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カナメノカナメ  作者: 花街ナズナ
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クガトヒブセトイヌガミ (2)

夜も更け、もうすぐ日付も変わろうかという時刻。

諸々の用事を済ませた栖は再び本殿を訪れ、千華代に細々とした報告をおこなっていた。


「氏子の方々は無事に下山されました。サバキについては手先を巳咲が滅したものの、要さんの存在を確認されたのは間違い無いでしょう。となれば、もうこちらへ攻めてくるのは時間の問題かと……」

「それは始めから予測しておったことじゃからな。今さら懸念する必要も無かろう。それより氏子の人々はこれでしばらく安全じゃ。まずは良しといったところかの」

「はい、要さんの存在がサバキに知られた以上、奴は何より優先して要さんを狙うはず。そう考えれば我々の懸念は要さんをどう守るかだけ。集中して事に当たれるのは望ましくはありますが……ただ、どこまで持ち堪えることができるか……如何にこの地が八頼の神奈備かむなびとはいえ、相手はサバキ。こんなことを申し上げるのは甚だ情けないことながら、多少の時間を稼ぐのがせいぜい。とても勝てる算段が立ちません……」


冷静を装いつつ、わずかに影の差した表情で栖は答える。


ちなみに、

神奈備とは古く、禁足地を意味する語であり、人が足を踏み入れることを許されぬ神の領域を意味する。


月並みな言い方をすれば、結界のようなものと考えてもらえば分かりやすいだろうか。


「さもありなん。すでにこちらはほぼすべてと言ってもよい戦力をサバキに指し向けた。それが七日を過ぎた今になっても音沙汰が無い。栖、吾よりも状況をよく呑み込んでおるそなたに改めて話す必要も無かろうが、向かわせた者たちはまず全滅したと思って間違い無かろう。となれば、なおのこと要の立場は重要となる。事ここに及んでサバキと戦える者がおるとするなら、紛うこと無き八頼である要以外にはおるまい。とはいえ、それも要が真の八頼に目覚められればの話じゃがな……」

「……」


栖は千華代の言葉に無言で答える。

が、千華代はその意味をどんな言葉よりもよく理解していた。


だからこそ、あえて千華代は栖に問う。


「栖よ、忌憚無く申せ。要は八頼として目覚めることができると、そなたは思うか?」

「……恐れながら……」

「うむ」

「私の見る限り、要さんには八頼となる素質があるのは確かかと思われます……が」

「が?」

「惜しむらくは血が薄すぎます。私は巳咲……狗牙の者より鼻は劣りますが、要さんの血が薄いことくらいは察せました。このようなことを口にするのは心苦しくありますが、恐らく要さんが八頼に目覚める可能性はまず有り得ないでしょう。もし仮に目覚められたとしても、それがいつになることやら……」

「サバキからの襲撃までにはとても間に合わぬと……?」

「手先が現れた以上、奴が要さんを狙って姿を現すのはここ数日といったところかと思われます。長くても三日以内。最悪は明日にでも……」

「つまり運が良くてもあと三日以内に目覚めさせる必要があるというわけか……なるほど、それは絶望的じゃな」


そう言いながらも、千華代の口調は極めて落ち着いていた。

強い危機感を露わにしている栖の口調とは対照的に。


当然だが、その理由を栖は分からずにただ疑問だけを募らせる。


少なくとも自分の考えられる範疇で取れるサバキへの対策は尽くしたはず。

そうなると千華代の落ち着きが解せない。


サバキはもう目前に迫っている。今の状態で戦えば、何がどうあろうと勝てる見込みは無い。


すなわち八頼もろとも、その守護である火伏、犬神、狗牙も滅びる。


これだけ希望の無い状況で何故、千華代は平静を保てるのか。

栖でなくとも不思議に思うのが自然であった。


ところが、


「……吾が落ち着いているのが、それほど不思議か? 栖よ」


急に話し始めた千華代の言葉に、栖はその本意を知ることとなる。


「正確に言うならば、吾は落ち着いているのではない。ただ達観しておるだけよ。考えてもみるがよい。先にサバキとの決戦を挑んだ三家の者たちは、あの巳月みつきを擁していたのじゃぞ?」

「……巳月……」

「そうじゃ。その巳月をもってしてもサバキには勝てなんだ。となれば、悩んだところで詮無いことよ。要が八頼に目覚めてくれればそれに越したことはないが、もし目覚めなければ単に八頼とその守護三家が滅びるまでのこと。それ以上は考えたところでどうしようも無かろう」

「確かに……あの巳月ですら敵わなかったのですから、私たち如きがこのうえどんな策を講じようと、どうなるわけでも無いでしょう……認めたくはありませんが……」


言って、栖は唇を噛む。


単純に自分自身の不甲斐無さに対してでもあったが、それだけではなく、想像を超えていたサバキの力に対する悔しさも強かった。


しかし、そうは思っても今さらどうなることでもない。


ないのだが、


「……さりながら……」

「何じゃ?」

「無礼を承知で言上致しますれば、如何に達観なされたとはいえ、三千年を数える八頼の命脈を運に任せるというのは、あまりに……」


そこまで言い、栖は言葉に詰まる。


決して畏れ多く、これ以上は言えないからではない。

かといって適切な言葉が見つからなかったからでもない。


ただ、

もう声を出すことすら辛かったのだ。


千華代の言う通りな部分は多い。特に、サバキとの最終決戦のつもりで挑んだ戦いに敗れたことはあまりにも大きい。


これで勝てなければ、もう次は無いとまで覚悟して挑んだ戦い。

その敗北が意味するところは、いくら誤魔化そうとも明白だった。


八頼の滅亡。


何よりも避けたかった事柄が強固な現実味を持って今、ここにある。


覚悟をしていたから受け入れられるというような、そんな単純な話ではない。


手前勝手と分かっていても、どうにかその現実を覆す方法は無いかと考えるのは至って正常な反応である。


ゆえにこそ、栖の発した声は悲痛だった。


納得して現実を受け入れることも出来ず、かといって希望を見出すには状況が悪すぎる。

栖からすれば、まさしく板挟みの苦しみであった。


自分の言っていることの矛盾に気づきながら、それでも言葉を発さずにはいられない。


己が覚悟の脆弱さが、より自身を責め苛む。

少しでも気を抜けば、その場で落涙しかねないほど栖の神経は逼迫していたのである。

そして、千華代もそうした栖の心情をよくよく理解していた。


だからなのか、

言い止したまま視線を落とし、微かに肩を震わす栖に対し、千華代は深く息を吐くと、優しげな口調で語り出した。


「栖……吾が何故に要をこの地へ呼び寄せるより前にサバキへの総力戦を挑んだと思う?」

「……ひとつは、巳月という稀有な存在を得た今こそサバキ打倒の好機とのお考えによって。ひとつは、総力戦を挑むことで万が一にもサバキがこちらへ呼んだ要さんの存在に気付かないようにとのお考えではと浅慮いたしますが……」

「まさしくじゃ。が、もっと簡潔に言えば、力の勝負を先に挑んでから運の勝負をという順番にしただけよ。さほど深い考えではない」

「では……千華代様はやはりどうあっても、要さんを八頼として目覚めさせるおつもりなのですか……?」

「大焚火の件で確信したが、サバキは要の存在を今日の今日まで知らなんだようじゃ。何せ、巳咲ですら目の前にするまで要が八頼の血を持つことが分からなかったのであろう?」

「はい、巳咲からはそのように聞いております」

「狗牙の者は三家の中でもっとも鼻が利く。普通なら要がこの土地に足を踏み入れるより以前にその存在を嗅ぎ取っているはずがの。さればサバキはなおのことよ。八頼の地へやってきてからの正確な所在を知らせぬためにわざと参道で大焚火などしてみたが、今になって思えば無用に要の存在を知らせる結果になってしまった。とはいえ、あれは要が自ら手先の前へ姿を見せたのが原因じゃから、吾が止めておれば要のことは未だサバキは知ることもなかったろうがのう……」


千華代は知っているだけに苦笑しつつそう漏らす。


サバキはしたたかだ。

八頼の社で火を焚くなどすれば、これは誘い水ならぬ誘い火だと考えて無闇に手は出してこないと考えた。


実際、そのおかげか要はこの地に辿り着くまで……どころか、辿り着いてからもサバキにその存在を知られずに済んでいた。

目晦ましとしての機能はしていたのである。


なのに、わざわざ手先の前にその姿を晒したことで要はすべてを台無しにしてしまった。


無論、千華代が強く制止していればそうはならなかったかもしれない。

だが千華代は要を止めなかった。それは何故か。


簡単に言うなら、もはや要のことを隠す必要すら無いほど、千華代たちの置かれた状況が差し迫っていたからに他ならない。


「何にせよ、要を八頼に目覚めさせねばならぬのに変わりは無い。しかもただ目覚めさせるだけではとてもサバキと対等……いや、それ以上にはなれぬ。まっとうな手段で目覚めさせることができたとしても、それでは間違い無く今のサバキには太刀打ち出来ぬ。ならば、こちらも賭けを打つ覚悟をしなければな……」

「……千、千華代様……それでは、まさか……?」

「栖……明日でよい。祖霊殿から初代様の血と朱管糸すくだいとを持ってまいれ。もちろん、要も共にじゃ」

「なりません千華代様! そのようなご短慮……もし……いえ、あれほど血の薄い要さんにそのような無理をすれば、十中八九……命を落とされますよ!」


とても正気と思えぬ千華代の言葉に、さしもの栖も声を荒げる。


声も必死なら顔も必死。身はほとんど千華代へ飛びつこうとでもいうほどに乗り出していた。


さりながら、


千華代の継いだ言葉は冷静そのものだった。

穏やかに、諭すように、栖へと語りかける。


「であろうな……約三千年の八頼の歴史上、初代様の血を受けて生き延びた八頼はひとりもおらぬ。じゃがの、それはあくまで女子の八頼の話ぞ。男子の八頼がこれを試みた前例は無い。思えば、八頼でありながら男子に生まれた要が、何の訳も無く薄き血を持って生を受けたとは考えにくい。吾にはな、これが偶然とは思えぬのよ」

「ですが……それで失敗すれば、それこそ本当に……八頼は滅びます……」

「そうなるなら、そうなればよい。大したことでも無かろう」

「!」


あまりに不穏な千華代の物言いに、栖は思わず叫び声を上げそうになったが、それも一瞬のことであった。


「今、サバキが攻めて来れば八頼は何もできずに滅びる。同じことじゃよ。要のことも含めてな。死ぬか殺されるか。滅びるか滅ぼされるか。結果が同じなら、少ないながらも可能性のある手立てを取るのが自然ではないか?」

「……」


真意を聞き、栖は興奮した自分の心が少しずつ落ち着いてゆくのを感じ、同時に自分こそが短慮であったことを知り、再び唇を噛む。


言われずとも分かっていなければならなかったことだ。

もう自分たちは運に頼るより道は無いのだと。


それを認めたくない一心で、どうにか残された知恵と力でサバキに対抗できないかと考え続けてきたが、そんなものはとうに無理だと理解していなければならなかった。


現実を受け止めたうえで取れる手立てを尽くす。それしかないのだと。


「……己が愚を晒し、恥じ入るばかりにございます……お言葉を肝に命じ、明日には早速、お指図通りに用意を整えます……」

「恥じ入る必要など無い。栖よ、そなたの申しすことも間違いではない。じゃが、もはや手立てを選んでおれる余裕は無い。悲しいかな、これが事実ぞ」

「はい……」

「……しかし」


乱れた姿勢を正し、また深く首を垂れる栖から視線を外し、千華代は部屋の隅に立つ灯明台の火を見つめつつ、ぽつりとつぶやく。


「要のことは気の毒としか言えぬな……幼くして実の父母と別れて十五年……その結末がほぼ定めて死ぬることだとはのう……」


胸は痛む。と言って、他に手立ても無い。ならば已む無しとも分かってはいる。


「齢わずか十五にして、あたら命を散らすか……ほんに、要は己が生まれを呪わしく思うであろうな……」


語りながら、思わず嘆息した千華代の息へ合わせたように、灯明の火が静かに揺れた。


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