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カナメノカナメ  作者: 花街ナズナ
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クガトヒブセトイヌガミ (4)

「面倒な話なのでわざわざしませんでしたが、そもそも要さんは根本的な勘違いをされているんですよ」


そう言って話を続ける栖の言葉に耳を傾けつつ、要は口に運ぶ箸を止めずにいる。


先ほどの寝床でのちょっとした騒動からまだ10分と経過していないにも関わらず、ふたりはすでに茶の間へと移動して、大きな座卓を挟み、向き合った状態で栖は要へ昨日は話しきれなかった細かな説明をし、要はそれをオカズに……ではないが、手に持った茶碗の中で湯気を立てている銀色に輝く真っ白な米を掻き込んでいた。


今朝、起きてから受けた昨日の分と今日の分のショックは決して小さなものではなかったが、そこは要の特徴である(精神的に打たれ弱いが、回復力が異常に高い)という性質のおかげで今はもう茶の間で用意された朝食にありついている。


畳を縦長にふたつ繋いだほどの大きさがある座卓の上には、ひどく空腹であることを差し引いて余りあるほど、食欲をそそる料理の数々が並ぶ。


茶碗に盛られた熱々の白米。

賽の目に切られた絹ごし豆腐と千切りにした厚手の油揚げを主にし、そこへ小口切りの長ネギがたっぷりと乗った味噌汁。

みじん切りの大根の葉と、ささがきゴボウをごま油で炒めたもの。

里芋と大根の煮物は香ばしい醤油の香りに合わせて濃く色付いている。

脂の乗ったアジの開きはまだ焼き立てで、パチパチと脂を爆ぜ、小鉢には新鮮な生卵。小皿に盛られた海苔の佃煮。


要は内心、こんな小さな茶碗で食べていたのでは一体、何度おかわりをしなければいけないのかと不安になった。


が、そんなことを不安に思っている場合でもない。


自分の横では巳咲が飢えた獣のような勢いで座卓の上にあるものを片っ端から口へ放り込んでいる。


考える暇があるなら自分も早く食事を胃に詰め込まないとまずい。


巳咲の食い気は明らかに自分より上だ。

時間を置いていたら自分の食べる分すら横取りされかねない。


思って、要は急いて食を進めていたのである。


無論、栖の話も聞き流すわけにはいかなかったので、頭も体も大忙しだったが。


「一般的な神社は朝廷より神階社格を受け、現在では神社本庁がその管理管轄をしています。ですがこの八頼神社は神社本庁の神社明細帳には記載されていません。言わば存在を認められていない非公認の社なんです」

「……」


口に物が入ったままだったので返事こそしなかったものの、要は首を縦に振って理解した旨を伝えた。


それを見て、栖はどうやら要が話だけは聞いていると察し、言葉を続ける。


「普通の神社ですと、神主かんぬし宮司ぐうじ禰宜ねぎなどの神職が存在しますが、八頼の社には巫覡ふげき以外の神職は存在しません。ただし通常の神社では巫覡を神職としては扱いませんが……」

「……ふげき……?」


聞き慣れない名前や言葉が多い中、特に聞き馴染の無い呼び名へ反応して要は咀嚼途中の里芋を無理に飲み込むと、栖へ問う。


「巫覡とは、古くは神に仕えて神事や祈祷、神降し(かんおろし)をおこなった……言うなれば現在の神職者と巫女を合わせたようなものですね。今は神職すら分業化しているんですよ。まったく、こんなところまで俗化しているというか、同じ神に使える身としては嘆かわしくもありますが……まあそうしたことはさておき、ちなみに巫覡の巫はよく知られる巫女のこと。特に区別して女巫子おんなみことも呼んだりします。対して覡は男の巫子を指す名。このように古代、巫女は女性に限らず男性も存在していたわけです」

「……」


聞きながら、やはり要は口の中の物を気にしてうなずくだけに止めた。


えらく専門用語が多いが、冷静になって聞けばそれほど難しい話でもない。


そう考えると、ふと昨晩、千華代が言った「先入観に囚われぬ程度の知識に抑えて……」云々と言った言葉の意味も納得できる。


下手に知っていると、かえって知識の上書きが手間だということなのだろう。


さても人が何かを知り、学ぶのはとかく苦労だなと要は一瞬だけ思いもしたが、


「おかわり!」


大声でそう言いながら栖へ茶碗を差し出す巳咲に反応し、要も急いで残った味噌汁を具ごとに飲み干すと、


「あっ、ぼ、僕も……お願いします」


こちらは味噌汁の木椀を差し出した。


巳咲はすでに五杯は飯をおかわりしているが、その勢いは衰える様子も無い。

だが、要にとってこれは有り難くもあった。


親戚とはいえ、人様の家でおかわりをするのには勇気が要る。


さりとて昨日はほとんど何も飲み食いせずに一日を終えた。

生死に直結した本能的欲求である食欲というものはそう簡単には御し得ない。


そこで巳咲がおかわりをするのに合わせて自分もおかわりをしている。


いくばくかではあるが、これだけでもかなり気持ちの負担が軽い。いや、相当に軽い。


自分だけではないという思いが有るのと無いのとでは天と地ほどに違う。


そんな要の心情を知ってか知らずか、栖は黙って要と巳咲の椀を受け取り、まずは茶碗へおひつから飯をよそいつつ、再び話を進めた。


「ですので、要さんがその姿を気にする理由は何も無いんですよ。八頼の社では他の社と違って神職や服装を男女で区別をしません。少なくともこの土地では誰もその姿をおかしいなどと思いませんから、安心してください」


ここまで説明され、ようやっと胸のつかえが取れたような心持になった要は、ひと息つくようにしてほどよく冷めた番茶を湯飲みから一気に飲み干す。


得心がいって落ち着いたせいか、何だか余計に喉の渇きや腹の減りを強く感じる。


飯をこんもりと盛った茶碗を巳咲に渡したのと入れ違いに、今度は要の味噌汁が入った木椀が栖から手渡された。


と、急に、


「ところで、料理の味は如何です? お口に合っていますか?」


言われたもので少しく要も慌てたが、すぐに、


「え、あ、はい、美味しいです!」


妙な断言口調で返答する。


「それは良かった。要さんは都会育ちですから、お口に合わなかったらどうしようかと心配していましたので」

「そんな……ほんとに、すごく美味しいです。犬神さんって料理上手なんですね……」

「お世辞を言っても何も出ませんよ」


この会話の流れで照れでもすれば少しは可愛げも出るのだろうが、どうやら栖にはそういった性質が元来欠如しているらしく、まるで聞き流すように受け答えた。


そこへ、


「栖はな、性根が腐って生まれた代わりに家事全般が得意なんだよ。ま、短所があんまりひどすぎて長所が目立たねぇけどさ」


鼻から笑いを漏らしつつ、アジの開きを骨も取らずに頭の先からボリボリと食べながら、巳咲は意地の悪い物言いをする。


ところがすかさず、


「まあ、短所しか持たずに生まれた誰かと比べればはるかに幸せです。少なくとも存在意義がある分は……ね」


表情ひとつ変えずに栖が言い返した。

途端、空気が剣呑になる。


巳咲は先ほどの笑みはどこへやら、睨み殺さんばかりの目つきで栖を見据えた。

昨日、本殿へ向かう最中でのふたりの口論を思い出し、要はまたあれが始まるのかと、嘆息を漏らしかける。


「へええ……アタシはそんなやつ見たことも聞いたことも無ぇけど、テメエはアタシより人付き合いが広いみてえだな。今度、機会があったら合わせてほしいもんだ」

「案外、近くにいるかもしれませんよ。そう、信じられないほど身近になんてことも案外よくある話ですし、鏡を見た拍子にばったり出会うかも……」


息が苦しくなるほど重たくなってゆく空気の中、要は出来るだけ早くこの殺伐としたやり取りが終わってくれるのを願っていたが、その刹那、


「要さん、お茶碗が空のようですけどまだお食べになりますか? 遠慮はいりませんよ」


またもや突然、栖に声を掛けられて要は咄嗟、断ろうと口を開いたのだが、


「……お願いします……」


理性よりも欲望が声になって出てしまった。


げに恐ろしきは人の欲と、無意識に空の茶碗を差し出している自分を見て、要は思わず視線を落とす。


すると、


「ああ、それと要さん。話が途中でしたので少し補足をさせていただきますが」

「……え?」


いきなりの話題再開に要が思わず疑問の声を上げた時には、もう受け取った茶碗に栖は飯をよそっていたが、口も手も動かすのを止めない。


「今後のこともありますし、貴方の名が持つ本当の意味をお教えしておこうかと思います」

「本当の……名前の、意味……?」


なお濃くなる疑問を声に出す要を置き去りに、栖は飯を盛った茶碗を返しつつ、


「要という字はあくまで通りの良い字を当てただけ。本来、当てられる字は火の男女と書いて火男女かなめです」


言ったが、要はその意味をまるで理解出来ず、呆けた様子でただ栖を見つめていると、


「サバキは火と死を御する神ですが、ヤライは火と生を御する神。そのヤライを身に宿すことが出来る八頼の巫覡であることを表す名。それが貴方の名が持つ真の意味なんですよ」


言い切り、栖はぼんやりとしたままの要の前へ、優しく茶碗を置いた。


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