未来を示す感想文のこと
乃木斗が川に落ちた次の日の朝礼前の教室では、ひたすら乃木斗の話題で持ちきりだった。
そして、朝礼が始まると、乃木斗が川へ落ちたこと、当たり所が悪く、長期の入院が必要であることが担任の先生から告げられた。
午前中の授業の間、玄吾と夢月は乃木斗のことで集中できず、板書を写す手も止まりがちになっていた。
気が付けば昼休み。食欲がわかず、昼食もそこそこに、玄吾は屋上へと足を運んでいた。
特に来る理由もなかったが、いつも三人で集まっていた場所、自然と足が向かっていた。
九月も下旬ともなると、外は少し肌寒くなる。そのせいで、屋上に向かう生徒はほとんどいない。今日にいたっては、玄吾以外誰も居なかった。
「あ、やっぱりここにいたんだ」
玄吾が空を眺めていると、不意に声がした。振り返ると、夢月が手を振ってこちら向かっていた。夢月の笑顔は、どことなく作られているように見える。
「王里君、大丈夫だよね。ちゃんと、戻ってきてくれるよね」
「……どうかな。医者の話だと、打ち所が悪くて、もしかしたら……って言ってたから」
「……」
玄吾の言葉の後に、長い沈黙が続く。
俯いたままの二人に、冷たい風が吹くと、二人の体が少し震えた。
「玉口君も、同じようになっちゃうの?」
「え?」
夢月の突然の言葉に、玄吾は思わず声を挙げた。
「だって、玉口君のクラスノートだって、あと何日かしたら書かれてないことになってるんだよ? もし、その日に玉口君にも何があったら、私……」
「だ、大丈夫だよ、僕なら。それに、ずっとクラスノートに書けないって、決まったわけじゃないし」
「でも……」
「……」
再び訪れる静寂。グラウンドの方からは、昼休みに遊んでいる生徒たちの声が聞こえてくる。
「私ね、前に、ラブレターの感想を聞かせてほしいって言ったでしょ?」
「ああ、あれか。友達から預かったってやつ」
「うん。あれ、本当は私が書いた奴なんだ。もし二人に渡したら、どんな反応するかなって」
「やっぱり、か。なんか文字が似てると思った」
「王里君は、付き合ってほしいっていう感じだったけど、玉口君、あんまり乗り気じゃなかったもんね。ちょっと寂しかった」
「……」
「まあ、王里君はいつもあんなのだけど、玉口君は、少し慎重なのかなって。ここら辺で、二人の差が出てるのかなって考えると、ちょっと面白かったかな。だけど、私は二人のこと、どっちも好きだよ。だから」
夢月はそういうと、座っている玄吾の前に立った。
「玉口君……玄吾君が別に私を好きにならなくてもいいけど、玄吾君がいなくなるのは嫌だよ。でもこのままじゃ……」
途中まで言うと、突然夢月の目から涙が出てきた。そして、両手で顔を覆って、座り込んでしまった。
「まだいなくなるって決まったわけじゃないじゃないか。ノギだって、いつか帰ってくるさ」
「でも、でも……」
「じゃあさ」
そういうと、玄吾は顔を抑えている夢月の両手首をぎゅっと握った。
「伊本………夢月が僕のそばにいてよ。そしたら、僕も大丈夫な気がするから」
その日からも、クラスノートの感想文書きは続いていた。乃木斗がいなくなったため、玄吾と夢月がお互いのクラスノートを交換してお互いの感想を書きあってた。
「……やっぱり、私の感想文、ずっと同じだ」
「ってことは、やっぱり僕は数日後に、クラスノートを書けない状態になるってことだね」
「そしたら、玄吾君も王里君みたいに……?」
「そうとも限らないって。もしかしたら、僕がクラスノートを書かなくなる日までに何か変化があるかもしれないじゃない」
「そうだったら、いいんだけど……」
夢月が書く感想文、つまり玄吾のクラスノートの感想文は、あれからずっとまったく同じものだった。
クラスノートに書くことも変えられず、玄吾と夢月はその日が来るまでずっと同じことを繰り返していた。
少しでも気がまぎれるようにと、夢月は玄吾が帰るときに一緒に帰っていたが、帰り道はあまり話すことがなかった。
そして、感想文に玄吾のクラスノートのことが書かれなくなった日。
玄吾と夢月は、いつものように、放課後にクラスノートを交換し、感想文を書いていた。
この日も、夢月の感想文はここ六日分ほどと同じ感想文。
「やっぱり、今日も同じ感想文ね。玄吾君が明日からクラスノートに書けなくなるって言うのは、避けられないのかな……」
夢月はため息をついて感想文を置きながら玄吾に話しかけた。しかし、玄吾は、自分の感想文を見続けていて、何か考え事をしているかのように反応がない。
「……玄吾君?」
「え? ああ、ごめん。やっぱり今日か明日、何かあるんだと思うと、落ち着かなくて」
「そうだよね。私だったら、多分昨日から眠れなかったと思うから」
そういうと、夢月は荷物を片付け、かばんを持って立ち上がった。
「そろそろ帰ろうか。ずっといたら、怒られちゃうし」
「う、うん、そうだね」
玄吾も机の上のノートを片付け、感想文ノートを手に持って席を立った。
空が赤くなっていく通学路。遠くで完全下校時刻を知らせるチャイムが鳴り響き、少しずつ交通量が増えていく。
トラックや大型車が頻繁に通る住宅街の狭い道の脇を、玄吾と夢月は何も話さずに歩いていく。
「……いまのところ、何も起こらないね」
無機質なアスファルトの道を見ながら、夢月はぽつりとつぶやいた。
「……そうだね。でも、帰り道に何かあるとは限らないからね。帰ってからかもしれないし、明日学校に来る途中に何かあるかもしれない」
「そっか……」
夕日に照らされて歩く二人。なんとなく、歩く速度が遅くなった気がした。いつもと歩くペースは変わらないはずなのに、先に進まない。そんな感覚がしていた。
「だったらさ」
急に夢月が立ち止り言った。
「今日、うちに泊まりに来ない? そしたら、ずっと一緒に居られるじゃない」
夢月の言葉を聞いて、玄吾は驚いて振り返った。
「え、ちょ、ちょっと待ってよ。急に女の子の家に泊まりに行くなんて……」
「うち、今日親が両方いないから、一人なんだ。だから、うちに来てもいいよ。女一人じゃ寂しいし」
「で、でも……」
「それに、朝も一緒に学校に行けば、玄吾君に何かあってもそばにいられるじゃない」
「それはそうだけどさ……」
あまりの急な提案に、玄吾はどうすればいいかわからず、夢月から視線を逸らした。
すると、夢月は視線を合わせないまま、玄吾の右手を両手でつかむ。
「……私のこと、嫌い?」
「いや、そういうことじゃなくて、その、二人きりでっていうのは……」
「私はいいよ。玄吾君が私に何をしても。玄吾君がいてくれるなら」
高鳴る心臓を抑えながら玄吾が夢月の顔を見ると、目から涙が出ているような気がした。
「そんなに心配してくれてるんだ。ありがとう。でも、そこまでしなくてもいいよ。その代わり」
玄吾はそう言いながら、すっと夢月がつかんでいた右手を下した。
「今日は僕の家まで一緒についてきてよ。ちょっと遠回りになるけどさ」
玄吾がそういうと、夢月が半分泣き顔になった顔を上げた。しかし、直後にその涙をはじくように、口元を緩ませて笑顔を見せた。
「うん、そうする」
そういうと、夢月は突然交差点の前まで走り出した。
「えへへ、玄吾君、こっちだよ!」
夢月は子供っぽく笑いながら、こちらを向いて右手を振った。
「もう、なんだよ急に……」
玄吾はそれを見て、「やれやれ」と言いながらも、うれしそうな顔でゆっくりと夢月の方に歩いて行った。
夢月がいる十字路まであと数メートルと言うところで、玄吾がふとカーブミラーを見ると、トラックがゆっくりとこちらに近づいてくるのが見えた。
「……! 夢月、危ない!」
「え、どうしたの?」
夢月はトラックに気が付く様子がない。玄吾は慌てて夢月の方に走って行った。
トラックの方も気が付いたのか、しきりにクラクションの音が聞こえる。それを聞いて夢月はようやく気が付いたようだが、動く様子がない。
仕方なく、玄吾は渾身の力で夢月を突き飛ばした。夢月は反対側に飛ばされ、尻もちをついた。
一方の玄吾は、夢月を突き飛ばした勢いで倒れこんでしまい、道路のど真ん中に体が投げ出された。
鳴り響く急ブレーキ音。だが、どういうわけかスピードが乗ったトラックが停まるには距離が足りず、十字路に突っ込んでいく。
そして、ドン、という鈍い音。
道路に倒れた玄吾は、なすすべもなく、トラックに轢かれてしまった。
辺りに飛び散る血しぶきが、住宅の外壁を赤く染めていく。
「玄吾君……うそ……でしょ?」
ブレーキ音を聞いて飛び出してくる住人、トラックの運転手。
響き渡る夢月の叫び声。
そして、玄吾の荷物から飛び出た感想文ノートを、風が一ページずつめくっていく。
風が吹き止んだ時に止まったページには、今日の分と昨日の分の、玄吾が書いたまったく同じ感想文があった。
<おわり>




