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カナメノカナメ  作者: 花街ナズナ
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クガトヒブセトイヌガミ (9)

栖が朝食後の片付けを終え、その足で祖霊殿に向かったのは、ちょうど要と巳咲が長話を始めた頃だった。


ちなみに、

祖霊殿とは通常、神社における葬儀や納骨をおこなう場所を指す。


以前に記述した内容と食い違って感じるかもしれないが、当然これには理由がある。


現代の神社などでは古式に則り、穢れを社に持ち込むのはけしからぬというだけで経営をしているところは少ない。


そこで営利目的に祖霊殿を大きく造って、葬儀などが執り行えるようにしている社も悲しいことだが、かなり多い。


現実問題、いくら神に使える身とはいえ仙人のように霞を食べて生きるわけにもいかない。


さらに食うには困らずとも、十人並みの欲求は出てしまうものだ。

食うのに困らなくなれば、次はまた別の欲求が出てくる。


人の欲望に際限が無い以上、こうしたこともある程度は仕方なしと捉えるべきなのだろう。


ただし、述べた通りこれは現代の一般的神社における話。

神社本庁にも存在を認められていない八頼の社などとは無縁の話。


ゆえに祖霊殿も本来の目的に使われるだけのため、極めて小さく簡素である。


仏閣の建物に喩えるなら、祖霊殿は納骨堂に近いが、少しばかりニュアンスが違う。


その社に所縁の深い人間……分かりやすいところならその社の神主や家族、親戚など。


生前に社への貢献が大きかった氏子も特別に入れる場合もあるが、これもよほどでなければ例外は有り得ない。


また、納骨するに際してもルールは細かい。


これも前述したが、死は穢れである。


よって死後の遺体、遺骨は念入りに清めをおこない、本殿から遠く離れて建てられた祖霊殿に安置するのだが、それでも扱いは細心の注意を必要とする。


しかしながら、

八頼の祖霊殿はそれらともまた異なっていた。


まず、遺骨は置いていない。これは八頼に所縁の人間も含めて。


建坪6坪も無い狭い建物内はさらに狭く、4畳ほどの広さの内部は奥に粗末な神棚らしきものがあるだけで他には一切、何も無い。


いや、細かい言い方をするならその神棚にだけ、わずかにあるもの以外には何も無い。


それも普通の神棚に置かれているものとは明らかに異質である。


よく見られる神棚に祀られているのは御神札おふだや神鏡などだが、ここに祀られているのは古く小さな陶器の壺と、巻かれた長く太い朱色の糸。


というより、もっと確かな言い方をするなら、これらは祀られているのとは多少、意味合いが違う。


何故ならこれは神棚ではない。

正式な呼び名は祖霊舎みたまやという。


仏具で言うなら仏壇に相当するが、だとしてもひどく粗末なことに変わり無いものの、それらを扱う栖の丁重さは尋常のものではなかった。


油紙と細縄で口を閉じられた赤茶色の壺を取る際も、紡いだ形跡がまるで見られない不思議な朱色の糸を取る際も、常に何やら祝詞のりとを口ずさみながら一連の動作としてそのふたつを祖霊舎から持ち出し、それぞれ壺と糸に八礼して祖霊殿を後にする。


余談だが、

一般に神社への参拝方法に関して二礼二拍手一拝などが正式とまことしやかに言われているものの、古くはこのような決まりごとは存在しなかった。


礼も拍手も拝も、各々が好きな回数をすればよいものであったが、戦後のGHQによる神道への介入によって形式化が進み、現在のように有りもしない決まりごとが、さも有るかのように伝わり、まかり通っているのである。


さておき、

何事も無く千華代から言いつけられていた用も済ませ、その足で本殿へと向かおうと栖は踵を返した。


どことなく、重苦しい表情を浮かべて。


千華代の判断は正しい。そこは分かっている。

もう他に手立てなど無いことは十分すぎるほど分かっている。


だがそれにも関わらず、栖は千華代の指図に不安を感じていた。


ここで明確にしておかなければいけないのは、栖が抱いたのは不安であって不満ではない点である。


それは漠然と、ひどく漠然とした不安。

不安と表現するより違和感に近い。もしくは違和感が原因で導き出される不安だろうか。


ともかく、千華代が正しいのを理解しているのに、何故かそこに不安が生じてしまう。


つまり、どこかがずれているということなのか。


栖の生まれた犬神の家は他家の者に比べて勘が鋭い。その勘が訴えてくるのである。


何か、形容し難い感覚的なそれは、あまりにも感覚的すぎるがゆえに自分以外の他者へ伝達することがやたらと難しかった。


だからといって、無視するにはその不安も違和感も強すぎる。

どうにも致命的な匂いがするのだ。その違和感からは。


ならばこそ、何とかしてこの感覚を説明可能な領域に持っていきたいが、勘でしかない事実はその可能性をどこまでも否定する。


結局、推測する材料の少ない立場での勘など、どれほど精度が高かろうとも役には立たない。


思い、自覚とともに栖は千華代と同じ諦めの心理へと自分が早く到達できるよう願いながら、手にした壺と糸を強く身に引きつけると、祖霊殿を一歩、外に出た。


途端、


「栖!」


予想外の声が祖霊殿を出たばかりの栖を打つ。


巳咲の声である。


しかもひどく慌てた声。


加えるなら、その声からは不安、焦燥、恐怖……ふと考えつく範囲の負の感情すべてが込められていた。


当然、そんな声を掛けられたのでは栖も顔を向けざるを得ない。心配だとか、そういった綺麗ごとの感情でではない。純粋に気掛かりなために。


ところが、


声のしたほうへ振り返った栖は、目にした巳咲の様子を見て振り返ったことを心底後悔した。


巳咲の姿はちょうど母屋の出入り口の付近にある。思うにそこから飛び出してきたのだろう。

額から頬にかけ、明らかにただの汗とは違う汗が光っている。


冷汗か。それとも脂汗か。


重ねて、厳しい顔つきをしているものの、遠目にもはっきりとその狼狽が表情に現れていた。


いくら表情は取り繕えても、震えて歯の根が合わなくなっていることまでは隠せない。


逆に言うなら今、巳咲は歯を鳴らすほどの恐怖に晒されているともいえる。


と、今度はその巳咲の影から、


「……あの、何かありましたか……?」


見るからに何が起きているか分からないといった感じで、要が困惑した顔と声を漏らした。


すると、


「バカヤロウッ!」


ものすごい剣幕の怒鳴り声がそんな要に浴びせられる。


「あんだけ付いてくんなって言っといたろうがテメェッ! 人の言うこと聞いてねぇのかこのスカタンッ!」

「だ、だって……狗牙さん、いきなり立ち上がったと思ったら、ものすごい勢いで外に出ていっちゃうもんだから、どうしたのかと思って心配して……」

「テメェは心配される側であって心配する側じゃねぇって、いい加減に覚えろよっ!」


緊張感を崩す低レベルな口論を聞きつつ、しかし栖は緊張を解くことなく巳咲へ問うた。


「……何がありました? 巳咲……」


強いて冷静な声を出したつもりだったが、栖もまた自分の声に不自然な抑揚がつくのを聞く。


とはいえ、こればかりは必然としか言えなかった。

すでにこの時点で、栖も異変に気付いていたのだ。


巳咲が、本能的にも感覚的にも掴んでいた異変を。


それゆえに、その問いは問いというよりも確認であった。

自分が今、感じていることが自分だけのものでないと知るための。


「……ついさっきだよ。このチビと話してたのを一旦、終えてぼんやりしてたら、とんでもなくヤバい匂いがしてきたんで、急いで外に出てきたんだ」

「匂い……というと?」

「もうすぐアタシでなくても感じられるようになる……どんどん近づいてきてるからな。栖、テメェも匂いでは気づいてなくても、勘は働いてたんじゃねえのか?」

「……まあ、多少は……」

「多少ね……けど、もうその勘も必要無しだ。来るぞ……ものすげえヤバい匂い……吐気がするほどのやつがよ……」

「私も……悪い予感が強烈にしてきました。これは……本当にまずいかも……」


ふたり揃い、どこか無理をして口調をなだめながら話す巳咲と栖の話を聞きつつ、要はなおも何が起きているのか、何が起きようとしているのかが分からず、また怒鳴られることも覚悟で巳咲に問いかけようと口を開く。


が、瞬間、


要は両手で自分の口を押さえた。


押さえてすぐ、手を鼻全体を塞ぐようにし、口だけわずかに開くと、


「……この……匂い……」

「へえ……テメェでも分かるか。そりゃそうかもな……ここまで近づかれりゃあ……」


変わらず無理に平静を装った調子の巳咲に、要は身をくの字に折りそうになりながらも、どうにか言葉を発する。


「何の……匂いですかこれ……まるで、掘り返した土か、泥に……」

「腐った血やら肉でも混ぜたみたいな匂い……か?」


自分で言わんとしていたことだったが、先回りして巳咲に言われ、要は臭気から連想するイメージが生み出す絶えがたい吐気に思わず、えずいた。


胃が中身を逆流させようと跳ねる。鼻についた生臭さが頭の中を満たす。目に涙が溜まる。


そうした要の様子に関係無く、巳咲と栖のふたりはまったく同じ方向を見ていた。


匂いに限らず、勘に限らず、その他の何かしらに限らず、ふたりはその異変がどこから迫ってきているのか共通して気づき、ある一点を見つめて固まる。


八束の石段。その最上段を。


「来るぞ……栖、チビ、気ぃ引き締めな。つーか、それよりテメェらふたりは足手まといだから早いとこ逃げてくれたほうが、アタシは助かるかもしれねえんだけどよ……」


言いながらも、巳咲は鮮やかな朱色の大鳥居の下から覗く石段へ恐怖とも興奮ともつかない視線を向け、顎まで滴った汗を拭いつつ、荒く乱れた呼吸を必死に整えていた。


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