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カナメノカナメ  作者: 花街ナズナ
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クガトヒブセトイヌガミ (1)

「……何か変だな……おい、起きてっか?」

「……」


自分で湯船に投げ込んだ要の後ろへ回り、巳咲は不思議そうに声を掛ける。


しかし返事は戻ってこない。


これはある意味で当然のことなのだが、巳咲はその理由が理解出来ないらしく、無言で湯船に浸かった要をいぶかしげに見つめていた。


対して要はそれどころではない。


血が逆さまに流れるような違和感。頭へ上り続けて一向に下りてこない血液。顔はもはやこれ以上は無理なまでに赤く色付いている。


さらに付け加えるなら、


三半規管がどうかしてしまったのかと思うほどの強烈な眩暈。

朦朧としているのに、感覚だけは鋭敏なままの意識。

風呂に浸かっている事実を加味しても不自然に思える異常な発汗。

動悸、息切れ、耳鳴り、エトセトラ……の自覚症状群。


無論、如何に無神経な巳咲でも、ここまであからさまに様子がおかしければ気にもなる。


気にもなるから、

要の背後に陣取りつつ、湯の中で立った姿勢からくるくると上半身を捻って見える範囲の要の顔や体を舐めるように観察した。


これまた無論、観察される要の気持ちなどは考えもせず。


「のぼせ……るわけねぇよな。そう大して熱い湯でも無ぇし、まだ浸かって何分も経ってねえし……何だ? もしかしてテメェ、どっか体の調子でも悪いのか?」


実のところ、問われているので答えなければという意識はまだ要にもあった。


さりながら、


「から……だ……悪……無い……です……」

「……何を言ってんだか分かんねぇよ……」


しどろもどろでこう返すのがやっと。

挿絵(By みてみん)

そのため、相変わらず意味の分からない巳咲もそう言い捨てて要の観察を止めない。


それどころか、なお観察の仕方は入念になる。


視線の端に何か柔らかそうな球体が入るたび、要はすでに限界に達していると思っていた動悸と発汗が一段と強まったが、だからといってどうすることもできない。


いっそ、思い切って湯から上がってしまおうか?

そして後ろを振り返らずに脱衣所へ戻ればひとまず安心では?


考えていると、


「テメェよ……もう上がったほうがいいんじゃねえか? 汗の量もすげえし、心臓の音も速えし、どう見ても体のどっか、おかしいぞ。用心してさっさと今日は寝ろ。下手に倒れられたりしたらアタシが何か言われるかもしれねえ。栖の小言はもう聞き飽きてんだよ」


勿怪の幸いとはこうしたものを言うのか。特別、何かを言う必要も無く風呂から上がる口実を巳咲のほうで作ってくれた。


この言葉に甘えない手は無いと要が思ったのは至極、当たり前のことである。


聞いたが早いか、すぐに湯船を出ようと前屈みに身を起こそうとした。


のだが、その瞬間、


やんわりとした……温かく大きな餅を背中に押し付けられたような感触とともに、何故か巳咲の顔が自分の右肩辺りから覗いている。


「……にしても、どうも納得できねぇな……テメェからは具合が悪いような匂いなんて、全然しねぇのに……それとも風呂ん中だから、アタシの鼻があんまし利いてねぇのか?」


耳元で言いつつ、巳咲がスンスンと鼻を鳴らして自分の匂いを嗅いでいるのが視界の横へ明瞭に見えた。


肩に触れる巳咲の髪の感触も明瞭に。

二の腕を掴んできている巳咲の手の感触も明瞭に。

背中を覆うほど大きく当たるふたつの柔らかな乳房の感触も明瞭に。


それへ重ねて、


要は無意識、鼻に入ってくる匂いを感じる。

風呂場に漂う湯の匂いやヒノキの匂いとは違う。


焦げた樹の匂い。

うっすらと汗ばんだ肌の匂い。


形容は難しいが、はっきりそれと分かる女の匂い。

それらすべて、鋭敏になった臭覚によって明瞭に。


瞬間、暗転。


白かった視界が黒い闇へと。


さて、


同時刻。要に宛がった部屋で布団を敷き終え、別の部屋へ着替えを取りに向かって廊下を歩く栖は妙な胸騒ぎを覚えていた。


サバキの手先はもう撃退に成功している。さすがに連続して今日中に攻勢をかけてこようとは思えない。


ならばこの胸騒ぎは何なのか。


現在、残された八頼の人間は要を含めたとしてもわずか四人。

火伏家の千華代。犬神家の自分。狗牙家の巳咲。たったこれだけ。


仮に要が期待通り八頼として目覚められたとしても、それでこの絶望的な状況がどうなるのだろうか。


千華代への信任と忠誠に揺るぎなど微塵も無いが、その千華代の胸の内が知れないことを不安に思わないと言ったら嘘になる。


それとも、想定していた最悪の事態が現実になるのか。


考えたくはないが、考えないわけにもいかなかった最悪の事態が。


そうでもなければ、本心では半ば八頼と共に自分たち三家も滅びることをも覚悟している自分に胸騒ぎが起きる理由の説明がつかない。


と、栖が自分でも整理がつかず悩ましい思いを抱えて足を進めていたその時、


「おーい栖、いるかー?」


急に湯殿のほうから響く声を聞き、栖は振り返った。


すると目に見えたのは、


湯気の漏れる板戸を半開きにして裸体のまま半身を出し、自分を見ている巳咲。


ここで、始めて栖は自分が感じていた胸騒ぎの正体を知り、必死で考えを巡らせていた自分を馬鹿らしく思って大きく溜め息をつく。


それから改め、栖は巳咲に問うた。


「……何事です?」

「あー……どうもよく分かんねぇんだけどよ。要っつったっけ? あのチビがいきなり風呂場でぶっ倒れちまったから、どうしたもんかってさ」


何やら、ばつの悪い感じで頭を掻きつつそう言う巳咲を見ながら、栖は今までの人生でもこれは屈指だと自覚する呆れ顔を浮かべて巳咲を睨んでいたが、


「どうする? 別に体の調子が悪いってことは匂いからして無ぇはずなんだけど……」

「……それはそうでしょうね。ところで巳咲、貴女は何でそんな恰好で湯殿にいるんです?」


この栖からの問いに一瞬、巳咲は目を丸くしたもののすぐ口を開いて、


「風呂に入ってたに決まってんだろ? さっきので全身どこも焦げ臭くってやってられねぇと思ってよ」


当然といった顔で答える巳咲に続けて栖は、


「そういうことを聞いているのではなく何故、要さんが入っているのを知っていて貴女は一緒に入ったりしたんですか?」

「は? なんだコラ、狗牙の人間風情が八頼様と同じ湯に浸かるなんて身の程知らずだとでも言いてぇのか?」

「だから……そういうことでなく……」

「……違うのかよ。なら余計に何なんだ?」


言ったが、巳咲のあまりの鈍さに栖は片手で頭を抱えてしまった。


が、それでも言わないわけにもいかじと言葉を継ぐ。


「……巳咲」

「ん?」

「言うのも馬鹿馬鹿しいですが、要さんはああ見えても男なんですよ?」

「そのぐらい知ってるに決まってんだろ。人のことバカにしてんのか?」

「……だから……」


響かぬ言葉。噛み合わぬ会話。


そんな調子を崩さぬ巳咲に、


栖は頭を抱えたまま、思わず裸電球の輝く天井を仰いだ。


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