読んだこともない本のこと
朝礼の時刻が迫って来るにつれ、人気のなかった教室に次々と生徒が入り、にぎやかになっていく。
しかし、玄吾たちの周りは、玄吾の書いた読書感想文を目の前にし、周囲の喧騒とは打って変わった静けさを感じていた。
「はは、馬鹿なことを言うなよ。読んだことのない本のあらすじなんて、書けるはずないだろ。この感想文を見た限りじゃ、本を読んでるとしか思えない」
「そうだと思うよな。僕自身、書いた後読み返して心臓止まるかと思ったし」
乃木斗は冷汗をかきながら玄吾に言ったが、玄吾が本気の顔をするので、乃木斗の顔は少し青ざめたように見える。
「うーん、これ、玉口君の字に間違いないよね。それに、玉口君がウソ言ってるようにも思えないし。大里君ならわからないけど」
「何でそうなるんだよ」
「冗談だよ。でも知らない本のあらすじなんて、書けるのかな」
乃木斗と夢月は、もう一度玄吾の感想文を読み返した。
「何回読んでも、一度本を全部読んだとしか思えないんだけど。まさか、でたらめ書いてる?」
「そんなバカな。そんなでたらめかけるんだったら小説家になれるよ」
「まあ、そうだよな」
乃木斗が玄吾に話しかけていると、夢月が「そうだ」と手を叩いた。
「もし玉口君がウソ言って無いんだったら、今度試してみたらいいんじゃない? 図書室とかでさ、知らない本を適当に選んで感想文を書いてもらうの」
「ああ、なるほど。じゃあ今日の放課後やってみるか」
「じゃあ、放課後に図書室に集合ね!」
そういうと、夢月は自分の机に戻って行ってしまった。気が付けば、ホームルームが始まる時間だ。
「まったく、何で二人で勝手に決めつけてるんだよ」
「いいじゃないか。本当に本を読まずに感想文が書けるか、試したいだろ?」
「確かに、そのままじゃ不気味だけどさあ」
玄吾と乃木斗が言い合っていると、担任の先生が入ってきた。それを合図に、立っていた生徒が全員自分の席に戻ると、朝のホームルーム開始を知らせるチャイムが鳴り響いた。
授業中も、玄吾は時々ノートを読み返していた。
明らかに読んでいないところまで書かれているあらすじ。それに対する感想文。
感想文を書いている時、自分は一体何を考えていたのだろう。何故、読んでもいない本の感想文が書けたのだろう。
読んでいないのに書けるはずがない。と言うことは、あの時自分は先の展開を予想していたのだろうか。あるいは……
「ああ、もうわかんない!」
思わず頭に思い浮かべていたことを口に出してしまった瞬間、頭に何かをぶつけたような衝撃が伝わった。
どうやら、ちょうど国語の教師が巡回中に通りかかって、教科書を玄吾の頭にぶつけたようだ。
「玉口、何が分からないのだ? とにかく教科書百三ページから読め」
「え、あ……」
何が起こったのか一瞬わからず、玄吾は慌てて教科書を手にした。
クラス中に笑い声が響く中、玄吾は教科書を読みながらも、読書感想文について考えていた。
放課後、玄吾が図書室に向かうと、既に夢月が何かの本を探しているのを見かけた。
部活で忙しい生徒が多いのか、図書室には数人机で勉強をしている生徒くらいしか見当たらない。
玄吾がそっと声をかけると、夢月が手を振って応えた。
「ノギは、ちょっと用事があるから遅れてくるって」
「そう? じゃあ、先に本を選んでおきましょう」
いくつか空いていた四人掛けの机のうち、夢月のものと思われるアクセサリ付きの荷物が置かれた机の椅子に荷物を置くと、玄吾も夢月と一緒に本を探し始めた。
「あ、でもよく考えたら、玉口君が選んじゃったら、あんまり意味ないよね」
「確かに。もっとも、学校の図書室の本なんて、大半が読んだことが無いけどね」
「確実に全ページ読んだことなさそうな本って言ったら」
夢月は歴史の本棚から離れ、別の本棚へと移った。そして、一冊の本を持ってきた。
「英和辞典とか」
「確かに、全ページ読む奴なんていないだろうけどさぁ……」
「あは、冗談だよ」
変な汗をかいている玄吾をよそに、夢月はふふん、と辞書を元の場所に戻しに行った。
ちょうど夢月が戻ってくる時、静かな図書室にガラガラと言う入り口を開ける音が響いた。入り口を見ると、乃木斗が入ってくる姿が見える。きょろきょろしている乃木斗に、玄吾が手を振って合図をした。
「なんだ、もう二人でイチャイチャしてたのか」
「お前のイチャイチャの定義は図書室で本を探すことなのか? 今ちょうど、伊本が英和辞書なんてナイスなチョイスで高い女子力を見せつけてきたところ」
玄吾が夢月を親指で差して言うと、夢月は玄吾の肩を軽くパシリと叩いた。
「やだなあもう、ちょっとした冗談だよ」
「なるほど、辞書か。それなら確かに……」
「えっと、王里君?」
「……まあ、辞書で読書感想文なんか書く奴いないか。とりあえず、何か適当に本探そうぜ」
そういうと、乃木斗は小説の本棚の方へと向かった。