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カナメノカナメ  作者: 花街ナズナ
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カナメノカナメ (1)

意識を失った記憶は無い。


そうした感覚も、疑いも、違和感も。


その証拠に、まとまりこそ無いが思考だけは途切れることなく続いている。


ここはどこなのかと。


暗い。

細かな表現を一切必要としないほど純粋に、暗い。


失明した人間の見る光景など想像もできないが、(それ以前に、失明している人間を喩えに挙げて「見る」という言い回しをする不自然さもひどいものだが)真の暗闇とはこうしたものを指すのかもしれないと、巳咲は耳をそばだて、鼻から吸い込む空気の中に微細な匂いを嗅ぎ分けようと感覚を研ぎ澄ませた。


立っているようにも思える。しかし地面を踏んでいるらしき感触は足に無い。


かといって宙に浮いているとも感じない。


何というべきか、漠然と体を縦に起こしているとしか言い表せない。そんな状態。


それゆえに巳咲は必死で今現在の自分が置かれた状況を知ろうと、五感に神経を集中させる。


ヤライがどうなったのか。

サバキは?

栖は?


あまりに情報が少ない。


焦り、何も見えないと分かりながらも周囲を見回す巳咲の不安は、もはやわざわざ説明する必要も無く大きなものであった。


視覚から得られる情報は相変わらず無し。

聴覚からもまた何も得られない。耳鳴りすら起こしそうな無音。


最後の頼みは、自分でも最も信頼を置く臭覚。


これで何か具体的でないまでも、ヒントぐらいは得ることができれば。

そう思い、己が鼻へ全神経を集約させようとした。


その時、


『……皆の衆、無論異存はありますまいな。今回のサバキに対する攻勢は畏れ多くも火伏の棟梁、千華代様より直々の命じゃ。そうでなくとも、サバキの居所を掴めた此度の幸運を無為にするなど、愚挙の極み。間違ってもこの好機を逃すことがあっては八頼の再興に最悪の憂いを残すは必定。新たな八頼の血筋をお迎えするためにも、万難を排すべく戦いへ臨むことこそが我ら八頼守護三家の為すべき役目では御座りませぬか?』


突然、どこかで聞いた声が耳に届き、思わず巳咲は反射的に声のしたほうへと振り返る。


すると何故か、


「ヤッホー巳咲チャン♪ 無事たったみたいで安心したわあ♪」


そこにはいつの間にやらサバキが立っていた。


一瞬、そのことへ気が散ってしまったものの、よくよく確認すれば奇妙なことはそれだけに止まらない。


振り返り、サバキの姿を見るまでは確かに何も見えない暗闇にいたはずが、今はどうも場所が違う。


いや、不自然さだけで言えば場所だけではない。

状況そのものが突飛に感じられる。


見た目だけで判断するなら場所は本殿。それも千華代の部屋。


そこで数日前、サバキ討伐に向かった面子が揃って熱気を帯びた声を飛ばし合っていた。


と、サバキは静かに巳咲の横へ近づき、そんな様子を見つめながら口を開く。


「いやはや……改めて見ても、やっぱり気色の悪い熱気だねえ。戦いを前にして半分ラリッてる連中が大半だったから仕方ないっていえば仕方ないかもだけど……」

「改めて……って、何なんだ? これ……それに、ここは……」

「現実には現人神に目覚めた要チャンの精神世界。そして今、見えたり聞こえたりしてるのは吸収されかかってるワタシの残骸。数日前の会議の記憶よ。思い出したくも無い……というより、出来れば巳咲チャンには見せたくないかなあって……ね」

「会議……それって、サバキへの……?」


部分部分、途切れた問いではあったが、サバキは巳咲の言わんとしていることを察して無言でうなずいた。


何やら寂しげな、悲しげな眼をし、口元にだけ微笑みを見せながら。


『……ところで狗牙の小娘。念を押すが貴様の役割、分かっているだろうな』

『分かってますとも。真っ先に敵へ突っ込んで死ぬだけの簡単なお仕事ですからねえ。いくらワタシでも、その程度のことも覚えられないほどバカじゃあないです』


瞬間、巳咲はこの不穏な会話に、はっとなって目と耳を凝らす。


見ると、三家の人間が集っている部屋の隅に、身をちぢこめて座る巳月の姿がある。


会話はそこから聞こえていた。


『くれぐれも仕損じるなよ。貴様の妹がここへ居残れるのも、すべては貴様がサバキを抑えると公言したからこその約束。もしも違えるようなことがあれば……』

『ご心配無く。ワタシもこう見えて赤い血が通ってますから、可愛い妹のためにすべきことは何だってしますとも。たとえそれが死に役でも……上等なもんです。少なくとも、妹のために死ぬことには意味を感じられます。八頼や火伏、犬神のためだったら絶対にごめんこうむりますけどねえ……』

『……ふん、いかにも守護三家の面汚しである狗牙の人間らしい不敬な口だ。まあいい、せいぜい出来の悪い身内のため、肉と骨を削ってサバキを止めろ』


この会話を聞き、


巳咲は自分でもどうかしてしまったかと思うほどに混乱することになる。


当然ではあった。


元々、よほど特別なことでもなければ狗牙の人間は本殿にも入れない。


自然、三家という体際は取っていても、細かな話を聞ける機会など無いに等しい。


ゆえに、


サバキ討伐に関する会議の席でどのような話がされたのかを巳咲が知らなかったのは当たり前のことである。


であるがため、巳咲は今まで知りもしなかった話を聞かされ、思考は乱れに乱れた。


いや、思考すらできていたかも怪しいかもしれない。


食い入るように会話の様子を見ていたところから一転、話が終わったのをきっかけにサバキへ向き直った巳咲は、明らかな狼狽の体で必死に問いを発する。


「何……だよ……これ、アタシのためって……何……?」

「……」

「やめろよ……ここまで来てだんまりとか無いだろ……教えろよ……」

「まあ、話さずに済ませられれば一番だったんだけど……どうもそうは問屋が卸さないって感じかなあ……しゃあないねえ……」


溜め息交じりにサバキはそう漏らすと、何とも重そうに話を始めた。


「実のところ、サバキとの決戦に際して八頼に残るのは千華代とその身辺を世話する栖チャンだけっていうのが当初の予定だったの。けど、ワタシがサバキと正面からやり合うって条件付きで、半ば無理やり巳咲チャンの参戦を無しにさせた。こう言ったら何だけど、仮にサバキとの戦いへ巳咲チャンを連れて行っても、無駄に死なせちゃうだけだし、それなら戻るって話だった八頼の血筋を守るって建前で置いてけぼりにしたほうがワタシの精神衛生上よろしいかと思ってさあ……」


予想だにしていなかったサバキの告白に、巳咲は、


ただ、ただ言葉を失う。


しかし、少し時間が経つと今度は自分の浅慮に激昂し、握りしめた手に爪が深々と突き刺さって朱の滴が両手からこぼれる。


結局、想像していた以上に自分は姉に甘えっぱなしで、しかも大した緊張感も無しに姉が死地へと向かうのを見送ったのだ。


自分で自分の太平楽に怒りが満ち満ちて、ほとんど表面上だけでも感情を抑えるのだけで精いっぱいの状態となっていた。


だが、


「でもさあ、そこは巳咲チャンが気にすることじゃないと思うよ? どう言おうと、これは巳月が勝手にやったことであって……あ……やば、巳咲チャンこれは見ないで……」


か細くも、はっきりと聞き取れるサバキの声が耳に入ってきた時、


巳咲はまだ自分がどん底にはいないことを知らされる。


気が付けば、また場面は変わっていた。


本殿でのやり取りからガラリと変わり、


それは、


サバキとの戦いの場面。


と言っても、それはすでに光景として成立しているかも怪しいものであった。


赤い。

何もかもが赤い。


地面が、そこから生えている草が、立ち並ぶ樹々の幹までが。


そんな光景の中で、微かに動く人影らしきものを見たことで、巳咲はそれら赤く染まった諸々の原因を知ることになる。


かろうじて残っていた正気と引き換えに。


全身くまなく赤く染まった人影。それは、


考えうるあらゆる傷により、自身の血で真っ赤に濡れて地を這い蠢く巳月の姿だった。


両腕は引きちぎられ、右足は膝から下が喪失している。


さらに、残った左足もつま先が原型も分からぬほど潰れ、血を噴く肉の間から砕けた骨が並びの悪い歯のように突き出ていた。


加えて、

その顔は異常なまでの出血で濡れている。


何故なら、


とうに双眸が収まっていたはずのふたつの眼窩は、どちらも眼球を抉り出され、まぶたの肉すら失われていたのだ。


これだけでも、もう十分に巳咲の正気は奪われていた。


なのに、光景はなお続く。


そこまでの状態になっている巳月を遠巻きに見つつ、参戦した誰ひとりとして助けに入る者はいない。


戦おうとする者さえいない。


沈黙し、動かず、まるで他人事とばかりに破壊されてゆく巳月を見ている。


そして、


サバキはそうした中、巳月へ接近した。


接近して、サバキはやにわに倒れ込んでいる巳月の腹へ腕を突き入れる。


脇腹から差し込まれたその腕は、ほぼ肘まで埋没したように見えた。


が、刹那、


巳月は自分で接近することも、相手の位置を知ることもできなくなっていたところへ近づいたサバキに対し、最期の攻撃を放つ。


腕も、足も、敵を見るための眼すら失いながら唯一、残った武器。


限界まで開いた口に覗く鋭い牙でもって、サバキの肩口を食いちぎる。


急所を狙う術は無かった。

それによしんば急所を攻撃できていたとしても、サバキを倒すに足る傷を負わせられたかは疑問である。


さりながら、

それらもかくなっては是非も無かった。


はらわたを内側から斬り裂かれつつ、単なる意地だけで浴びせた牙による一撃を入れて露の間も置かず、


巳月は噛み付いた口を離すと、天を仰ぐ。


同時、腹から引き抜かれたサバキの手で、ズタズタにされた臓物が引きずり出されるのに合わせたようにして。


瞬刻、


ようやくに絶命して仰向けに倒れ行く巳月の姿を見ながら、


巳咲は、


声を発することすらできなくなった己が喉を掻き毟り、音も無い絶叫を上げる。


怒りと悲しみに歪み、見開かれたその双眸から、


瞳を焼きつかせるような涙を流れるままに流し続けて。

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