クガトヒブセトイヌガミ (5)
食事を終え、
「ごっつぉーさん」
「……ごちそうさまでした」
これも巳咲の後へ続いて要が言うと、
「お粗末様でした」
そう返して、栖は大きな丸盆へ空になった器を次々に載せると、これも空になったおひつの上へ味噌汁の入っていた鍋を載せ、それぞれ片手ずつに持つや茶の間を出ていった。
非常の怪力というまでではないが、各種の器が載った盆も、中身が空とはいえ、おひつに重ねた鍋の重さは決して軽くは無い。
少なくとも一般的な女性の細腕で持てる重量は軽く超えている。
しかし栖は眉ひとつとて動かさずそれらを持ち去ってしまった。
やはり巳咲に限らず、自分の親戚らしき三家とやらの人々は総じて大力とみえる。
などと、食後の倦怠と法悦に酔いながら要がどうということもない考えをしていると、
「ほれ」
急に横から声を掛けてきた巳咲に驚いて振り返ると、何やら指でつまんでいるものを自分に勧めてきた。
「メシの後にこれが無いとスッキリしねえだろ?」
言葉を続ける巳咲を見ると、何かを口に咥えている。
視線を戻し、勧められていた巳咲の指先のものを見直してみれば、それは咥えているものと同じものだった。
別に何というものではない。爪楊枝だ。
この土地に来てからこっち、慣れないことや知らないことに面喰う場合が多かったが、これは馴染みの文化だから戸惑う理由も無い。
「あ……ありがとうございます……」
ここで遠慮をするのも無意味だと思い、要は素直に楊枝を受け取り、ぱくりと口に咥える。
と、瞬間、要は良い意味で少なからず驚きを感じた。
受け取った楊枝は普段、自分が使っているものと比べてひと回りほど太く、角ばった独特の形をしていたのだが、何より特徴的だったのはそんなことではない。
素晴らしく香りが良いのだ。
咥える前から少しは感じていたものの、いざ口に含むと直接にその香気が口から鼻を見たし、何とも言えず清涼な感覚を与えてくれる。
「その様子だと気に入ったみたいだな。この楊枝は山椒の樹を削って作ったもんだよ。口ん中がサッパリして気持ちいいだろ」
満足げな顔をして問うてくる巳咲へ、要は素直にうなずいた。
確かにこれは良い。
食後の雑として残った味や匂いが違和感無く解きほぐされてゆく。
「んで、そこにこいつを流し込んだら一丁上がりだ」
まだ咥えた楊枝の風味に感動している要に、なお巳咲は畳み掛ける。
いつの間にか引き寄せていた要の湯飲みへ、土瓶の番茶を乱暴に注ぎ入れると、これをずいと要に押し付けるように渡してきた。
「楊枝は取らねえで口の端に咥えたまんま、茶を飲んでみな」
言われるまま、要は受け取った湯飲みを口に運ぶと、中の番茶をごくりと飲む。
土瓶に入った大量の番茶はとうに冷めており、ほどよくぬるまっていたため、啜って飲む必要は無かった。そして、
思わず要は快哉に少しく身をよじる。
今までにも、(美味しい)と感じた食事は幾度もあったが、(美味しかった)とここまで強烈に感じた経験は、要には無かったのだ。
食事の味を邪魔しないよう、薄く入れられた番茶に山椒の楊枝から染み出す爽快な香りと風味が加わって、乱雑な口内の感覚を清々しく整頓してゆく。
そんな、要の様子がよっぽどに面白かったのか、巳咲は両手を支柱に背を後ろへ反らせながら笑った。
それまでに聞いた下品で耳障りな笑いではない。
こう言っては巳咲に失礼だが、彼女らしからぬ心地良い鈴の音を思わせる軽やかな声で。
そして再び口を開き、
「その顔を見りゃあ満足したのは聞かなくっても分からあな。いや、勧めて良かったぜ」
言うと、また笑った。
その姿を見ながら、要はふと落ち着いたせいもあって巳咲を冷静に観察する。
考えてみれば、こうしてまじまじと見るのは始めてかもしれない。
だからだろうか。発見も多かった。
第一印象だけが原因ではないが、どこかで巳咲を単にガサツでデカくておっかない存在としてしか認識していなかった節はある。
だがこうして冷静に見てみると、つまりは体格が良くて大雑把な性格というだけで、腹は単純というか純粋というか、良し悪しはともかく裏表が無いのだと分かると、はるかに関わり方が容易であるように感じられた。
それゆえ要は少しだけ意を決し、この豪放磊落が服を着て歩いているような存在とのコミュニケーションを試みようと声を発する。
無論、それは自分の知らない事柄を聞き出そうという下心あってのことだったが。
「あ……あの、狗牙さん……?」
「あん?」
「え、と……実は昨日、火伏とかって子と犬神さんにいろいろ話は聞いたんですが、どうもまだよく分からないことが多くって……」
「分からないことねえ……ま、あいつらは自分たちで勝手にいろいろ知ってる分、人に説明すんのがヘタクソなのは知ってるけどよ」
「それで僕、未だに自分が何でここに呼ばれたのかが分からないんですけど、狗牙さんはそれについて何か知っていることってありますか?」
「……は?」
自分と同じく、食後の心地良い倦怠に身を任せていた巳咲が、この言葉を聞いて急に怪訝な顔をして要のほうを見た。
一瞬、何かまずいことでも聞いてしまったのかと要は身構えたが、即座に返された巳咲の言葉がすぐにその心配を単なる誤解だと教えてくれた。
「テメェ……そんなんも知らないって、それ……まさかほんとにまだ何にも聞かされてねえってのか……?」
そう話す巳咲の表情は険しい。
が、同時にそれが不快感からではなく、何かひどく呆れた感情からのものだというのも、今の要には落ち着いて確認することが出来たのである。
すると巳咲は止めていた息を吐くように大きな嘆息を目いっぱい肺から押し出し、
「……たくっ、普段は人に家格だの常識だの口うるさく言ってるくせしやがって、こんな簡単ないきさつも説明できねえとか……そりゃ八頼がどうの以前に滅んじまっても不思議じゃねえぞあのオタンコナスども……」
今度は表情にも口調にも険しさへ加え、怒りすら滲ませて言った。
ただし、その対象は明らかに自分ではなく、千華代と栖に対するものであったのは要にとって何よりであったのもまた間違いではない。
重ねて、
「……いいさ。どうせいつだってなんだかんだと尻拭いをするのはアタシら下っ端の仕事だからな。そう思やあ、テメェも被害者ってわけだ。立場は違うが、おんなじ不遇の身同士、情けで説明してやるよ」
わずかの間に驚き、呆れ、怒り、最後は憐れむような顔をして巳咲は語る。
要としては願ったり叶ったりの展開。
これまで蓄積してきたモヤモヤがようやっと解消されるのだと、内心で小躍りしそうな喜びすら感じていた。
さりながら、
要はまだ知らない。
自身の立場を。
自身の窮地を。
自身の不幸を。
「じゃ、始めるとするか……だが、覚悟はしておけよチビ。言っとくがこの話を聞いたところでテメェの身の不運は変わらねえ。どう転んだって損な役回りになるアタシの家とおんなじなのさ。ま、せいぜい自分の生まれを呪いながら聞きな」
そう切り出して、ゆっくりと要に身を向けて話を始めた巳咲の顔には、やはりどこかしら憐みを帯びた表情が浮かんでいた。




