昔読んだ本の感想文のこと
学校から帰ると玄吾は荷物を机の上に置いてシャワーを浴びた。そして、スマートフォンをいじりながら、濡れた髪の毛をそのままにその身をベッドに投げ出す。
「はぁ、なんか疲れたな。久々の学校だからかな」
うとうとしてきた体を、何とか必死に起こすと、学校に持っていくかばんから、一冊のノートを取り出した。
「読書感想文の見せ合いっこ、ねえ。まったく面倒なことになったな」
ノートを一ページめくる。そこには何も書かれていない。これは、乃木斗が交換読書感想文用に準備した、新品のノートだ。
「わざわざ新しいの準備しなくてもいいのに。まあいいや。せっかくだし、とりあえず、何か書くか」
そういうと、玄吾は本棚にある小説から、目をつぶって適当に一冊取り出した。
本のタイトルは「退廃する無色の世界」。何年か前に、有名な文学賞を取った作品だ。
「これか。これでもちょっと難しい内容だったんだよなぁ」
ぶつくさ言いながら、手に取った本を机の脇に置き、シャーペンを持ってノートに向かった。
「えっと、たしか特に希望を持つことが無い現代社会に……」
あまり内容を覚えていないと思ったが、まるで今本を読んでいるかのようにすらすらとあらすじが出てくる。
「そして文明が廃れ……って、何でこんなに思い出せるんだ?」
ある程度のあらすじを書き終わると、次は内容についての感想。しかし、これも手を休めることなく、どんどん書けていく。
随分前に読んだ本なのに、その時に思ったこと、感じたことがどんどん頭の中になだれ込み、それが文章化されていく。
まるで自動筆記機械になったかのような自分の体に気持ち悪さを感じていると、気が付けばノート一ページが文章で埋め尽くされていた。
一度書いた文章を見返してみる。確かに自分の書いた文章で、感想も自分が思ったことなのだが、どうも自分で書いた気がしない。
そうこうしているうちに、母親の声が聞こえてきた。どうやら夕食の準備ができたらしい。
「まああいいか。とりあえず、飯でも食べよう」
玄吾はノートを閉じてかばんに入れると、夕食のためにリビングに向かった。
翌日、玄吾が教室に入ると、夢月が乃木斗の机で何か話をしていた。
「おはよう、伊本、ノギ。……何話してるんだ?」
玄吾は乃木斗の前の自分の机に荷物を置くと、乃木斗と玄吾が「おはよう」と声をかけた。
「ほら、昨日言ってた感想文の話。昨日書いてみたら、すらすら書けちゃったから王里君に見せてたの。私って天才?」
そういうと、夢月は机の上に置いていたノートを、教科書を机にしまっている玄吾に手渡した。
そこには、「氷の世界の夏休み」というタイトルの本のあらすじと感想が、ノート一ページ分ぎっしりと綺麗な字で書かれている。
「これ、昨日一日で?」
「うん、すごいでしょ」
夢月から渡されたノートを返すと、玄吾は机から自分のノートを取り出した。
「実は、僕も……」
その一ページ目を机に広げ、乃木斗と夢月に見せると、二人とも食い入るように読み始めた。
「なんだ、一日あれば行けるじゃないか。一週間もいらなかったな」
「いやいや、さすがに続けるのは無理だよ。第一、そんなに読む本がないし」
二人が読み終わったのを確認すると、玄吾はノートを回収して机の中にしまった。
「じゃあ次は、できた人から発表ってことでいいんじゃないか? 一週間置きなんて面倒だし。俺は明日には出来そうだけど」
「私も、まだ読み終わった本いっぱいあるから、書けたら明日書いてくるね」
何故か乃木斗も夢月もやる気満々だが、玄吾はその様子を見て半分あきれていた。
「ということで、ゲンゴも明日また書いて持ってきてくれよな」
「だから毎日は無理だって……」
玄吾が言いかけた時、担任の教師が入ってきたので、夢月は慌てて席に戻った。
「玉口君、王里君、そういうことだから、明日もよろしくね」
「だから僕はそんなに書けないって……」
ふと、玄吾は机の上のかばんを見て、ロッカーにしまい忘れたことに気が付いた。
放課後、玄吾は帰り道にある書店に寄ることにした。久々に、家にある本以外の本を読みたくなったからだ。
ゆっくり適当に小説コーナーを漁ろうと思ったが、今日は見たいテレビ番組があったので、おすすめコーナーから選ぶことにした。
「森林浴旅行記? そういえばテレビで取り上げられていたな。これにするか」
話題の書籍の中にあった、「森林浴旅行記」というタイトルの本を一冊手に取ると、玄吾はそのままレジに向かった。財布の中には、千円札が二枚。
「……今月はこれ以上無駄遣いできないな」
そのうちの一枚をレジに差し出し、おつりと商品を受け取ると、かばんの中に入れて店を出た。
しばらく夕暮れの街の中を歩いていると、ふと読書感想文のことを思い出した。
「ああ、そういえば今回の読書感想文、この本にするかな」
買った本をその場で開けて読んでしまおうかと思ったが、途中の公園の時計を見て、「あ、まずい」とテレビ番組のことを思い出してそのまま走って帰宅した。