トコヨトウツシヨ (6)
「要チャンはさ、荒御霊と和御霊とかって知ってる?」
そう切り出してきたサバキの口調は、相変わらず不気味なほど柔和だった。
「えっ? あ、ええと……聞きかじったくらいですけど……おんなじ神様にもふたつの面があって、怖い面が荒御霊で、優しい面が和御霊……とか……」
「その通り。でもそれ、『普通は』っていう前提ありきの話なのよねえ」
「……は?」
「ぶっちゃけて言っちゃうと、ヤライとサバキの関係についてはこの『普通は』の前提が成り立ってないのよ。まあ最低限の話を、しかも八頼側の視点でしか聞かされてない要チャンには何が何やらって感じだろうけど……」
そこまで言うと、サバキは露の間ふと天を見上げて考えるような素振りをし、再び口を開く。
「そう……神っていう存在はほぼ例外無く相反する二面性によって出来てる。真逆もいいとこの性格ふたつでね。極端な言い方しちゃうと、聖人君子と殺人鬼の二重人格。それが一般的な神の基本的な性質」
「あ……その辺は少し聞きました。だからそのふたつの性格が違い過ぎると、もう同じ神様としてじゃなく、別々の神様として扱ったりするとか……」
「へえ、思ったよりは聞いてるみたいだねえ。まあ別々の神様って扱いをするほどのパターンはけっこう稀なんだけど、同じ神様なのに名前がいくつもあるってところである程度は察せるかな? 一番ポピュラーな神だと伊邪那美なんかが分かりやすいよ。別名は黄泉津大神や道敷大神なんてのがある。神産み、国産みの母神でも、こうなっちゃうと怖い怖い。何せ夫である伊邪那岐が、腐敗した自分の姿を見て逃げ出したのに激怒して、千五百匹もの黄泉軍って鬼どもに襲わせたくらいだから、その他の神々なんて推して量るべしだわ」
「はあ……」
これまでに聞かされてきた話とさほど変わり映えのしない内容に、要は気も無く返事をする。
が、間を空けずに、
「た・だ・し♪」
サバキは矢継ぎ早に話を続けた。
さしもの要も、興味を持たざるを得ない内容を伴って。
「これはワタシも巳月でなくサバキになったおかげで知ったことなんだけど、現実には性格の二面性に対して別名を使うようなことはありこそすれ、別々の神として扱うなんて特例中の特例なのよ。ちょっと調べれば分かると思うけど、神格を分化するなんてこと、神の怒りに触れるのを何より恐れてるはずの人間たちがわざわざやると思う? はっきり言ってそんなの神に対するバリバリの冒涜行為だもん。下手すれば自分どころか一族郎党、ひとり残らず殺されたっておかしくもないし……よほどそうすることにメリットか特別な理由でも無きゃ、やる動機が見当たらない気がしない?」
「えっ……?」
言われ、要も疑問を抱く。
思えば確かに、とも感じる。
だが即座、要は巳咲に聞かされた話を思い出して反論を打った。
「や……で、でも……ヤライだって怖い神様なのに、それの正反対ってくらい危ないサバキをどうにかしないとって考えるのは別に不自然なことじゃないと……」
言いかけたところで、今自分が話している相手がそのサバキであることに気付いた要が慌てて自分の口を手で押さえる姿を見、サバキはクスリと小さく笑い声を漏らすと、そのまま微笑みつつ話の間を埋める。
「そんなに怖がんなくっても大丈夫よお。その程度で悪口を言われたって怒り出すほどワタシ気が短くなんてないからさあ♪ というか、ワタシが要チャンに言いたかったのってまさしくそこなのよ」
「?」
「自分で言うのも何だけど変だと思わない? 昔からワタシが聞かされてきたヤライとサバキの差って、現実問題どの程度のもん? サバキは火と死を司るから危険とかいうけど、じゃあヤライは安全? 火と生を司るって言ってても、かなりラフな感じで人殺すわよヤライも」
「そ、そう……なんですか……?」
「八頼家の由来とか聞かなかった? 焚火の消し忘れだけで村のひとつやふたつ皆殺しにする気になっちゃう神が和御霊? 笑えないジョークにしてもひどすぎでしょ。普通の他の神々を基準に考えたら、これってもう完全に荒御霊のレベルだと思うけどお?」
「……」
正直、考えてもみなかった話だった。
というより考える余裕が無かったというのが正しいだろうか。
とはいえ冷静になってみるとこの言い分にも筋は通っている。
要は始めからまずヤライが正義でサバキが悪という観点での話しか聞かされていない。
ところが視点を変えてみると双方の立場にそれほど大きな相違点は無い。
そこを思うと、聞かされていたヤライとサバキは対極だという話にも疑問が湧く。
一体、何をもってこのふたつは対極だというのかが分からずに。
「あーらら……悩んじゃってるねえ要チャン。ま、無理も無いけどさあ。私だってサバキになるまでは疑いもしなかったものを、いきなりこんな考え方を180度ひっくり返すようなこと言われたら悩むのも仕方ないかあ……」
「実際……かなり混乱してます……」
「だろねえ……けど、一応は安心してくれていいよ。ちゃんと分かるように説明してあげるからさあ。ただ、ワタシが話すことを信用するかしないかは要チャン次第だけどねえ♪」
「そこはまあ……自分で考えて真偽は憶測しますから大丈夫です」
「ふむ、自分の考えがきちんとあるっていうのは立派でよろしい。OK、じゃあ早速だけど話を始めちゃおっかなあ♪」
そう言ったところで、サバキは急に今までの微笑みはどこへやら、妙に真剣な顔になったかと思うと改めて話を再開した。
直後に、要の絶句を誘発して。
「結論から先に言っちゃうと、ヤライとサバキって、どっちも荒御霊なんだよねえ」
「……!」
「まあその反応が正常よ。だけど順序を立てて考えてみてくれる? もしヤライが和御霊だとしたら、何で生贄なんて要求するの? それって荒御霊を鎮めるための方法であって和御霊に対して生贄っておかしいと思わない?」
この問いに、要はなお絶句したまま声を出せない。
というより、発すべき言葉が見つからなかったのである。
考えればおかしな話。気が付かなかったのが不思議なほど。
荒御霊の機嫌を生贄や儀式によって和ませ、文字通り和御霊へと変ずるのが普通。
そして和御霊は機嫌を損ねて荒御霊になるまでは人間にとって益神のはず。
なのに、和御霊でありながら生贄を要求するとはどういうことなのか。
言葉を失い、要は視線を落として頭を悩ますより他に無い。
「その様子だと、知恵熱が出ちゃう一歩手前って感じねえ。でも答えは簡単なのよ。ヤライもサバキも荒御霊。だけど和御霊は? それはだーれ?」
「……?」
分かる訳も無い質問をされて要はあからさまに戸惑ったが、途端、ついと要を指差したサバキの一言で、戸惑いは限界にまで達した。
「要チャンが和御霊なのよ♪」
「!」
「ビックリだよねー♪ だって当人じゃないワタシでもビックリしたんだから、当人である要チャンなんてビックリも桁違いでしょ? 分かるよー♪」
「あ、ちっ……ちょっ、ま、待っ、て……な、何……?」
「はいはい、ちゃんと答えたげるから落ち着いて話しなさいな要チャン♪」
「だっ、だって、僕は……八頼であって……そうするとヤライが荒御霊っていうのが……」
「矛盾すると思うよねえ? でも矛盾しないんだなあ。だって要チャンって八頼ではあるけどヤライではないんだもん」
「……え、え……?」
「栖チャン辺りから説明されなかった? 要チャンはあくまでも巫覡。その身に神を宿らせる神憑り(かんがかり)の依り代。で、さらに混乱を解消してあげちゃう。何で神とそれを身に宿せる巫覡の家系の名前がおんなじなのか?」
「それ……は、神様の名前がヤライで……だから……それで生き神様って祀り上げられた初代の人が名前をいただいて……」
「そこ!」
急なサバキの短くも大きな一声。
咄嗟、やはり要は石の椅子の上で身を跳ねさせる。
「また疑問が出てくるところだよ? いい? 少し考えれば分かるだろうけど、八頼の初代が生き神様として祀り上げられた。これは事実だとして、問題は名前。分かってる? いくらその神を身に宿せるっていっても、たかが人間の分際で神とおんなじ名を名乗るとか無茶をするにもほどがあるとか思わない? しかも相手は荒御霊。仮にヤライが始めに教えられた通りの和御霊だったとしても下手すりゃ……ううん、下手しなくても殺されるわ。和御霊から荒御霊に変じてね。そんな身の程知らずなことしたらさあ」
「……で……も、だとしたら……何で実際に八頼の名前は……?」
「答えがシンプルすぎて逆に怖い場合もあるってこと。立場上、ヤライは神だから当然ながら人間より上。なのにその人間がその名前を名乗ってる。てことは……八頼の初代っていうのはヤライから名前を神格ごと奪ったってのが真相」
やんわりと、穏やかに、されどとんでもない発言を、ポンとサバキは言い放つ。
これにはついに要の頭がその処理能力を超えて、
パンクした。
あまりにも突飛、奇抜、荒唐無稽。
とてもではないが、もう要の脳はほとんど機能停止寸前である。
「分かる? 現実には八頼の初代はヤライの生贄になるより前にもう生き神様として崇められてたのよ。理由は簡単。並みの巫覡とは力の性質がまるで違ったから。自分に宿した神の力を奪い、自らのものにしちゃう本物の現御神……人でありながら神であり、名も持たず、他の神からすべてを奪う……ただし人間の立場からしたら最高の和御霊でもあるのよねえ。だってどんな荒御霊も、災いを起こす前にその身へ宿してしまえば消化吸収して無害化できるんだからさあ。代わりに荒御霊からしたら最悪の存在だけど……」
「……」
「これで分かったでしょ? 何で男の子だった初代が戻ってきたら女の子になってたか。ヤライは山の神。山の神は女の神。その性質を奪ったんだから女の子になるのは当然の結果だったってわけ。とはいえ、ヤライにも意地はあったんだよねえ」
「……意地……?」
「初代にすべてを奪われてしまう前に、ヤライは無理やり自分の力を初代から逃がした。それがサバキ。和御霊はとっくに吸い取られて、残った荒御霊の一部を脱出させたものがサバキ。出所が一緒なんだから同一の存在っていうのに間違いは無い。けど絶対に相容れない敵同士なのも本当。ま、こんなことされた相手なんだから当然よねえ♪ ヤライは初代が吸収して今や跡形も無し。その代り、名前と力は代々の八頼が引き継ぐ……予定だったんだけど、ここもヤライの意地だわね。女しか生まれないっていう地味ながら確実に響いてくる呪いを残していったせいで今や八頼は存在そのものが無いに等しくなっちゃったという流れ。これならサバキもいつか八頼を恐れずに済むようになると。どう? 何で今までずっとワタシが表だって八頼を攻めなかったのか分かったでしょ? 何かの間違いで八頼が残ってたりして、吸収されちゃったりしたら笑えないもん。そりゃ慎重すぎるほど慎重にもなるってわけよお♪」
「……とりあえず、納得はできました。話の筋も通ってるし、嘘だとしてもこんな手の込んだ嘘話をする必要も無いし……信じられる話だと思います。僕の置かれた状況を含めると決して良い意味でとはいきませんけど……」
「それでも受け止め方はどうであれ、ワタシを信用して貰えてうれしいわあ♪ あ、ちなみに始めて要チャンの存在を知った時のことは今、思い出しても背筋が凍りつく気分よお……また三千年前の悪夢が再びかと思ってさあ……」
わざとらしく自分の両肩を抱いて震えて見せるサバキを見つつ、どうにも複雑な気分を拭いきれずにいた。
サバキの話を聞き、なおさら自分の立ち位置がよく分からなくなったためである。
もしも自分が八頼に目覚めたとしたら、一体自分はどうなるのか。
八頼というものの正体が思っていた以上に人間離れ……どころか完全に人間を超えているのだと聞かされた今、そうなることに恐怖心すら抱く。
といって、どのみち今はサバキの手の内にある身なのだから、考えなければいけないのはそれ以前の部分。
助け出されるのも怖い。
助けられないのも怖い。
どちらに転ぶとなっても怖いとあっては、混乱する頭の落ち着く理由が無い。
などと、
要が短い思案をしている最中、
「……あーらら……?」
どこかとぼけた調子はそのまま、しかし明らかに暗い底意を滲ます声でサバキがつぶやいた。
「思ってたより随分と早いわねえ……巳咲チャンのあのケガ、治すとなったら一日二日じゃあ済まないはずだけど、かといって栖チャンだけでってことも有り得ない……となると、千華代チャンが荒療治でもしたかなあ……?」
「は……? な、何が、どうかしたんですか?」
「巳咲チャンと栖チャンがこれから助けに来てくれるみたいよ要チャン……」
「えっ……!」
「まったく……相変わらず直接の戦いは他に任せて、千華代チャンは裏でコソコソとやってるわけか……やっぱ、好きになれないわねあのババァ……」
それまでの口調から一転、
千華代の話を始めた途端、やにわに暗く澱んだ悪意をサバキは声に乗せる。
声から伝わる憎悪の念だけで、要が堪えきれないほどの悪寒を感じ、全身を硬直させるほどの悪意を乗せて。
そして、
そんなやり取りの最中、奇妙なものが目に映った。
要とサバキのほぼ中央。何も無い空間。そこに、
歪みが生じる。
最初はごく小さく。それが徐々に肥大し、
もはや要の側からサバキの姿を見ることができなくなったその時、
サバキの低いつぶやきが響いた。
「……要チャン、ワタシが言うのも変な話だけど、もし生きて巳咲チャンたちのところに戻れても、千華代チャンだけは信じちゃダメよ……」
「……それ……どういうこと……ですか?」
「ワタシはサバキ。だから要チャンの敵。巳咲チャンと栖チャンは要チャンの味方。だけど、千華代……あいつは厳密には要チャンの味方じゃない。真実を隠し、都合良く要チャンを利用しようとしてるってことだけは覚えておいてちょうだい……」
「僕を……利用……?」
「要チャンに限らず、自分以外はすべてね……サバキになってからワタシも色々と面白いことが出来るようになったけど、あいつは以前からそういう力を持ってた……人を騙くらかして、八頼である自分の身を守るために同族を犠牲にしてきた……そういうやつなのよ……」
「ま……さか……そんなの……」
突然、にわかに信じ難いことを語り始めたサバキの声を聞きながら、すでに人ひとり分程度の直径に広がった空間の歪みを見つめ、またしても混乱の度を深める要は呻く。
だが、サバキはなおも拡大し続ける歪みを正視し、言葉を継いだ。
「そうねえ……じゃあ要チャン自身も自覚してない話であいつの危なさを教えてあげる。今朝の朝食後、巳咲チャンとお話ししたのは覚えてる?」
「……なっ……?」
「不思議に思うほどのことじゃないわよお。ワタシはサバキなんだから、そのくらい知る力は手に入れてる。それで、巳咲チャンの話、変だと思わなかった?」
「変……て?」
「一度は千華代が何故あんなにも長い時間を生きているのか分からないと言っておきながら、十種神宝の話を始めた時にはその理由を生玉によるものだって話したはず。矛盾してると思わない? 知らないと答えたものを、少ししたら平気で知っていて答えてる。これは巳咲チャンのうっかり? それとも巳咲チャンがウソをついた? 違うわ。巳咲チャンはただ記憶が曖昧にされているだけ。だから部分部分で会話に矛盾が生じる。じゃあその記憶を曖昧にしたのは誰だと思う……?」
そこまで、
言った瞬間。
目の前に広がっていた歪みは、まるで曇りガラスでも割ったように砕け散ると、虚空に開いた穴から突如として現れた栖が、サバキへ目掛け躍りかかる。
鋭く、硬質に変異した槍の如きその右手をサバキの喉笛に目掛けて突き立てんと。
さりながら、
サバキは微笑む。
おぞましく歪んだ口元から、
「八頼……千華代……」
憎悪とも怨嗟ともとれる信じられぬほど呪わしい呼び声とともに。




