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カナメノカナメ  作者: 花街ナズナ
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トコヨトウツシヨ (3)

それはひどく、その場の空気に似つかわしくない声だった。


後ろ側にいるであろう要には見えていないだろうが、石段近くにいる巳咲と栖はその下る先に広がる無数の火炎亡者を目にしている。


参道と同じく、石段も何故だかどこまで下っているのか分からぬほど下へと続き、もはや手先の数は数えることすら馬鹿馬鹿しい数に膨れ上がっていた。


それを知らずとも要などはすでに十分すぎる精神的な圧迫を受けていたのに対し、巳咲と栖はそのプラスアルファである。


肉体以上に精神的な部分……神経がジワジワと削られてゆく息苦しさに晒されつつ、この状況が一体いつまで続くのかという不安も頂点に差し掛かった時、その声は聞こえてきた。


「……飽ーきた……」


奇妙に反響し、どこから聞こえてくるのか判然としないその声は、トーンこそ妙な軽さに変わっていたが、先ほどからふたりが耳にしていたのと同一の声。


聞いて、ふたりが一瞬、緊迫感を崩されて不思議な顔をしたのと同時ぐらいだろうか。


継ぐように二言目が飛んでくる。


「……やっぱり、こういうハッタリみたいなので怖がらせたりっていうのはワタシの趣味にも合わないしなあ……」


そう聞き取れた瞬間だった。


声のトーンが変わり、響いてくるより前から起きていた変化に巳咲と栖が気付いたのは。


ついさっきまで矢継ぎ早に襲い掛かってきていた亡者たちが、ふと急にすべての動きを止めていることに。


だが、

真に急激な変化はそこから始まる。


動きを止めた無数の亡者たちが突然、栖の比喩したように蝋燭でも吹き消したかの如く一斉にその身を包む炎を失った。


途端、周囲は完全な暗闇に覆われ、巳咲や栖ですら辺りの様子を見て取る視力を奪われる。


これだけでもふたりの感じた驚きは大きなものだったが、それすら実はまだ道の途中。


炎の光に慣れてしまっていた目が改めて夜を思わせる暗さへ適応するまで、さしものふたりも数瞬の時間を要した。


と、ようやくに取り戻してきた視力によって見えたもの。


それにまたもふたりは驚く。


すべてが……いや、正確に言うならば夜のような暗さを除くすべてが元に戻っていたのだ。


幾度か瞬きをしている間に。

石段も。参道も。拝殿も。母屋も。辺りを取り囲む森の樹々も。


狂っていた空間の広さ奥行きや、消え去っていたものも以前と変わらぬ位置へと戻っている。


「何……だ? 周りが元に……けど、何で急に?」

「いえ、根本的には何も戻っていませんよ。この暗さ……まだここは常世のままです。それにまた聞こえてきた声……やはり正体は……」


言いながら、巳咲と栖は周囲を見渡して状況を確かめようと動いた。


が、それもほんの刹那で終わる。


ふたり揃い、同じ場所を見て。

硬直した。様々な意味、理由で。


目にしたものを、予測してはいたものの、現実に目の当たりにして。


「正体はー……の、続きはあ?」


声、三度。


ただし、今回はその声の発せられた場所に迷うことは無かった。


はっきりと、その声の主は視線の先にいたために。


「ねえねえ、正体はー……の続きはどしたのお?」


嘲笑するように声の主は続ける。


いる場所は参道。拝殿前。

この事実がなお、巳咲と栖を愕然とさせた。


声の主が立っている場所。

そこが、戦いつつも匂いや気配で要の存在を感じ続けていた場所であること。そして、


その存在するはずの要は姿を消し、代わりに声の主だけがそこへ立っている事実を見て。


とはいえ、

巳咲も栖も、言葉を失ったままでいるわけにもいかなかった。


とうの昔に予想はしていた事実だからといって、素直に飲み込める事実で無いのも確かであったし、覚悟をしていれば驚愕も動揺も抑えられるような生易しい事柄でないのも分かっていたつもりである。


しかし、

問題は予測していた事象に加えて、もうひとつの事象。


要はどこに行ってしまったのか。


これがある以上、ふたりとも絶句などしていられるものではなかった。


「……要さん……要さんは、どこですかっ!」


無理くりに喉から発した栖のその言葉に、人影は何やらつまらなそうな顔をして、ふいと横を向いてしまう。


敵だとするなら、あまりに無防備。


ではあるが、

栖はその様子の中に一片の隙も見出してはいなかった。無論、巳咲も同様に。


というより、何をどうしようが隙など生じるとは到底、思えなかったのである。


目前の事実を考えるならば。


ところが眼前の人影はどこを見るでもなく巳咲と栖から視線を完全に外すと、そぞろに周囲を見渡しながら残念そうな顔をし、


「あーあ、つまんないのお……せっかく気の利いた姿で現れたっていうのに、そっちの心配が先かあ……相変わらず栖チャンってば冗談が通じないからつまんなーい。ねえ? 巳咲チャンもそう思わない?」


答えた。刹那、


知らぬ間に人影の真横へと凄まじい速度で近づいていた巳咲は、相手の問いに被せるかの如く無言で恐るべき破壊力を込めた右拳を人影の横面に打ち込む。


空を裂くその圧力だけで、軽く巨岩ですら粉砕するほどの威力を持つことを知れるその拳を。


それをまともに顔面へ喰らえば、それどころかかすめただけでも確実に首から上が消し飛ばされるのは誰の目にも容易く予測できる結果だった。


少なくとも、それが人の頭なら。


さりながら、


結果を簡潔に言えば、巳咲の拳はまずその目標たる顔にさえ届くことは無かった。


途中で止められたのである。


しかも、


ハエか何かでも払うようなしぐさで無造作に差し上げられた一切、力の感じられない気だるく開かれた手の甲で。


見れば、人影の薬指には朱色の紐が巻いていた。


それも片手ではない。両手の薬指。


その糸の先には栖が胸に掛けている勾玉に酷似したものをぶら下げて。


自身でやったことなのだろうが、両手の自由を大きく奪うこの状態をまったく崩しもせず、人影は力みの無い手の甲……それも半分ほどは開いた指の辺りだけで巳咲の爆弾じみた拳を微風でも遮るように止めている。


だがそれでも、巳咲はなお拳を直進させようとする力を緩めない。

どころか、どんどんと加えている力を増していた。


踏み込んだ右足のつま先は地面へとめり込み、剥き出しにした歯は己で上下の歯を噛み砕かんとしているほどにギリギリと擦り合わされている。


でも拳は前進しない。

わずかに紙一枚の距離さえも。


そんな体勢がしばし続いたところで、またも人影が、


「もーう、相変わらず巳咲チャンてば力み過ぎー♪ 力っていうのは、単に込めればいいってもんじゃないって何度も昔っから教えてきたはずなのに、もう忘れちゃったあ?」


言うのを聞き、巳咲は噛み締めた歯をより噛み締め、ついに歯間から出血を起こしながら鬼のような形相を浮かべ、唸りと怒声を綯い交ぜにして言った。


「……姉貴のツラして……姉貴の声で……姉貴みたいな口、利いてんじゃねえよテメェッ!」

「いやーん♪ 巳咲チャンったら、ワタシやっと帰ってきたのに冷たーい♪」

「黙れっつってんだろうがぁっっ!」


短いやり取り。


そこで最後、巳咲が怒鳴ったのを合図にしてか、


「……はーい、じゃあ冗談はここまでー……」


にやついていた顔を急に真顔へ戻したかと思った途端、


人影はそう言いながら巳咲の拳を防いでいた手を下げる。


するとどうしたものか。

人影の手が下ろされるのに釣られるようにして、巳咲の拳も下ろされた。


ただ事情は大きく異なる。


こちらは全力で直進させていた力をいきなり下向きに方向を捻じ曲げられたせいで、ほぼ直角で人影を逸れ、足元の地面を殴りつけていた。


同時、爆発が起きる。


いや。それを厳密に爆発と言ってよいのかは分からない。


ではあるが、巳咲の放った拳に込められていた威力が爆発に等しい現象を起こしたのは間違いではない。


一瞬にしてその場のふたりを爆散したとしか見えない大量の土と煙なのか埃なのか判別できない何かに包まれた。


そして、

その一部始終を栖は一歩も動くことなく、それなりの冷静さをもって見ていたが、所詮はそれなりのである。


だとしても無いよりは良い。


少なくとも自制して対応できるだけの冷静さがあることは。


だから栖は爆発の余波が収まるのも待たず、すぐに口を開いた。


どこへ向けてかは栖自身も分からなかったが、何に対してかは分かっている。

今はそれで十分だった。


「……その姿……予想はしていたことではありますが、やはり実際に見ると信じたくない気持ちが先行して迷いが生じますね……さて、正直に答えてくれるとは思っていませんが、かといって聞かずにいられるほど私も気が大きくはありません。とりあえず、聞かせていただきましょう。お前は……」


そこまで言い、露の間の躊躇を挟むと、


「……サバキ……ですか?」


そう栖は問う。


と、即座。


背後の、少し高い位置から答えは返ってきた。


「うーん……そこは受け取り方によって変わってくるから難しい質問だなあ。別に煙に巻くわけじゃないけど、今のワタシはサバキでもあり……巳月でもある。ということは、巳月でもありサバキでもある。こういう答えじゃあ、栖チャンはご不満?」

「……不満というより、納得するのが困難というべきですね。確かにものの見方によって答えは変化するでしょうが……」

「流れ自体は単純なのよお。死んだ巳月をサバキが取り込んだものが今のワタシ。でも巳月が死んだのは間違い無いから、ワタシが巳月かっていうとそうは言えない。けど、単にサバキかって言ったらこれもはっきりとは言い切れない。我ながらよく分かんないものになっちゃったと思うわあ」


嘆息するような口調で言いつつ、巳月……の姿をしたサバキは鳥居の上に立っていやらしく笑っている。

挿絵(By みてみん)

耳は形と位置を変え、眼もすでに人のものではない。


どちらも、もはや獣のそれ。


着崩された白衣と、ほとんど解けた帯が風も無い中、不気味になびく。


「だとしても……どういった形にせよサバキであることに変わりは無いわけでしょう。ならば改めて……サバキ、要さんをどこへ隠したんですか……?」


ゆっくり、会話を続けつつ振り返って鳥居の上で揺らめくように存在するサバキへ向かい直した栖が再び問うた。


「まあ、そりゃあそこが一番の気掛かりよねえ。何たって八頼家守護が火伏、犬神、狗牙の使命なわけだし。ていうかあ……もう使命なんて軽ーいレベルは超えてるのかなあ? だって要チャンが死んじゃったら、さすがにもう八頼の血筋は最後だろうしさあ……」


明らかに悩ましげなふりをしながら答えるサバキの言葉が途切れるか途切れないか、


その時である。


かなり静まってきた爆発の後から、まだ舞い上がっている土埃を突っ切るようにして、巳咲がやにわに飛び出してきた。


瞬きする暇も無い速さで。


爆発の影響か、身に付けている服は右半身の部分が原形を留めず引き裂けている。


加えて、先ほど放った右の拳は二の腕に至るまで骨も肉も爆ぜ砕け、腕の形すらしていない。


その右腕が撒き散らす多量の鮮血に染められ、服を失った右半身は全体が赤く染まっていた。


まるで半身だけ、朱色の衣をまとったように。


だが右腕は皮一枚で体に付いているだけに過ぎない。見た目には粗い挽肉の様である。


そんな状態で巳咲は残る左手を振り上げ、栖を俯瞰していたサバキへと飛び掛かった。


今回もその拳が狙うのはサバキの頭。


さらに煙中から一瞬のうちにサバキへ襲い掛かった巳咲の姿もまた、サバキと同じような変化を起こしている。


耳も目も獣と化し、完全に理性を失った顔は純粋な怒りの表情だけを表して稲妻の如くサバキへ突進していた。


が、転瞬、


サバキに肉迫したと見えた巳咲は途端、その場から姿を消す。


その一弾指、


拝殿が突然、吹き飛んだ。


何故なのかを考える必要は少なくとも栖には無かった。

何があったか分からない。


何も見えなかったし、見えも聞こえも嗅ぎ付けることもできなかったが、巳咲がサバキに挑んだという時点で、何が起きるのかを察するのはあまりに簡単すぎた。


これがもし巳咲が巳月に挑んでいたとしても、起きる結果は同じだったはずである。


いや、


巳月であったなら、拝殿の崩壊は免れていただろうか。


彼女もまた無茶な性質をしてはいたが、これほど配慮に欠ける行動をする人間ではなかった。


妹である巳咲への手加減の意味も含めて。


つまり姿こそ確認出来ないが、巳咲が瓦礫と化した拝殿に埋もれたことだけは分かる。


雨のように降り注ぐ、ついさっきまで拝殿を構成していた木材が微塵となったものの中で。


「ふう……様子からして巳咲チャン、掛け値無しの本気だったと思うんだけど、やっぱり力の差って残酷ねえ。もう少し抵抗があってもいいと思ったけど、そよ風に吹かれたみたいにしか感じられなかった……とりあえずワタシなりに手加減はしたから死んじゃったりはしてないと思うけど、重症だろうなあ。血が目覚めてたみたいだから回復は早いだろうっていうのが不幸中の幸い……だといいんだけどねえ?」


鳥居の上で首を傾げつつ、本気なのか、それともそういうように見せているだけなのか、サバキは心配そうな表情を浮かべて茶褐色の煙に隠れた拝殿のあった場所を見つめていたが、そんなことは気にもかけず、先刻から様子見に徹していた栖が再び口を開いた。


「……巳咲は殺しても死ぬようなタイプではありませんからね……けど今、お前が追撃すれば確実に殺せるでしょう。何故、追い打ちをかけないんです? というより、そもそも手加減などと無駄なことを何故するんですか?」


気を抜けば震えそうになる自分の唇を歯痒そうに理性で押し止めながら言った栖の言葉は、半分は当て付け。半分は諦めによるものだったが、サバキの返事はそのどちらの意図にも関心無く発せられる。


「変なことを言うなあ栖チャンたら。ワタシはサバキだよ? ヤライと違って直接に殺したりするなんて、よっぽとじゃなきゃやらないはずないでしょ? それともまさか栖チャン、サバキがどういうものだか知らないなんて言わないよねえ」


これを聞いても、栖は何も答えなかった。


無言で、ただサバキを見つめる。

視線に深い憎悪を乗せて。


「……その感じだと知らないってことはないか……だとしたら、要チャンもすぐには死なないよ。一応は、だけどさあ……」

「けど、遅かれ早かれ殺すのに変わりは無いんでしょう……それとも時間を置くことで私たちを嬲るつもりですか?」

「言い方にいちいち毒があるねえ。気持ちは分かるけど……ま、強いて言うなら希望が最後まで残ってないと絶望の度合いが低くなるでしょ? そゆことよ」

「……やはり嬲るつもりですか……」

「そういう頭から決めつけた考えってよくないと思うなあ。とにかく、今はまだ要チャンは生きてる。助けたかったら考えるより実行! 方法は千華代チャンが知ってるだろうし、問題は無理だって分かってることに挑めるほど栖チャンや巳咲チャンが精神的にタフかどうかによるけどねえ」

「……火中の栗を拾いに来いと?」

「相変わらず栖チャンはミもフタも無いなあ。でも当たってるから否定もしないよ。でも決断するなら急いだほうがいいと思うのは確かだねえ。あ、決して無理強いじゃないけどさあ」

「……」

「じゃ、ひとまずワタシはこれにて退散しよっか。要チャンをひとりぼっちにしておくのはかわいそうだしねえ……てわけで、栖チャンと巳咲チャンがリベンジに来るのを楽しみにしてるから、出来るだけ早く来てねー♪」

「……」


途中から無言になった栖の心中を覗き見るように勝手を言い残したサバキが、その姿を薄れる霧の如く消し去ったのはそのすぐ後のことだった。


サバキの姿が消えるのと一緒に周辺の様相が平生へと戻り、常世は現世へ。


今度は逆に夜の闇が一転、晴れ渡った明るい空に太陽が覗く。


されども、


雲も無く晴れた空と正反対に、心が暗く曇りきった栖は窮まった己が立場に思わず叫声のひとつも上げそうになったが、必死に理性を振り絞ると、まだ視界の定かでない拝殿跡の瓦礫の中に巳咲の影を探し始めた。


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