一難去って
「お兄ちゃん!」
気が付くと、俺はミイネの精神世界から戻ってきていた。
「ミイネ……無事か?」
「うん。ありがとう、お兄ちゃんっ」
俺を抱きかかえ、涙で目を一杯にしながら、弾けるような笑顔で笑うミイネ。その姿に、俺の胸も熱くなる。
「それと……ごめんね。私の為に……」
「良いよ」
元々、俺がしたくてやった事だ。ミイネが無事なら、それで良い。
「でも、お兄ちゃん、浄化されちゃった……」
「だから、いいって。お前が帰って来たんだ。それが、何よりだよ」
「お兄ちゃん……」
目を潤ませ、俺の手をぎゅっと握ってくる。よせやい、そこまで感謝されることでもねぇわい。思わず照れる。
「しっかしまー、さらに蒼くなったね。目なんか、もはやビー玉みたいだよ?」
感動の再会に水を差すように、クリムが言う。あ、そうか。ここにいるのは俺とミイネだけじゃなかったっけ。
「うるせー」
照れ隠しに、俺も軽口を叩く。まぁ確かに、目にこぼれかかる髪が、紺から群青ぐらいにはなっている気がする。
そうそう、付け加えておけば、俺達みたいな天使混じりの悪魔、悪魔混じりの天使の場合は、その割合によって髪や瞳の色合いが変化する。これが、双方の力が溶け合い、調和している状態を意味するらしい。だから俺達みたいなのは、力が強まるんだとか。
「でも、綺麗だ。ミーネちゃんも、その碧の瞳、綺麗だよ。髪も、色もそうだけど、長い方が似合ってる」
ふむ、本当だ。よく見れば、ミイネも全体的に緑がかっている。これは、認識を改めなければならないかもしれない。
さしずめ、信じる者は救われる、とでも言った所か。もっとも、この場合は神ではなく、己自身を、という事にはなるのだろうが。受け入れる心、恐れない心。自分は自分だと胸を張れる者にのみ、力は与えられる――
「そーか? 俺は、短い方が好きだけどなぁ」
まぁ、そんな事を考えこそすれ、真面目すぎるのは性に合わないので、表向きはいつも通りにやり取りを交わす。すると、ようやく我点がいったのだろう。ミイネが会話に入ってきた。
「あれ? もしかして、クリムさん?」
「そうだよー。ふふ♪ 驚いた?」
「はい。クリムさん、やっぱり女の人だったんですねー」
やっぱり、って。こいつの洞察力はあなどれないな……。というか、親父も知っていたんだろうから、もしかして俺が鈍いだけなのか?
しばし、和やかな雰囲気が漂う。だが、そんな事ばかりも言ってられない。
「さぁ、無駄話はここまでだ。急がないと、大変な事になる……気がする」
嫌な予感がする。そんなはずはない、そんな事あるわけが無い。しかし、背筋を伝うこの感覚は、まさしく……。
「え?」
「大変な事、って?」
「……もう、起きているようだぞ?」
『え?』
八十一鱗のダメージから少し回復したのか、レイユは立ち上がり、威風堂々、威厳たっぷりに、言った。
「魔族の帝王がお見えだ」
女親が息子を可愛がり、男親が娘を可愛がる、というのはよくある話だ。うちの親父も、その例に漏れる事無く、ミイネを可愛がって、否、溺愛している。
だからこそ、ミイネが天使側に捕われた事は、親父には秘密にしておいた。というか、俺が2、3日前まで気絶していたので、話すに話せなかったのである。実は、ミイネ奪還が遅れた理由の一つもそこにあって、過保護な親父が、俺は気絶しているは、妹は帰って来ないはの状況にパニくったのか、俺を隔離(世間一般では保護という)しやがったのだ。俺は俺で、気絶させられた時、ついでに記憶を少々抜かれていたらしく、よく状況が飲み込めておらず、ようやく全貌が見えたのが、それこそ、クリムに会った時ぐらいだったのだ。
もし、俺が全てをきちんと理解していたら(というか気絶さえしていなければ)、ミイネをあいつらなんかに連れて行かせはしなかったし、万が一連れて行かれたとしても、絶対にその日のうちに乗り込んでいた! その自信がある。全く、天使の奴らめ、なんて乱暴なんだ。ちなみに、この話を後にミイネにしたらすごく気まずそうな顔をされた。奴等にまで気を使えるとは流石、俺の妹である。うんうん。
まぁ、行かなかったのは、ミイネの気持ちを尊重して、ってのも勿論ある。あるけれどもね? それを差し引いたとしても、俺だって妹は可愛いのだ。
だが、親父のミイネに対する愛情は、俺のそれをはるかにしのぐ。ミイネが箱入り娘になってしまったのは、あの人のせいではないか、と疑ってしまうぐらいには。だから、正直。俺は親父の襲来が、恐い。
*
「うちの娘達を、返してもらおうか?」
「さぁ? 何の事じゃ?」
「とぼけおって! 天界基本法、第五十六条で」
「それは、貴様達悪魔の場合だろう? 我らには関係な」
『母上!』
「親父……」
「お父さん!」
俺達が二人の王の元へ辿り着いた時には、もう二人は白熱した議論を展開した後のようだった。その証拠に、二人が争う声がここに来る途中の廊下まで響いている。間に、合った、のか?
「レイユ……。それにお前、クリム、か?」
「ミイネ! シャルル! 無事か? ……あぁ、二人とも、穢されてしまったのか……」
「穢すとは失礼な。浄化されたと言え!」
「でも、二人が無事で本当に良かった」
いつもなら必要以上につっかかる親父が、この時ばかりは女皇を無視した。そして、泣きそうな目で俺達に近づくと、そっと、抱きよせる。よっぽど心配してくれたんだろうな……。そう思うと、無下にする事も出来ず、俺もミイネもされるがままになっていた。長い沈黙の後、ようやく俺達を離すと、今度はクリムを抱きしめ、
「クリムも、ようやく、元の姿に戻れたんだね」
と言った。どうやら、親父は最初から全て承知の上で、クリムを拾ってきたらしい。全く、その懐の深さには感服する。そういう所だけは、無駄に格好良い父親である。
「はい、ファーザー」
クリムも、親父の変わらぬ愛情に安心したのだろう。素直に、親父を抱き返していた。クリムを離すと、親父はレイユにも、微笑みかける。
「レイユも、久しぶり。随分と美人になったね」
「お褒めに預かり、光栄です」
傷も大分癒えたのだろう。いつものような毅然とした態度で、優雅にお辞儀をして、レイユは言った。
とまぁ、これで一通りの挨拶は終わったという所で、女皇の怒号が飛ぶ。
「ほら、用は済んだであろう! とっとと帰れ!」
「母様……」
まずい。これじゃあ、ここに来た意味が無くなってしまう。さて、どうしたものか、と思考を巡らせていると、売り言葉には買い言葉。親父がついに乗せられてしまった。
「言われなくても、さっさと帰りますー。こんな所にいつまでもいたら、僕だって危なくなっちゃうもん」
「何を」
確かに、天使組の本拠地に、悪魔組の総大将が乗り込んできた、となれば更なる混乱を巻き起こしかねない。最悪の場合、戦争だ。しかも、神同士の決闘だ。それだけは避けなければならない。また、親父は生粋の悪魔故、本当に此方に長くいれば、浄化されてしまう危険もあった。今はシールドでも張っているのだろうが……。神とて、使える力は無尽蔵という訳ではないのだ。
しかし、ここまで来てこのまますごすご引き下がるわけにもいかなかった。やれる事はやっていきたい。こんなチャンス、めったにないのだから。
「ま、待って下さい」
「? どうした、シャルル」
「何か用か、子憎」
女皇の言葉を遮るのは忍びない、というか寿命が縮んだが、俺は、今しかないと思い、思いきって、女皇に、そして親父に問うてみた。俺が生涯の疑問としてきた、下手をすると、己の存在意義すらも危うくしてしまう、この問いかけを。
「女王、貴女は何故、人を助けるのですか? そして父上、貴方は何故、人を陥れるのですか?」