秘密
「ミイネ」
俺は一歩、また一歩と彼女に近づく。レイユの操り人形ではなくなったのだ。話しかければ、きっとまた元気な声が返ってくる、そう信じて。
「お前、どっちが良いんだ? 天使と、悪魔と」
「……」
「おい、聞いているのか?」
「……黒」
「え?」
「悪魔……敵」
「ミイネ?」
「敵は、滅する」
虚ろな目、機械的な感情のこもっていない言葉。どうやら、俺の認識は間違っていたらしい。彼女はもはや、完全に天使になってしまったようだ。そこにあるのは自我では無く、ただ敵を倒すというだけの使命。
「心滅」
彼女は、俺に襲いかかって来た。
「え?」
「八尺鏡野!」
「風縛」
……間一髪、だった。ミイネはその矛先を、俺に向けている。が、その動きは、不自然に止められていた。
「あんた、何で……」
「風檻」
ミイネの周りを、風が取り巻いた。
「勘違いするな。私はただ貴様と、そして我が妹に、少し話がしたくなっただけだ」
「いもうと……?」
「あぁ。……折角だ。その姫君に殺される前に、元の姿に戻してやろう。なぁ、クリム=ズィオ・アナトー、よ」
「え?」
そう思った時には、俺の知っているクリムはいなかった。その代わりに、彼がいた場所に、クリムと同じ服装をした、若い女性が立っていた。心なしか、全体的に彼よりも色素が薄くなった気さえする。
「……クリム、なのか?」
「おや、おかしいとは思わなかったのか? 我らが、いくら半純血の子だからと言って、貴重な男児を、しかも長の息子を、魔族に送ったのか。何故、こやつはいくら半純血の子だからと言って、あんな小さな童の姿をしていたのか」
――確かに。
宙族には基本女児しか生まれず、魔族には男児しか生まれない。だから、一族繁栄の為に男の子は必要なはず……。親父からクリムを紹介された時、疑問に思った事ではあった。
「……つまり、敵に塩は送らない、って事か」
「そういう事だ。それに……。私の可愛い妹が魔族に汚される、というのは、耐えがたかったのでな」
成程ね……。魔族の女の子は、その生涯のほとんどを、子どもを産む事に費やさせられるからな。
「半純血の子はその力の強さゆえ、体が完全に成熟する事はない。そこに目をつけた訳だ」
「我ながらなかなかの策だと、自負しておるよ」
まぁ、かくいう俺も、見た目はせいぜい中学生ぐらいだからな……。それがカモフラージュにもなっている訳だが。つかよく考えると、小学生フォルムって、異常だよな……。
「それに、私も器なしでは、この子の女児としての性質を、保っていられなかったのでな。その器がズィオンだったのだ」
「にゃるほどねぇ」
――種族は違えど、想いは同じ、か。それを実際にやってのけるこの人は、やはり恐ろしい、というか畏敬の念さえ抱かされるけれども。
クリムの出生の秘密に、俺がようやく我点がいった時、今まで黙りこくっていた彼が、重い口を開いた。
「……どうして、僕をこの姿に戻したのですか?」
それは、俺の聞いた事のない、上品で美しい声だった。
「お前が生まれた時は、半純血の子は忌み嫌われ、迫害されていた。だが今はむしろ、その能力の高さから重宝されている」
彼女の言わんとする所は、俺でさえ分かった。しかし、確認するようにクリムは尋ねる。
「……だから?」
「もう一度、戻る気はないか?」
「嫌だ、と言ったら?」
「私がこの手で終わらせるまでだ。“轟落:雷”!」
「ごめんね、姉さん」
パァンッ!
何のモーションもなしに、クリムは光の矢を弾いた。
「姉さんの術は、もう見抜いたよ。だから、終わりにしよう。“漸の型:八十一鱗”」
ヒュン、ヒュン、ヒュン。
阻劇手が宙に円を描く。そして――
「貫!」
阻劇手から放たれた精神エネルギーだけが、レイユの体を貫く。
「!? かはっ」
うめき声を上げて、崩れ落ちる女帝。それでも、床に倒れ込んででもなお、彼女は言葉を発する。
「……はぁ、はぁ。……まさか、私が、妹に、負ける、とは、な」
「ダメージは精神へだけですからね。じきに、動けるようになりますよ」
「そうか……。だが……あの、姫、は、私、の、て、にも、負えん、ぞ。……しばらく、“風縛”は、残る、が……。一体、どうする、つもり、だ?」
……気丈な人だ。クリムの必殺技、“八十一鱗”を受けてなお、他人の心配が出来るなんて……。流石、風華。
俺は初めて、時期女王に敬意を払って、言った。
「……貴女は知らなかったようだが、ミイネの恐ろしさは“身滅:壊死”、つまり、身体を滅ぼす事ではありません」
「?」
「彼女の本当の切り札は、“心滅:望失”」
「あの槍、滅神は、その貫いた者の心を奪って、廃人にしちまう槍なんですよ」
「それじゃますます」
「だから、それを利用する」
『え?』
これには、風華だけでなく、クリムも驚いたようだった。まぁ、無理もない。何故なら、俺が今から話そうとしている作戦は、普段の俺だったら、勝てる勝負しかしない俺ならば、絶対にやらない事なのだから。
「で、どうするの?」
期待と不安が入り混じったような目で、クリムが聞いてきた。流石に、何というか心苦しい。だが……。俺は意を決して、言った。
「ミイネが“心滅”を使った瞬間、逆にあいつの精神世界に入り込む」
そして、彼女の記憶、及び自我を見つけ出して、解き放つ。記憶が封じられていると聞いた時から、最悪にして最後の手段としてずっと考えていたものだった。
『!?』
「それは」
「ダメだよ! そんな事したら、ローワ、君はどうなるの?」
目に涙を浮かべながら、俺の腕にしがみつくクリム。それは、何かを留めようと必死になっているように映った。
「……あいつは今、まがいなりにも天使だからな。長くいたら、俺も浄化されちまう」
「だったら、そんな危ない事、させないよ」
「でも、これしかあいつを救ってやれる方法が無いんだ!」
呆然とするクリム。しがみついていた手を離し、俺から一歩離れる。俺が久々に、声を荒げたからだろう。でも、その言葉はちゃんと、心に届いたらしい。
「わかった。援護するよ」
立ちふさがるのではなく、協力する事が今出来る最善の事だ、そう思ってくれたようだ。
「サンキュ」
「……準備は、覚悟は、良いのだな?」
「あぁ、頼む」
「先程までの口調はどうした? ……まぁいい。貴様達に、神の御加護があらん事を」
ヒュゥゥゥゥゥ。
疾風が走り抜けたような音がして、ミイネを縛っていた風は取り払われた。俺は再び、妹と対峙する。
「一応、僕も呼びかけてみるから。無茶、しないでね」
「おぅ」
「身滅:壊死」
沈黙を守っていたミイネが、動き出した。機械のような声と共に、怒涛の攻撃が始まる。
「全く。俺の妹は強ぇなぁ。……覚えているか? 昔、強くなりたいっつって、お前、毎日のように俺に勝負を挑んできたよな……」
二度目となれば、かわすのにも慣れたもので。“心滅”発動に注意しながら、俺はミイネに話しかける。
愛しい妹に、慈しみを持って、心をこめて、言葉を伝える。
カーン、カン、カキッ、カンッ……。
しばらくの間、彼女の攻撃を防ぎ続けていると、流石に腕がしびれてきた。俺の裁断人は相手の武器の吸収は出来るが、衝撃自体にはそれよりもはるかに劣る。もう手の感覚もなくなってきたな……と思っていると、向こうもこれ以上は無意味だと判断したのだろう。いきなり、ポーンと後ろに飛び、少し距離を取って、滅神をくるくると回し始めた。そして
「心滅:望失」
シャキンッ、と滅神を構え直し、一気に突進してくる。
「待ってたぜ」
迷いは、もうない。
「今行くからな、ミイネ」
俺は滅神ごと、ミイネを抱きしめた。