だけ。
言葉を使ってのコミュニケーションですら危うかったが、ボディランゲージではさらに難易度が上がってしまい、もはや自分の問いに対する答えなのか、そうでないのかも分からない。
とはいえ、そこだけ分かったとしても答えの意味が察せない以上は結局、意味の無さでは同じであろうか。
などと、
どれほど良いように考えても、何ひとつ得るものは無かった会話が初代の意味不明なジェスチャーによって強制終了してからしばしして、
沈黙から回復した栖はやおら口を開くと、ぽつぽつと独り言のように初代……ひいては神なるものについての説明を始めた。
「思えば元来……意思や意識を持つ神など少数ですものね。自らの意思や意識を持って行動する神は、どちらかといえば新しき神々に分類されるはず……」
『……その通り……というより、単純に系統が違うともいえます。新しき神々は人そのものの必要性から生まれたもの……私のように自然発生した古き神々とは、そもそもの成り立ちが異なるんですよ……』
「存じ上げているつもりです。人が最も古くに崇めたもの……それは自然そのもの。海や山、植物や動物、季節や天候。太陽や月や星々……それらは時に恵みとなり、時に災いとなりました。やがて人はそんな自然の恵みを和御霊、災いを荒御霊と呼ぶようになってゆき、今もその信仰は形を変えつつも続いている……」
『そして私も……そんなのの中から生まれたひとつの神様なわけなんですが……少し考えれば分かってくれると思うんですけど……山や海とかって、考えたり思ったりなんてするわけないでしょ? そりゃ、力はいろいろありますけど、でもそれだけです……使う気も無いし、使おうとも考えないし……』
「だから聞く耳を持ち、考える意識を持ち、答える口を持つ神を人々は欲した……」
『結果は皮肉だったみたいですけどね……自分の意思と意識を持ってる神が、なんで人の願いなんて叶えてくれるとか……思っちゃったんでしょ……』
「人間が愚かだった……としか言えませんね。身勝手な考えで扱いやすい神を求めたら、そんな自分たちと同じ身勝手な神々が生まれた。確かに中には無償で慈悲を与える神もいますが、大概は俗な思考の神ばかり。いくら数が多くても、役に立つ神がいなければ何の意味もないということに遅れて気づく……文字通り、救い難いといったところですか……」
『……私としても、さもありなん……くらいしか言葉が思いつきません……』
このふたりの会話に、巳咲は何を急に妙なことを話し始めたのかとしか感じていなかったが、千華代と巳月は少なくとも、栖の思惑に関してだけは理解していた。
それぞれヤライとサバキという古い神に操られていたがゆえ、意思も意識も持たない神がどのように成り立っているのか。
そして己としての意思や意識を持たないなら、どうして取り込んだ相手を、
操るのか、操れるのか、操ろうとするのか。
それらを知るために。
だが、
栖はそれらを知るより先に、神なるものの気まぐれさを知ることになる。
『さてと……雑談も楽しみましたし、そろそろ終いといたしましょうか……ヤライもサバキもすっかり食べ終えたんですから、不在だった三千年分の仕事としては十分でしょう……せっかく体も意識も手に入ったことだし……ちょっとくらい自由行動でリフレッシュさせてもらってもいいですよね……?』
「え……? や、しばしお待ちを! 私の話はまだ……それに、我々の処遇についても……」
『心配ご無用です……ヤライやサバキに比べたら今の貴女たちはあまりに小さすぎます……別に飢えてもいないのに、わざわざゴマ粒を拾って食べるほど私も卑しくありません……私の中からは出して差し上げますので、あとは皆さんもご自由に……』
初代の残した最後のひと言のせいか、栖は焦りと安堵、ふたつの感情を抱いた状態で、なおどうにか話を続けられないものかと、早くも身を翻してこの場を去ろうとする初代の背に向け、言葉を継ごうとした。
ところが、
「……待てよ……」
先に声を発したのは栖ではなく、
「まだひとつ……残ってるだろ?」
強いて威圧的に、音量こそ抑えつつも、ひどく攻撃的な声音で空気を震わせる。それは、
「……要も……返せ……」
巳咲の声だった。
瞬間、
蜃気楼のように揺らぎ、実体の感を持たない初代は振り返る。
見えない表情。
見えない感情。
見えない視線。
でありながら、
それらすべてから……感じることのできないそれらすべてから、明確な幻覚が伝わってくる。
知覚できないのに、そうだとしか感じられないという矛盾を帯びた恐ろしく深い漆黒の空気が辺りを包む。
と、同時。
初代は、
『……さすがは大神……いえ、大噛の字を当てたほうが適切ですかね……眷属でありながら、自らの仕える神にすら噛み付く……その血はなお健在と……』
言いつつ、手にした剣の刀身を軽く爪で弾くと、
『でも……』
真黒き空間へ涼やかに響き渡る鐘の音のような剣の音色に乗せ、
『そういうの……決して嫌いじゃないですよ……』
喜びにも似た奇妙な雰囲気を、声と言葉へ滲ませるようにして巳咲と相対した。




