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カナメノカナメ  作者: 花街ナズナ
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ヤライノカナメ (2)

サバキとのやり取りに時間を喰われ、少しく遅れて切れ目をくぐった栖は、そのくぐった先の見覚えに、不思議と安心よりも恐怖を感じる。


本殿の廊下。長年、見慣れているだけに見間違えは無い。


ただし、確信は当然ながら持てようはずも無かった。


ここまでの見聞きしたり、体験してきたことからして、確信できるものなどひとつも思い浮かびそうにないし、常に不信が心の横で待機している。


次の瞬間、何が起きても不思議ではないという、恐怖に身構えた精神はそう簡単に解きほぐせるものではない。


とはいえ、

およその推測くらいはまだおこなえるだけの余裕はあった。


感覚的ながら、千華代が作ったらしきこの切れ目は、常世と現世を往来できる某かの道のようなものだとは分かる。


そしてそれはもう自分の背後で消えかけていた。


これでサバキからの追跡は逃れた……と思えれば幸いだったが、残念なことに栖はそこまで楽観的でも知性に乏しくも無い。


参道での出来事を考えれば、サバキはほとんど自在に常世と現世を渡り歩ける。


いや、そんな生半可なレベルではない。


一定の空間ごと、現世を常世に引きずり込む。それぐらいはしてのける。


相手の強大さは覚悟していたつもりだったが、とても覚悟していた範囲では済まされない。


勝てない。何をどうやっても。


諦めてはいけないのは重々承知しているものの、揃っている材料を並べて冷静に考えれば考えるほど、勝てる要素がどこにも見当たらないことだけがはっきりしてゆく。


何とは無し、サバキが徹底して人の絶望にこだわっていた姿勢を思い出し、栖はなおさら背筋が凍る感触を味わった。


その時、


「……栖……」


植え付けられた恐れの為か、はっとして身構えてしまったが、すぐに自分を呼んだ声の主が廊下に立つのを見て、わずかながらも栖は緊張を解く。


「巳咲……でしたか」

「テメェなんかでもビビる時はビビるんだな……って、からかう気力ももう無えよ……本音を言って心底、無事で良かったと思う……」

「……」


これへ、栖は言葉を返さなかった。

返せなかったに近い理由で。


あの勝気を絵に描いたような巳咲が、見るも無残に怯えているのが声や態度から滲み出しているのを感じたために。


恐らくは自尊心もズタズタになっている。


慰めにせよ、それ以外にせよ、掛けるべき言葉など見当たらない。


サバキが言っていた(心が壊れるまで絶望させる)ということの意味が、漠然とはいえ理解できた気がして、栖は自分を捕らえている恐怖心がより強固なものになってゆくのを感じずにはいられなかった。


「ところでよ……精神的に参ってるとこ悪ぃんだけど、千華代の部屋の戸、開けてもらえねえか? さすがにアタシも空気は読むからさ……足で開けるわけにもいかないんでね……」


言うのを聞き、はっとして栖は巳咲の姿を改めて見る。


全身、血と汗にまみれ、左手は潰れたまま血の染みた包帯の中。八握剣の右手は砕かれて跡形も見られない。


精神的なダメージは察しきれないまでも、肉体のダメージはとうに動ける限界は超えているようにしか見えなかった。


「千華代のババァ……こっちへ戻るなり、即行で要を抱いて部屋に籠っちまってさ……中で何してんのか分かんねえし、かといって……ひとりで戸を開けて入る度胸も出なくてよ……」

「それは……さっき言っていた空気のせいですか……?」

「そんなとこ……だな。千華代……どうもえらく張り詰めた顔してて……なあ、確か要のやつ何故だか知らねえが、首から死返玉ぶら下げてたみたいだったけど、もしかしてそれで要を生き返らせるんじゃ……」


淡い希望にすがるよう、そう問うてきた巳咲に、しかし栖はあえて冷たく否定する。


「……気持ちは分かります。そうであればどんなに楽かと、私も思いますから……でも、如何に死返玉でも、死んだ人間を生き返らせることは不可能です。死返玉や布瑠の言などは、単に肉体を生き返らせることができるだけのもの……魂を黄泉から連れ戻さない限り、生き返った肉体はただの動く肉でしかありません。意思も、意識も、思考も無い……ちょうど私たちに襲いかかってきた土の亡者と同じ……重ねて言えば、神ですら死ねば黄泉からは出ることは叶わない……生き返りは比較的容易でも、真に生き返らせる……つまり黄泉帰り(よみがえり)は現実的には不可能なこと。生死の道理は絶対にして不可避。命は取り戻しがきかない。だからこそ命は重く、かけがえのない価値を持つんですよ……」

「……」

「さりとて、千華代様が要さんの遺体をお部屋に運び込んだ理由は気になりますね……ひとまず細かい話は置いて、直に千華代様に事情をお聞きすることにしましょうか」


そう言うと、栖は黙り込んだ巳咲を置いて千華代の部屋に向かった。


心情では巳咲を慰めたいとも思うが、どう言い繕ってみても非常な現実は変わらない。


ならば無意味に淡い希望を抱かせるより、無理にでも事実を受け止めさせるほうが良いだろうとの、栖なりの気遣いによる態度である。


栖自身も心が痛んだが、先々を考えれば諦めは早いに越したことはない。

思いつつ、廊下を進んだ。


ふと気づけば、これもひどい有り様だった。


飴色をした木製の本殿の廊下には、べったりと朱色の線が目印のように伸びている。

千華代の部屋まで迷い無く。


言うまでも無く、この朱色の案内表示は要の体から流れ出た大量の血であるのは、考えずとも明らかであった。


そうして、その出血は千華代の部屋の前で戸に隔たれて途切れている。


真新しい血の跡という意味以上に、それが要の死という現実と直結しているだけに、栖は胸に突き刺さるような悼む気持ちを抱いたが、


それも、ほんのひとときのこととなった。


板戸を、わずかに一枚の板戸を隔て、漏れ聞こえてきた室内の声に。


それは間違い無く千華代のもの。


というよりも要の屍と千華代しかいないはずの部屋から、他の声が聞こえてくるはずも無し。


だがそれゆえに、


栖は我が耳を疑った。


聞こえてきたのは祝詞。

しかも通常の祝詞ではない。


いや、


もはやそれは正気の祝詞とは言えないものであった。


「……タカアマハラニカムヅマリマス、スメムツカムロギカムロミノミコトモチテ、アマツノリトノフトノリトノコトヲノレ、カクノラバタフトキヤライノフゲキタリマスアキツミカミヲアノチヘアノミヲササゲタリテ、カエシタマイ、カエラシタマウトモウスコトノヨシヲ、ヤオヨロズノカミタチモロトモニサヲシカノヤツノミミヲフリタテテキコシメセト、カシコミカシコミモウス……」

「!」


咄嗟、栖は許しも得ずに戸を開ける。


普段ならひと声、尋ねてからしか開けるはずの無い千華代の部屋の戸を。


それだけ事態も栖自身も逼迫していたというのが理由であるが、何より酷なことは、


戸を開き、部屋の中を見ることで事実を確認してしまったことであった。


認めたくない事実。

信じたくない事実。


瞬間、


栖はその場へ崩れ落ちる。


まるで糸が切れたように全身を脱力させ、座り込んだ。


肩は落ち、両手を床につき、呆然として。


さらに突然、様子のおかしくなった栖の有り様に、巳咲も反応しないわけは無く、


「ど、どうしたんだ栖?」


慌て声をかけながらその背中にまで近づいた。


戸が開いたままの部屋の前に力無く座り、顔を伏した栖の背まで。


この時点での行動は単に栖がどうしたのかを確かめるため。それが目的。


ところが、

そうすると嫌でも入ってくることになる。


視界に。部屋の中が。


途端、


巳咲はその目を介して急激に流れ込んできた視覚的不可解に今日、体験した中でも最上級の混乱と恐怖をもたらされた。


部屋には布団がひとつ。

そこへと続く血の跡が、部屋の四方に灯された灯明で鮮明に光っている。


そして布団の上には要の躯。

無造作に寝かされたその体は、つい先ほど見た時と同じく、左の胸辺りを中心にして全身が血に濡れていた。


しかし、


気になったのはすでに分かりきったことに対してではない。


そんな要の体……その首や手足、脇腹など何か所もに、着ている衣服を貫いて赤く太い糸が突き刺さっている。


まるで先端だけが硬質化したように。


それだけではない。


ふと見渡せば、布団の脇には中身の無い空の古びた壺。


それに、

脱ぎ捨てられたように重なり、床に散乱した白衣と朱袴。


奇妙なことに、共通してそのどちらにも要の体に刺さった糸の端が伸びていた。


壺にも。服にも。


頭を疑問ばかりが埋め尽くす。


この赤い糸は何だ?

この空の壺は何だ?

この巫女装束は何なんだ?


奇怪さはこれだけで十分。十分すぎる。

なのに、まだ済まない。


部屋自体が暗いうえ、仰向けになった要の体に空いた穴へ納まっていたため、危うく見逃すところだったが、よく目を凝らすと、


サバキに穿たれて空いた要の胸の穴に、何故だか勾玉が組み合わせたようにふたつ、植え込まれていた。


「……何だよ……何なんだよコレ……それに、千華代……あのババァはどこに……?」

「……」


思わずつぶやいた独り言であったものの、心のどこかで栖が答えてくれることを、ほんのわずかでも期待していたが、


当然と言うべきか、答えは返ってこない。


相変わらず栖は床へ伏したまま無言で、動く気配すら感じられない。


さしもの、相次ぐ不可解な事柄に巳咲も混乱、恐怖、疑問を後ろ盾にしたあまりに強大な不安に押し潰されそうになる。


が、そんな思いに心が折れかけたのと同時、


「何だったら、説明してあげよっかあ?」


廊下の奥から声が響いた。


はっとし、すぐさま廊下側へ向き直った巳咲は向き直り、そうして、


今、何よりも見たくないものを見ることになる。


サバキ。


千華代の一撃によってその身を両断されたはずのサバキが、まったく何事も無かったようにしてそこに立っていた。


「……ただし、覚悟はしておいてね巳咲チャン。ワタシの話すことを信用するも信用しないも巳咲チャンの自由だけど、状況はワタシの言ったことを真実だと証明してゆく……覚悟が、それも今までの覚悟とは性質の違う覚悟が必要になるよお? 今まで信じていたものすべてを失う覚悟……どうかなあ、巳咲チャンにその覚悟って出来るかねえ……?」


言って、


爪の先で自分の顎を弄りつつ、サバキは小首を傾げ、


獣のように笑う。


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