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カナメノカナメ  作者: 花街ナズナ
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トコヨトウツシヨ (5)

巳月の姿をして現れたサバキが要を連れ去って後、栖はひとりで片付けるには多すぎる仕事を淡々とこなしていた。


崩壊した拝殿から満身創痍の巳咲を見つけ出し、応急処置を済ませ、報告と祖霊殿から持ち出した品物を届けるため、本殿へと向かう。


内容が内容だけに報告は時間がかかり、すべてを伝え終えた今、外は日が傾き始めている。


「……と、このような次第でございます。最悪の事態として想定こそしていましたが、まさかサバキだけでも手を焼くところに巳月を取り込んでくるとは……恥ずかしながらまだ体の震えが完全には止まりません……」

「なるほど……の。巳月ならばあるいは……と思い、仕掛けた結果が火に油を注いだ形となったわけじゃな。しかし、巳月ほどの者がやすやすとサバキに取り込まれておるとも思えぬが、これは吾がそう思いたいだけなのか、真実そうであるのか……」


栖に答えつつ、千華代は思案げな顔をしてしばらく口を閉じたが、さりとて特に悩んでいるという様子でもない。


これだけ望みの無い状況にあって、なおその表情には恐れや悩みの類が無いことに、栖は理由がどうあれ根拠の無い安心感を得ていた。


少しでも油断すれば取り乱しそうになる自分が、ギリギリで冷静さを失わずに済んでいるのは間違い無く千華代が動じていない事実による。


上が秩序を失わなければ、下も秩序を失わない。

単純だが極めて重要な主従関係の定型と言えるだろう。


「しかしとてつもなく難儀なことになっておるのは確かじゃ。こちらも最後の手立てとして要を八頼に目覚めさせようとしておったものの、その肝心の要を連れ去られてはのう。せっかくそなたに持ってきてもらったこれらも、使う相手がおらぬでは、まさしく宝の持ち腐れ。やはり難しいが要を奪い返す方途を考えるしかないというわけじゃな。ほんに、さすがはサバキと言うべきじゃな。人を追い詰めることにかけては先んじるものがない。まこと、戦いづらいことじゃて……」


言って、千華代は傍らに置かれた壺と束ねられた糸を見た。


本心から言えば、要を八頼に目覚めさせることだけでも運任せ。


そこに加えてサバキによる要の拉致。

力の差が歴然としたサバキから要を取り返し、かつ八頼に目覚めさせる。


無理難題もここまでくると、どこか妙に吹っ切れてしまう。


思うと、千華代は無意識、声も無く笑ってしまった。


と、その時である。


本殿出入り口付近からけたたましい音が響いた。


この音に咄嗟、栖は身構えたが、その後に間も無く続いた乱暴な足音に即座、緊張を解く。

ひどく呆れた顔をしながら。


足音は床板を踏み抜くような音を立てて近づいてくる。

真っ直ぐ、迷い無く千華代の部屋へと。


そして、


足音の正体は部屋に姿を現した。


板戸を蹴破り、砕けて倒れたその板戸を踏みしめながら。


瞬間、栖は強烈な叱責の声を上げようとしたが、


「栖、それにババァ! テメェらまだこんなとこでチンタラ話なんかしてやがったのかっ!」


一歩早く発せられた怒声……言わずもがな、板戸を蹴り開けた張本人、巳咲の怒声で完全にタイミングを逸してしまい、ただ部屋の中に入り込んでくる巳咲を睨むほか無い。


見ればひどい姿である。


着替えとして着せられたらしき白衣に細帯。それ以外の部分は頭のてっぺんから足のつま先まで見事なまでに包帯だらけ。


そんな姿で、巳咲は包帯の間から覗く獣の双眸を千華代に向け、なおも吼えた。


「いい加減にしろよテメェらっ! サバキの奴はもうここに来ちまってんだぞっ! それもあのチビ……要までどっか連れて行きやがって……もう話なんざしてる場合じゃねえ! 一秒でも早くサバキの息の根を止めに行かなきゃ、要がいつ殺されたっておかしくねぇだろがっ!」


直情的ながら、根本的には正論を言っている巳咲に、しかし栖は冷たく言い放つ。


「……巳咲、貴女の不敬については後で山ほど言うことが出来ましたが、それよりまず先に話さなければいけないことが多そうですね。いいですか? 冷静に考えて現在、私たちがサバキとまともに戦うことなど不可能です。確かに要さんは心配ですが、認めるのは悔しいものの私にはひとりであのサバキとやり合う自信はありません。要さんを取り戻すどころかサバキに出会った途端にこちらが殺されて終わり。貴方自身が体験済みでしょう? 今のサバキの強さがどれほどか。畢竟、助けに行く行かないの問題以前なんですよ」

「誰もテメェひとりでサバキんとこに行けなんて言っちゃいねえよっ! アタシも一緒に行くに決まってんだろ!」 

「……両手の肘から下がほとんど無い状態の貴女が、どうサバキと戦うと……?」


この栖の一言には、さすがの巳咲も返す言葉が見つからずに口を閉じる。


言われた通り、巳咲の両手は先のサバキとの接触で無惨に砕け、潰れていた。


腕としての機能を果たせないどころか、腕そのものが無いに等しい状態なのである。


「加えて全身に無数の裂傷。それによる大量出血。さらに骨折箇所に至っては骨折していない場所のほうが少ないほどの重症。普通の人間ならとっくに死んでいます。その体で何が出来ると? 少しは物事の道理を考えなさい」

「……それは……そうだよ。理屈はそうだってくらい、分かってる。けど、今は理屈でどうこうやってられる状況じゃねえだろ! 要が死んじまったらそれこそ理屈どころじゃなくなる。分かっててもやらないわけにいかないことってのがあんだよ! アタシだって正直、万全の態勢だとしてもサバキと真っ向勝負なんかできるなんて思っちゃいねえ……それでも、要を救うにはどんな状態だろうが、とにかく動く以外に方法はねえだろうがっ!」


普段と変わり、巳咲は荒げた声の中に悲痛さを滲ませた。


確かに今この体では立っているのだけでもやっと。

とてもではないが戦えるはずもない。


さりとて時間を置けば時間を置くほど要の生存率は確実に下がってゆく。


理屈と感情。その折り合いをどこでつければいいのかが分からず、巳咲自身も苦悩していたのである。


また、程度の差こそあれ栖もその点では苦悩していた。


時間が無いのは百も承知。とはいえ動ける者が致命的に不足しているのも明らか。


心情では巳咲に同調しつつも、そんな無理をしたところで万にひとつも要を助け出せるとは思えない。


悲しいかな、返す言葉に窮して沈黙する以外、栖には何も出来なかった。


が、そこへ、


「……傷の程度から見て、およそ腕以外は血が目覚めている今なら数日も養生すれば治るであろう。ただ、その腕はそう簡単に治るまい。新たに腕を生やすくらいの気持ちが必要……となると、どんなに早かろうとひと月は見ねばのう。じゃが、現実にはそのような猶予は無い。となれば……」


それまで黙ってふたりの話を聞いていた千華代が急に語り始める。


「そこは吾がどうにかせねばな。かなり荒療治にはなるが、うまくすれば腕も含めて数刻で治せよう。そうなれば要の救出法も目処が立つ。サバキは吾の手の内を知り尽くしておろうから少しく工夫はせねばならぬじゃろうが、ともかく巳咲と栖が動いてくれれば、まだ勝負の行方は分かるまいて」

「あ……ちょっと待てよ? ババァ、それ……って何だ? アタシのケガ、すぐに治す方法とかって、まさかあるのか……?」

「すぐにとは申しておらん。数刻はかかる。ではあるが、日が落ちる前に治すことは出来る。無論、上手くゆけばの話じゃがな」

「なんだよ……そういうのがあるんだったらもっと早く言えよ。ったく、相変わらずババァは隠し事が多くって困るぜ」

「勘違いをするでない。荒療治とも言った。上手くすればとも言った。つまりやるからにはそれなりの覚悟が必要な手立てじゃ。失敗すれば傷が治らんどころかその両腕、生涯動かすこともできなくなるやもしれんぞ?」

「それがどうした? 賭けに元手がいるのは当然だろ? 博打ってのは損するか得するかってだけの単純なことさ。それに、よ……」

「……?」

「もしその賭けに負けたとしても、たかが腕二本無くなるだけだ。しかも一生ったって、要が死んじまったらアタシらだって死ぬのは確定だろ? だとすりゃ大したことでもねえさ。そん時ゃそん時。それに、そうなったとしてもアタシにゃまだ牙がある。この牙でサバキの喉笛を喰いちぎってでも要は助けてみせらあな」


そう言い切り、血の染みた包帯の隙間から笑みを漏らす巳咲を見、千華代は露の間、目を丸くしたと思うや、溜め息をつきつつ微笑むと、落ち着いた口調で答えた。


「とうにどんな覚悟も決めておるというわけか……ならば吾も腹を決めるとしよう。如何なる手を使おうと要は取り戻す。今のサバキがどれほど強大であろうとも……の」


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