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カナメノカナメ  作者: 花街ナズナ
12/46

ヤライトサバキ (7)

駆けつける……という表現をするにはあまりにその足取りは不確かであったが、何にせよ要が長い廊下を抜け、本殿を出た事実は変わらない。

そして、そこで目にしたものもまた。


何を見ようと考える必要など無かった。ただ自然に視線がそこへと誘導されたのだから。

本殿へ入る前にも見た参道の大焚火。そこに向かい、目は勝手に動いていたのである。


が、露の間を置き、要は自分の目が捉えているものが焚火ではないことを知った。


確かに、ふと見たそれは大火のようにしか見えなかった。ところが、


「ぼんやりと何を見てるんです? いえ、それよりもよく千華代様は貴方が外に出ることをお認めになられましたね。何かお考えがあってのことだとは分かりますが、それにしてもひどく危険な選択をなされる……」


突然、隣からそう話しかけられ、身を捻って横を向いた要が目にしたのは、声によって事前に察していた通り、栖の姿だった。


しかし、驚いて横を向いたことに違いは無いが、要は別に栖の声を聞いて驚いたのではない。


それ以前、焚火と思い込んでいたものが焚火でなかった。そのことへの驚きを引き摺って栖のほうに身を向けただけに過ぎない。


そう、まず目に入ってきた焚火は焚火などではなかった。というより、もはや焚火ではないというべきだったろうか。


まず位置からしておかしい。焚火は本殿からは拝殿を挟んだ参道で焚かれていた。それが今、本殿を出て目の前に存在する時点で事態の奇怪さだけははっきりしている。


焚火がこれほど大幅に位置を変えることなど普通では考えられないし、あったとしたらそれは火勢が増して拝殿が焼けた場合のみに限定される。


なのに拝殿は無事。ただ火の手だけがこちらへ移ってきているのみ。


そんな馬鹿げた動きをする火などあるはずがない。少なくとも常識の範囲では。


よしんば人為的にそのような移動をさせようとしたならば説明の付け方もあるかもしれない。ただしそうだとすれば、今度はそんなことをする理由の見当がつかない。

結局、もっとも常識的でない結論が一番辻褄が合うことになる。


焚火が人の形を成して動き出したのだということに。


そこで、一度は栖に移した視線を再び前方へ向け、その焚火ではない何かを見据えるや、要はそのまま栖に問うた。


「……何……ですか? あれは……」


色々な意味ですでにいっぱいいっぱいであった要が、これだけでもどうにか質問できたのは、ひとえに無自覚ながら、見た目や言動に似合わず頑固で強靭な性格的特徴を持つ彼ならではのことであろう。


実際、彼よりはるかに長く人生経験を積んできたはずの老人たちは、漏れなく地面へ突っ伏したり、尻もちをついたりしている。

そして案の定、栖からの返答は極めて迅速だった。


「サバキです」


言われて瞬時、要は背筋に冷たいものが走るのを感じながら、目の前の現実をようやく正確に直視する。


数十分前、本殿へと入る時には天を突くような大焚火であったものが今、その火勢と大きさはそのままに、何故か人の形を成して本殿へ向かってきたのだと。


人の形をした火。それも人という仮定で考えたなら、身の丈が四、五メートルを超す巨体を揺らし、顔と思しき部位から不気味な唸り声を響かせている。


始めこそこの恐ろしげな姿に肝を冷やした要であったが、冷静に見ると炎の巨人は動きが鈍重で、差し当たっての脅威を感じなかったため、わずか頭の巡り出したところで妙な疑問に行き当たり、はたとした。


ところがそれを口にするより前に、栖のほうから聞きもせぬのに答えが返ってくる。


「正確を期するなら、あれはサバキといってもサバキの手先ですがね。それも低級の手先といったところでしょう。その証拠に、ほら」


言って栖は人形の火炎を指差した。と思われたが、


目を凝らし、その指差す先が示す本当の対象を捉えた時、要は我が目を疑った。


要が見た時点で炎の巨人は彼に対し横……右側面を向けて立っていたのだが、何故この巨人がそちらを向いていたのか、次の瞬間に響き渡る咆哮とともに要は理解することになる。


「ドォオオオラァァァアアアッッ!」


本殿の中で聞いた雄叫びとはまた違う声。火炎の光に照らされ、姿を露わにしたその声の主。紛う事無く、それは巳咲であった。


思った途端、宙空を舞いながら地鳴りのような声を上げた巳咲の右拳が、巨人の横っ面へ炸裂する。


何やら固く、重い物同士がぶつかりあったかのごとき鈍い音が轟き、炎の巨人は打ち据えられた頭から横倒しになると、力任せに地面へと叩きつけられた。


刹那、凄まじい振動が地面を伝う。衝撃の激しさから周囲の空気までが震える。


やっとのことで足の感覚が戻りつつあった要は危うくその揺れに足を取られそうになったが、どうにか踏み止まって、何が起きたのかを再確認しようとしたものの、巻き上げられた土埃で一時、視界は完全に奪われてしまった。


「……どうやら、この調子なら私の出る幕は無く済みそうですね。まあ格下相手であったのを差し引いても、ひとまずはさすがだと言っておきましょうか……」


相次ぐ騒音や衝撃でひりつく鼓膜は、微かにしか栖の声を聞くことはできなかったが、要は音の聞き取れた部分を繋ぎ合わせ、頭の中で言葉を補填する。その間にも、熱気混じりの風圧に吹き飛ばされた土煙の合間から、倒れ込んだ巨人が吼える。


「ゴォアアァァアアアアアァァァッッ!」


本殿の中から間接的に聞いていたのとは違い、間近で吼えられたものだから要も堪ったものではない。


耳を通り越して直接、脳が揺さぶられる感覚に吐き気と頭痛すら覚えたその時、


「うるっせぇんだよこのデカブツがぁっっ!」


さらにその上をゆく巳咲の絶叫が、両耳を貫いた。


瞬間、宙を舞っていた巳咲は倒れ込む巨人へ一直線に降下すると、人形をした炎は咆哮でなく苦鳴を上げて身を二つに折る。巳咲の落下した位置を軸にして。


そこからは、その様子を要はただ呆然と見つめるよりなかった。


理由は様々あったが、何より大きかったのはその信じ難い光景による。それに、思えば始めに見た巳咲の巨人への一撃も、常識の範疇を越えていたのを改めて感じたからでもある。


巨人の身長を考慮したなら、巳咲は垂直でも最低四メートルは跳躍していなければならない。でなければ、彼女の拳が巨人の顔面に当たることは無いからである。


さりながら、巳咲の落下地点は横倒しにした巨人のほぼ中央。


こうなると垂直の跳躍は可能性としてあり得ない。最低でも何度か角度をつけて斜めに跳躍をしたと考えなければ着地点の説明がつかない。


ならば巳咲の跳躍力は何メートルに達するのか?


それに本殿を出てすぐのところで立ちすくんでいる自分ですら、かなり距離を置いているのに人形の火炎が放つ熱気で焼けつきそうなのへ比べ、巳咲はその腹の上に載っている。


何故、無事でいられる?

何故、燃えてしまわない?


それどころか、


「ザコはザコらしく、黙ってとっとと消えやがれってんだよっっ!」


なおも叫び声を上げながら、巳咲は炎の中心に立ち、信じられないことに、

両手で炎を鷲掴んでは引きちぎり、辺りそこらじゅうへ構わず投げ捨てていた。


巳咲が手を振るうたび、周囲に火の粉が散り、人の形をしていた炎は少しずつ縮みながら動きを止めてゆく。


いくつかの火は要をかすめて飛んでもいったが、それに反応する余裕はもう無かった。


ただ、ただ唖然、呆然、放心の体。


目でも見、耳にも聞き、肌でも感じたのに、微塵の現実感も無く恐ろしくタチの悪い悪夢でも見ている気分。それでも、


ゆっくりと鎮火されてゆく眼前の火中に、熱波で髪をなぶられつつ、しかしそのひとすじたりとも焼けることのない巳咲の姿を見ながら、頭でだけは要もこの事実を受け止めていた。


とはいえ、正気を取り戻すのにはさらなるショックが必要ではあったが。


炎もほとんどが消え、周辺に巳咲が抛った残り火が点々とあるだけという段になり、


「終わりましたね。とりあえずは、ですけど……」


言って、栖が深い息をひとつ吐くのを聞き、要はようやく硬直した視線をずらし、横を向くとまだ夢見心地で、


「……とりあえず?」


ぼんやりと問いを発する。


「サバキのほうも、まずこちらの状況を伺いに来たという感じでしょう。奴の用心深さは筋金入りです。勝てる見込みが完璧に近くなければ、自ら姿を現すことはほぼあり得ません。とは言っても、奴が姿を見せるのはそう先のことではないのも確かです。何せ状況は完全にこちらが不利なのですから……」


答え、栖はまた息を吐いた。ただし、今回は明らかに嘆息と分かる溜め息だった。


何か諦念と覚悟を足して二で割ったような雰囲気を醸し出しつつ。


と、しばらく呆けて栖の横顔を見ていた要の耳へ、


「……焦げ臭っせえな、チキショウが……」


ぼそりと、不愉快そうな巳咲の声が聞こえると、咄嗟に前へと向き直り、巳咲の無事を確認しようとした。が、


巳咲は無事ではなかった。しかし無事だった。

いや、無事ではあるが無事でないとも言えた。


初対面の時と同様、不機嫌そうな顔をして立ち、要を見ている様子だけなら無事とも言えたのだが、まだ足元でくすぶっている残り火に照らし出されたその姿は、髪を始めとして体のどこも焼けたり煤けたりしたところは無かったが唯一、


衣服だけは、Tシャツもチノパンも、その下に着けていたであろうものも、ほとんどが消炭となって焼け落ち、ほぼ全裸に近い状態となっていたのである。


眉をしかめた腹立たしげな顔。体格に釣り合う大きく、ふくよかな乳房。きゅっとくびれた腰を下ると、引き締まって張りと柔らかさを併せ持つ肉置き(ししおき)の豊かな尻から太股のライン。嗚呼……。


これにはさしもの呆然としていた要も、不意に湧き出した羞恥心に、赤面して顔を伏せざるを得なかった。見られた側より見た側の羞恥心が勝るとは、これも年頃の男女のことだけに一層傍目からは妙な具合に映ったであろうが、さて、


そうやって、ふと落とした視界の中へ入ってきたものに、要は再び絶句してしまった。


先ほど本殿に忘れかけ、わざわざ取りに戻ったボストンバッグ。しっかと取っ手を手に握り、離さずいたものだったが、


それが無い。綺麗さっぱり。もちろん取っ手は握ったまま。だから取っ手はあるのだ。


だが言い方を変えるなら、「取っ手しか」無い。


どうやら今し方、幾度か身をかすめて飛んできていた炎のひとつが、知らぬ間にバッグを直撃していたと見えて、手に握りしめた取っ手を残し、本体部分は中身を含め、跡形も残さず焼け散ってしまったようである。


八頼の地へ来てからというもの、顔色を赤くしたり青くしたり白くしたり。


不意のことで見てしまった巳咲のあられもない姿に紅潮した顔が、今やもう蒼ざめて真っ青。


現実的な事柄につけ非現実な事柄につけ、これより先も要の受難はなお続く。


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